小説
一話
わらって。
わらって。
わらわないで、愛しいひと。
「もういいよ」
似合わないことをしていた。
似合わないことをし合っていた。
とても、双子らしいことをしていた。
「はんぶんこは、もうやめよう」
悲しいことはもうやめよう。
「うん」
静かな首肯に睫毛のきらめき。
美由は声を上げて泣いた。
名門、葛谷学園。家柄血筋よりも能力を尊ぶ学び舎には、幼等部から己を磨き続けひたすら前進を続ける前途有望な若者たちが闊歩している。
彼もその一人だ。
その一人、なんて埋没しているような表現は些か相応しくない。能力のみでいえば、彼は葛谷学園でも上位に入る。体育など、身体能力を問うもの以外でいえば五指に入るのだ。
名を織部美由。
一見、冷ややかに他者を突き放す印象の強い美しい女性であるが、前者はともかくとして、後者は甚だ間違いである。
なにせ、葛谷学園は男子校であるからにして、美由の性別はその容姿、名前がどうであれ男性として生を受けている。
「おはようございます、織部さん」
朝の登校時、全寮制の葛谷学園の生徒は殆どが同じ道をぞろぞろと歩く。
同室者同士、友人同士、なにか約束があるもの同士、それ以外が思い思いに歩くなかを、一人で背筋を伸ばして早足に進む美由の近寄り難さを物ともせず、声をかけたのは級友でもある及川要。
ひと嫌いの自身に一際絡む要だけれど、引き際を弁え、自身の質を理解して周囲にも促す彼のことは便利だと認め、嫌ってはいない美由である。
「おはよう」
振り返った拍子に頬へかかった薄い茶髪を耳にかけ、美由は簡素に挨拶を返す。
棒読みにも近かったけれど、要に気にした様子はない。
「今日は騒がしくなりそうですね」
「そうね、興味はないけれど」
「転入生なんて何年振りなんだか……」
要は美由の女性的な口調を気にした様子もなく、「転入生」の存在に感心したように首を振る。
今日、葛谷学園は夏休み明けの新学期を迎えるのだが、それだけではなく転入生がやってくる。
葛谷学園は求められる能力の高さから、元々家庭で教育を施していた、施せるようなミドルアッパー以上の家庭の生徒が多かったのだけれど、他家の情報がある程度耳に入ってくることが当然の彼らに転入生の話があまりにも入ってこないため、不思議に思ったものがざっと調べたところ、それなりに裕福ではあるが中流家庭の域という結果が出た。
家庭での教育という下駄もなく葛谷学園へ転入できるとは、余程優秀なのだろう、と今日まで学園内は噂で持ち切りだ。
「同室者にならなければいいのだけどね」
「織部さんは一人部屋ですからねえ」
葛谷学園では生徒会、風紀委員会、そしてもう一つの組織に属する生徒は学園内で裁量を任される仕事が一般生徒よりも多いことから一人部屋などの特典が存在する。
美由はどの組織にも属していないのだが、単純に人数の都合で現在まで一人部屋を使っていた。
転入生が来るのであれば十中八九美由と同室となるだろう。
なんといっても、同学年であるという話も既に飛び回っていることであるし。
「残念だわ……」
「まあ、相手も不干渉主義かもしれませんし」
苦笑いを浮かべて宥める要に頷き、美由はなんとなしに空を見上げた。
雲ひとつなく晴れ渡った青い空に、黒い烏が飛んでいた。
葛谷学園は広い。
それぞれの分野に充分な教育を施せるために、生徒の学習意欲を満たせるようにと施設を広げた結果だ。理事長が金と私有地を持て余していたともいう。
広大な葛谷学園に初めて訪う転入生に知りもしない職員室へ来いというのは酷な話というのは明確で、案内する人間が選ばれたのだが、その人選は妥当なところであった。
黒川知鈴。
葛谷学園において秩序を保つ風紀委員長であり、その立場故に学園内の熟知する生徒だ。
転入生には予め校門前で待つように指示が成されていると聞く知鈴は、時間よりも早めに校門のほうへ向かい、丁度バス停があるほうから歩いてくる人影を見つけた。
既視感。
彼女と呼んでしまいそうなほどに女性的な容姿のそのひとは、知鈴を認めるなり「あら!」と弾んだ声を上げた。
「お迎えの方かしら?」
小走りにやってきたのは転入生で間違いないらしい。
男にしては長めの、ショートボブの黒髪に長い睫毛に縁取られた垂れ目、赤い唇は薔薇の花びらでも食んだかのよう。
そして、女性口調。
「どうかしたの? 驚いた顔をしているわ」
「あ、いや……悪い。似ちゃいないんだが、幼馴染と印象がだぶってな」
「……へえ『アタシ』みたいなのがいるのね。仲良くなりたいわ!」
「そいつは難しいんじゃねえかなあ……」
転入生は「あらあら」と腰に両手をあてて胸を張った。当然、そこに膨らみはない。
「やってみなくちゃ分からないわ。それにお友達は多いほうがいいもの。そうでしょ?
だから、まずは自己紹介──北島渚よ。よろしくね」
物怖じしない性格は好意的で。
無邪気な笑みは魅力的で。
明るい挨拶は快活で。
なのにどうしてだろう。
知鈴は視界の端に映る烏がこちらを見てくる様に似て、気味の悪さを覚えたのだ。
きっとそれは、生理的嫌悪と呼ばれるものに似ていた。
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