小説
二十五話



 五十鈴を伴い冒険者ギルドを訪れたジェイドは、依頼書のほうへは向かわずに真っ直ぐ受付のほうへ足を進めた。
 とっくに気づいていたくせに、窓口に立って初めて顔を上げた眼鏡の職員は「ご用件をどうぞ」と何時も通り生真面目に用向きを促した。

「上級魔物図鑑を貸してくれ」
「承知いたしました。ギルドの外への持ち出しは厳禁となっております」
「分かってる」

 眼鏡の職員はすぐに席を立った。
 ジェイドが魔物図鑑を借りたことはほぼない。そも、魔物図鑑は初心者が依頼達成のために事前に調べるために利用するのが大半で、熟練の冒険者はほぼ使わないのだ。その熟練の冒険者のなかでも、駆け出しの頃から実地で学び続けて魔物図鑑を必要としなかったものもいる。ジェイドの場合は全て実力で押し通してきた。
 それほど間を置かずに戻ってきた眼鏡の職員は、やや埃っぽく分厚い魔物図鑑を窓口へ置いて「どうぞお持ちください」と言うと、手元の作業へ戻った。目隠しの魔道具が置かれているため、窓口の向こう側でなにをやっているのか、詳細は冒険者たちには見えないが。

「御前、御前。なにをお調べになられるのだ?」

 ギルドに置かれた卓に着き、魔物図鑑を広げるジェイドの隣、五十鈴が手元を覗き込むでもなく訊ねてきた。

「ドラゴン」

 ジェイドは五十鈴に視線を向けぬまま魔物図鑑を捲り、該当ページへ辿り着く。
 概要としては最高上位種の魔物であること、爪牙と魔法で以って攻撃してくること、種によっては飛行能力を有していること、知性が高く侮辱的な言葉に怒りを見せることなどが記載されている。

「……左様なものを見ずとも、吾に訊いてくだされば……」
「それじゃ駄目だろ」

 黙り込んだ五十鈴の顔をようやく見つめ、ジェイドは繰り返す。

「それじゃあ、駄目なんだろ」
「御前……」
「怯えるな、奥。俺は……」
「ああ──!!」

 聞き覚えのある声が、大声でジェイドの鼓膜を揺らす。
 だかだかと足音も荒く近寄ってくる気配に嫌々顔を向けたジェイドは、案の定やってきたカールにげんなりした様子を隠せない。
 そんなジェイドの態度が心外だったのか、腰に手を当てて唇を突き出すカールは「なんすか、文句あんすか」と絡みだす。

「ねえよ。ねえから失せろ」
「いやいや、そりゃないっしょ。ないんすわ」

 ないない、と顔の前で手を振ったカールは一転、冷ややかな目をすると、そのままの視線を五十鈴へ注ぐ。
 きょとり、と目をまばたかせる五十鈴に舌打ちしたカールは、五十鈴の胸ぐらに手を伸ばし──ジェイドにその手を叩き落とされる。

「ってええ! 痛え! マジ痛えっ。ジェイドさん酷くねっ?」
「ひとの嫁になにしようとしてんだ」
「嫁? 嫁っ? 嫁ぇっ? マジで結婚してたんすか!」

 カールが大げさに声を上げるものだから、ギルドにいた冒険者たちから視線が集まる。ただでさえ、ギルドへ入ってくるときに大声を上げて注目を集めたカールだ。ちらちらと向けられていた視線が倍増である。
 しかも、次に叫んだ内容が「嫁」である。会話相手はジェイド。ジェイドの傍には五十鈴。しょっちゅう手を繋いでいる姿を目撃されたり、ジェイドに懐く五十鈴の姿が目撃されたりしている、あのジェイドと五十鈴である。

「マジで?」
「カップル通り越してた……」
「ビッテンフェルトが結婚とか、一番遠いと思ってたのに」
「嫁さん大丈夫かよ、あいつ出禁になってる娼館あるぜ」
「マジかよ」
「マジだよぉぅッ?」

 余計な会話をしている冒険者のほうへ、ジェイドは馬針を投げた。主に使うのは剣のジェイドだが、全力を出して秀でているのは体術であるし、そのついでで暗器も多少身につけている。
 プラチナランクにまでなると、そのひとを代表するように固定の武器、技が定まるものであるが、ジェイドの場合は珍しくも多芸の部類であった。そして、その多芸さは一時期面倒を見ていたカールにも引き継がれている。

「ギルド内での争いは控えてください。金取るぞ」
「罰金って言えよ」
「やることは同じです」

 自分の仕事をしながらもしっかりジェイドがなにをやったか把握していたらしい眼鏡の職員が、それ以上は許さないとはっきり釘を刺す。直接仕合ったことはないが、この眼鏡の職員が相当な実力者であることは、熟練の冒険者の間では有名だ。

「え、え、マジで? ジェイドさん、マジでこのひとと結婚したのっ?」
「似たようなもんだ」

 好奇心だけではないような様子で訊いてくるカールに、ジェイドは億劫そうに頷く。事実、カールの相手をするのがジェイドは面倒であった。今日は調べ物をしにギルドへ訪れたのだ。

「ええー……」
「なんだよ」
「だって……」

 カールは五十鈴を複雑そうに見遣る。
 五十鈴は無表情に頬を染めてジェイドの肩へ懐いており、ジェイドはもそれを止めやしない。

「…………なあ、百鶴宮さぁん。これだけ教えてくんね?」
「……なんぞ」
「『宮様』って、あんた?」

 カールから滲む殺気にジェイドが目を眇める。

「さて……なんのことやら、皆目検討もつかぬが」
「ふぅん……そんならいいんだけどさぁ……」

 もし、とカールは続ける。

「あんたが『宮様』だとしたら、赤毛のちびちゃんについて訊きたかったんだよねぇ。そんで……」
「それで?」
「場合によっちゃ殺す」

 物騒なカールの言葉に、ジェイドは低く彼の名前を呼んだ。
 カールは面白くなさそうに舌打ちすると、がん、とジェイドの座っていた椅子を蹴飛ばしてギルドを出ていく。

「そもそもなんの用があって来たんだ……」
「なんでもよかろ」
「……なにかあれば言え」

 短く言って魔物図鑑に視線を戻したジェイドの腕に懐き、五十鈴は「御前は頼り甲斐があるの」ところころ笑った。表情も、笑っていた。

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あきゅろす。
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