小説
二十七話



 駅馬車を乗り継いでやってきたカレイセルは、人の営み、活気に乏しい都市であった。
 人通りそのものが然程多くなく、そのなかの行き交う人々の顔は気難しそうに顰められ、書類や本に視線を落としてまともに前を向いていないものもいた。

「なんとも薄気味悪いところよな」
「此処は人が暮らすための場所じゃなくて、研究、学問のための場所らしいからな」

 だから、とジェイドは五十鈴の耳元に唇を寄せて囁く。

「絶対に正体をばらすな。なにかあれば逃げろ、俺を呼べ」
「あい。すぐに御前へお縋りしよう。ふむ、左様に恐ろしげな場所では不安が湧き上がってきやる。御前、御前」

 五十鈴は無表情でちゃっかりジェイドの腕に抱きついて、満足そうに息をつく。
 とうとう手を繋ぐだけではなく腕を組むことになったわけだが、ジェイドはまあいいか、で流し、カレイセルの地を歩き始める。人同士の交流、営みが盛んではないカレイセルにおいて、とんだ場違いである。
 一応事前に目的の場所は調べているため、闇雲に歩くつもりはないけれど、何分ジェイドも初めて訪れた都市だ。土地勘といえるものはなく、頭へ叩き込んだ目印を探すしかない。

「あの」
「こっちか」
「空気がぴりぴりしておるの」
「あのう」
「ここ曲がるぞ」
「あい」
「あのーう!」

 ジェイドと五十鈴はようやく立ち止まって振り返る。
 先程から声は聞こえていたのだが、まさか初めてカレイセルを訪れる自分たちに用がある人間もおるまいと、無視してしまった。
 後ろから必死にジェイドと五十鈴へ声をかけ続けていたのは、ひょろりと細長い男で、作業着を身に着けた彼は膝に手をついて息を切らせている。結構な距離を追いかけていたようだ。
 ジェイドは男を不審そうに見遣る。
 自分たちに声をかけてきたのもそうだが、なによりも男の格好が気になった。
 作業着はいい。このカレイセルでは決して珍しいものではないだろう。
 ジェイドが気になったのは、男が両目を覆うように包帯を巻いているという点であった。

「なんだ」
「あの、その……」
「用がねえなら行くぞ」
「待ってください。あの、お連れさんの装備で訊きたいことが」

 声を潜めて言い募る男に、ジェイドは一気に警戒心を跳ね上げた。
 目を覆っているのに何故、五十鈴が装備を……正確には装備ではないが、それに値するものを身に着けていると分かったのだ。
 五十鈴を背に庇い、目を眇めるジェイドの放つ殺気にごくり、と喉を上下させながらも、男は退こうとしない。気弱そうに見えて、頑固なようだ。
 男は一歩近づいて「お願いです」と頭を下げる。

「その装備についてどうしても知りたいことがあるんです。冒険者の方なら依頼も出します。お願いします」
「聞いてやる道理はねえな。大体装備の詳細なんざ冒険者にとっちゃ機密も同然だ。ふざけたこと言ってんじゃねえ」
「っお金なら幾らでも出します。お聞きした内容について他言することもありません」
「知らねえよ。行くぞ、奥」
「あい」

 歩きだしたジェイドと五十鈴に「待って」と焦ったように声を上げて、男が駆け出す気配。
 それ以上近づくのであれば、とジェイドが馬針を抜いたとき、男が極々小さな声で囁いた。

「お連れさん、人間じゃないですよね」

 殺意を警戒心が抑え込んだ。
 男の立場、背景を知らぬまま手を出せば厄介かもしれない。逆に、男の立場、背景によっては殺す。
 男が口にしたのは、それだけジェイドにとって重大なことであった。
 だが、同じだけの危機感を持つべき五十鈴はどういうわけか、ジェイドの腕を離れて男の前に立ち、なよやかな女の仕草で首を傾げる。

「そなた、魔眼持ちか」

 男は口元に笑みを浮かべ、困ったように頬を掻いた。

「お話だけでも、聞いていただけませんか」

 魔眼という希少な能力を持つ男にジェイドは驚愕したが、それでも男の話に乗る理由にはならない。
 断ろうと口を開こうとしたが、それよりも早く五十鈴が「御前」と呼んだ。

「吾は少々これに付き合ってくる故、御前は先にご用事を済まされるとよい」
「……は?」
「では、参ろうか」

 ジェイドの返事も待たず、男を促して歩いていく五十鈴。
 その背中を見送るというよりも、呆然と見つめ、ジェイドはもう一度繰り返す。

「は?」

 出会ってからこちら、初めて五十鈴と別行動を取ることになった瞬間であった。


「あの……よかったんですか?」

 男の問いに五十鈴は無表情のまま答えない。

「あのひと、恋人とかじゃ……」

 五十鈴は答えない。

「あの……あれ? 何処へ……」

 五十鈴はまるで予め道を知っていたかのように歩いているが、それは男の向かいたかった方向ではない。
 焦ったように「あっちなんですけど」と男が繰り返すが、五十鈴はただただ無言で歩き続ける。
 そんな五十鈴におずおずとついてきていた男だが、突然ぴたりと立ち止まった。

「……どうしやった」
「これ以上は、進めません」

 つい先程までの気弱そうな態度を一転、男は毅然と言い放つ。

「何故?」

 五十鈴は男より数歩先で背を向けたまま訊ねる。

「あと一歩でも進めば、俺は『異界化した空間』に入ることになる。自分を棚に上げて人のこと言えませんけど、目的の分からない相手が完全に支配した空間に入るなんて自殺行為はできません。
 まして……あなたは人間ではない。上位種も上位種……ドラゴン級のなにかでしょう?」
「ぺらぺらと回る口だの。それこそ己の首を締めると思わぬか? まあ、よい。それにしても、良い目を持っておるの」

 五十鈴はゆうらりと振り返ると、欠片も熱を持たぬ双眸で男を見る。

「吾はそなたの素性など欠片も興味がない。なれど、そなたのその目だけは、捨て置けぬのだ……」

 たん、と五十鈴の足元で鳴らされた地面。
 男の目が包帯の奥で驚愕に見開く。
 何事もない。表面上は何事もないカレイセルの街並みが、男の目を通せば真っ黒に塗り潰されていく。

「さて、お話とやらをしようではないか」

 空間を「異界」として切り離し、自らの支配下に置く空間魔法の極技をいとも容易く行った五十鈴は、男の前で初めてころころと楽しそうに表情を崩した。


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