小説
二十二話



 無言で指差される連れ込み宿、無言で応じるジェイド。
 もはや、定宿ほどに勝手を知り尽くしかけている薄暗い部屋の簡素な寝台の上、きちーんと座った五十鈴にジェイドは嫌な予感を覚えた。
 五十鈴が口を開いた瞬間、我ながら惚れ惚れする速度でジェイドはその口を塞ぐ。
 ふに、と手のひらに幾度となく重ねてきた唇の感触がするのを努めて意識の外へ押しやりながら、ジェイドは深く呼吸をしてゆっくりと五十鈴の目を見つめる。

「いま、言おうとしたのは、俺にとって心臓に悪い話か?」

 口を塞がれているからであろう、五十鈴は首を傾げることで「分からない」と返事をする。
 ジェイドは心臓が激しく脈打つのを感じる。嫌な予感がするのだ。このまま五十鈴の口を離したら、心臓を絞り上げられるような言葉が飛んでくる気がしてならないのだ。
 ジェイドの葛藤をよそに、五十鈴は自らの口を塞ぐジェイドの手を取って勝手に外す。
 かといってすぐに話し出すわけでもなく、指先にちゅ、ちゅ、と口づけると、そのままジェイドの中指を辿って、やがて辿り着いた指の股をちろりと舐めた。
 ぎし、と固まるジェイドの顔を見ないまま、彼の指に好き放題唇を這わせた五十鈴は、やがて満足したのかずい、とジェイドへいざり寄り、そっと肩へ両手を突いて耳元へ顔を寄せる。
 ふうわり匂う花の香。

「御前……口淫を、お許しいただけないであろうか……?」

 囁きが耳に達した瞬間、ジェイドは五十鈴の腕を引いて寝台の上に彼を押し倒した。
 五十鈴のまあるくなった閃光色の目に険しい顔をした自分が映っているのが見えたけれど、ジェイドはそれに構う余裕もなく低い声で問い質す。

「そんなもん、どこで覚えた」
「……覚えた、とは」
「身持ちの固いドラゴンが、どこで口淫なんざ覚えたっつうんだよ」

 知らないのならば男相手に早々しようなどと思う発想ではないだろう、とジェイドは唇が触れそうなほどに顔を寄せ、忌々しげに吐き捨てる。

「………………悋気か!」

 ジェイドの言葉に気まずげでも悲しにするでもなく、ぽかんとしていた五十鈴は、不意にカッと目を見開くとジェイドの背中に腕を回してそのままジェイドごと寝転んだ。
 体勢を崩され驚いたジェイドだが、咄嗟に五十鈴を潰さぬように片腕突いて彼を抱き込み、腕のなかから目を輝かせて見つめてくる五十鈴に困惑する。

「悋気! 悋気であるな!」
「……おま……奥……」
「ふふ! 御前が、悋気!」

 ご機嫌で五十鈴は擦り寄ってくるが、ジェイドは納得していない。
 悋気悋気とはしゃぐ五十鈴の頬を摘んでむい、と引っ張ったジェイドは、白皙の頬が赤くなる前に放して「で、どうなんだ」と苦い顔をする。
 ジェイド自身、女相手ならば幾度も経験がある。にも拘わらず五十鈴にだけ貞操を求めるのは間違っていると理解しているし、己はそんな質ではないと思っていたのに、五十鈴が誰かに触れられた可能性を過ぎらせた瞬間、驚くほどジェイドの脳は焼けた。
 誰にも触れてほしくない。
 誰のものであってほしくもない。
 自分に、自分にだけにと身勝手な感情が湧き上がって、それを自覚して、五十鈴の返事を待つより先に「悪かった」と謝罪を口にする。
 そんなジェイドの唇を、五十鈴は嗜めるように指先で押さえる。

「吾が御前以外に触れようなどと、左様におぞましいことあるわけなかろ?」

 にこにこ笑みを浮かべながらもはっきりと否定する五十鈴。

「したことはないが……その、されたことは……御前が、してくださる……ので……」

 体を支えていた腕から力が抜けて、ジェイドはそのまま仰向けに倒れる。五十鈴はのそのそとジェイドの上に乗っかり「くるる」と喉を鳴らした。
 上機嫌な五十鈴の様子に、ジェイドはもはや羞恥しかない。

「なんだ……俺はどうした……馬鹿か……いや、ほんとうにどうした……」
「っどうもせぬ!」

 己らしくない、と自嘲したジェイドに、五十鈴が張り裂けるように叫んだ。
 ぎょっとしたジェイドに縋りつき、五十鈴が繰り返す。

「…………どうもせぬよ。御前は御前であろ。なにも、変わっておらぬ、変わらぬ」
「奥……?」

 斯くあれかしと祈るように繰り返す五十鈴に疑問を覚えたけれど、身を起こしてジェイドの顔の横に手をついた五十鈴から降る雫にジェイドの思考は溶ける。
 ほろほろと閃光色の、蜜色の双眸から涙を零す五十鈴を泣き止ませたくて、ジェイドは両手で頬を拭ってやるけれど、拭ってもぬぐっても五十鈴の涙が尽きることはない。

「奥、泣くな……なにが悲しい?」

 原因があるならば、それを断ち切ってやるから、と言いさして、ジェイドは涙に濡れた片手で口を押さえる。
 ──これは、ほんとうに自分の思考か?
 違和感。
 細い糸のように頼りなく、真白の布に落ちた黒い染みのように確かな違和感を追おうと思考の指先を伸ばしかけたとき。

「御前」

 寄せられた五十鈴の唇。
 咄嗟に応えてやらねば、とジェイドは五十鈴の唇を吸い、舌を絡めた。
 また一つ、五十鈴の頬を伝う涙が唇に染みて、ジェイドは塩辛さなどなく、ただ薄っすらと甘いばかりのそれに目を細める。

(ああ、こいつ人間じゃないもんなあ)

 ずっと分かっていたはずの当たり前のことが腑に落ちた瞬間、ジェイドのなかでべたりと張り付いていた違和感が溶ける。いや、然るべき引き出しにしまわれたというべきであろうか。曖昧に放置していたものを、いつでも取り出せるように。

「奥」

 なだめるように、慈しむように、ジェイドは五十鈴の頭を撫でて、親指で短い角をなぞる。
 擽ったそうに震えたところを見れば、神経は通っているのだろう。いつか、折らせなくてほんとうによかったとジェイドは安堵する。

「御前……御前……」
「大丈夫だ、奥。大丈夫」

 なんの根拠もなく、なにに由来するのかも分からないまま、ジェイドは大丈夫だと五十鈴を宥め続ける。
 未だほろほろと涙を流し続ける五十鈴を胸に抱きしめて、ジェイドはほんの僅かな震えが止まるまでそっと薄い背中を撫で続けた。


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