小説
二十話



 馬車中から舌打ちされながらジェイドが抱きついてくる五十鈴を膝に乗せていると、ふと神経に触れるものがあった。
 闘争の気配。
 それは五十鈴のほうが敏感に気づいたらしく、散々にジェイドへ頬ずりして懐いていたのが嘘のように身を起こすと、乱雑に客を押しのけ外の様子を伺いに向かっていた。
 ジェイドは客からの文句を視線で黙らせながら続き、五十鈴が凝視する方向をじっと見つめる方向へ目を凝らす。
 場所はリシャールに極近いところから、土煙が舞っている。誰か、誰かが中心部で激しい戦闘を繰り広げているのを、ジェイドの尋常ならざる視覚で以って捉えるも、流石にまだ影程度でしか分からない。
 ならば、五十鈴であれば、と横を向いたジェイドは息を呑む。
 五十鈴は常日頃から無表情であることが多い。それでも、その評定に温度がないわけではない。取り巻く空気は五十鈴の豊かな感情をジェイドへ伝えてきた。
 それなのに。
 氷で背中を撫でられたように錯覚するほどの、冷ややかな面。

「御前……」
「……なんだ」
「先に行く」

 蝶のひらめきが如く。ひらりと窓から飛び降りた五十鈴に仰天し、ジェイドは慌てて窓辺から身を乗り出す。
 車輪と馬の蹄が掻き立てる土煙の合間から五十鈴の閃光色の目が光るのを、ジェイドは確かに見た。
 ぐ、となにかを掴んだ五十鈴の手。
 須臾。
 かき消える五十鈴の姿。
 まさかと思い、更に身を乗り出して「前方」へ目を凝らしたジェイドは、遥か彼方にいる五十鈴の背中を見つける。

「縮地……」

 大地を掴み、距離を縮めて移動するという極技。
 馬車から飛び降り、馬と並走、あるいは追い越すまでならばジェイドもしよう、できる。
 だが、縮地などという眉に唾をつけるような技は、とてもではないが、という話である。
 浮かび上がる疑念。

「俺は……あいつをほんとうに倒したのか……?」

 応える声はない。
 ジェイドは様子を窺っていた周囲からの心配する声や、馬車を停めるべきではという声の全てを聞き流し、眉を寄せて黙考した。



「ぎゃあはははははは! カールくん『次強』おおおお!!」
「このっ、下等生物風情がぁ!!」

 鉄甲で以って正面から殴りつけてきたカールの拳を、交差した両腕で防いだ少年は忌々しさをその顔にありありと浮かべて吐き捨てる。
 カールと少年の周囲には遠巻きながらも人が集まり始め、その多くである憲兵は先程から制止をかけているのだがふたりは止まらない。
 拳を、脚を、魔法を打ち合い、片や上機嫌に、片や怒りを吹き出して互いを食い潰そうとしている。

「ちびちゃん、やるじゃんねー? でも、俺のほうが強いじゃんねええええッッ」

 重力を増したカールの踵落とし。防がれる。
 速度を増した中段蹴り。防がれる。
 間髪を容れず後ろ回し蹴り、微かな呻き声。
 追撃を、と距離を詰めたカールは、しかし即座にその場を退く。
 小規模な爆発。
 爆ぜる炎の向こう、憤怒を浮かべる少年の姿があった。
 予感。
 続いて退き続けるカールを追うように、落ちる雷撃が地面を砕く。

「ひゃははははは!! 楽しいなぁっ、おいッ?」
「羽虫風情がまとわりつくなぁ!! ぼくは宮様に……ッ」
「羽虫に叩き落とされるのはぁっ、おま」

 ──しゃらん。

「………………………………は?」

 カールは目の前の光景を疑う。
 不思議な音色がしたような気がした。気のせいかもしれない。いつか、どこかで聴いた鈴の音を場違いにも思い出しただけかもしれない。それだけ幽き音色であった。
 そんな朧気な音色のあとに、そんな刹那的な音色の直後に、カールが見ていた景色は一変していた。
 どれだけ大量の苺をぶち撒け、踏み潰せばこうなるのだろうという赤い染みが地面に広がり、広がって、生々しい臓物の臭いを立ち上らせている。
 少年の姿はない。
 代わりに赤い水たまり……いいや、もはや池である。赤い池のなかに、カールは白く短い棒のようなものを見つけた。
 ねばつく池のなかを進み、棒きれを見下ろしたカールは唇を歪める。
 引き千切られた指が、落ちていたのだ。

「くそが…………糞が糞が糞が!!」

 カールは怒り狂った。
 突如現れた赤い池、消えた少年、残された指。
 誰かが、カールでも認識できないほどの実力ある誰かが、カールと少年の「楽しい遊び」に干渉し、台無しにしたのだ。
 突然の出来事に驚愕、恐れを滲ませていた周囲が、その対象を変えるほどの怒りを咆哮としてぶち撒け、カールは真っ赤な池を、血の池をばちゃん、と蹴り飛ばす。

「糞ったれ……」
「カール! なにがあった」
「あ゛ぁッ?」

 急に声をかけられカールはチンピラそのものの面で振り向き、すぐにしゅん、と肩を落とす。

「マジ聞いてくださいよ、ジェイドさぁん」

 珍しく全力で走ってでもきたのか、なにやら息を切らしているジェイドの姿を見て、カールは大げさに嘆いてみせた。
 誰に対しても破落戸、チンピラの態度を直さぬカールだが、ジェイド相手にだけは舎弟のように温順しい。

「俺、ここでちょーっとナンパしてたんすけどぉ、誰かに横槍入れられて台無し? みたいな?」
「…………これは、お前の仕業か?」

 ジェイドが血の池を見下ろして眉を寄せる。

「んーにゃ、俺の趣味じゃないっしょ」
「そうか」

 そのまま背を向けたジェイドに「え、行っちゃうのっ?」とカールは追い縋ろうとしたが、肩口で振り返ったジェイドがひらひらと手を振るのでそれ以上は諦めた。

「しつこくするとジェイドさん怒るしなー。あー、くそ、気分悪い。どっかで酒でも……」
「ちょっといいかね?」
「あ゛?」

 カールにかかる厳しい声。
 ジェイドではありえないため隠すことなく不機嫌を露にしたカールはしかし、次いで「げっ」と顔を顰める。

「憲兵長……」
「今回の騒動と……この血溜まりについての説明のため、駐在所まで同行願おう」
「うあああああ……」

 普段は憲兵など歯牙にもかけないカールであるが、流石に憲兵長にまで出てこられればギルド証に関わる。冒険者資格を取り上げられるのはカールにだって望ましくないのだ。
 がっくりと肩を落として憲兵長へついていくカールは、俯いた顔を一瞬片手で押さえ、その裏でぞっとするほどに表情を消す。

「糞ったれ……会うことあったらぜってえ殺す。必ず殺す」

[*前へ][小説一覧][次へ#]

あきゅろす。
無料HPエムペ!