小説
十六話



 五十鈴の装いが真白の輝きを取り戻したとしても、ジェイドの装備はそうはいかない。
 結局は湖へ寄ることになり、ジェイド周囲に魔物の気配がないことを確認してから装備へ手をかけた。

「……おい、なにやってんだ」

 なにやら温順しい五十鈴の気配に振り向けば、五十鈴は両手で顔を覆っていた。指はばっちり隙間を作っているが。

「閨でもないのに御前の玉体を……」
「そういうのいいから」
「……淑やかで貞淑なものがお好みなのではなかったか」
「それはもう忘れろ」

 ジェイドは脱いだ外套を片手に、湖へ飛び込んだ。
 手前のほうでもジェイドの腰ほどの深さがあり、水は冷い。
 ばしゃり、と水を顔に叩きつければ気分もすっきりし、ジェイドはさっさと上がるのが少しだけ惜しくなった。

「御前」
「なんだ」

 岸辺に寄ってきた五十鈴が、片手で水をぱしゃぱしゃと揺らして遊びながら、ジェイドへ声をかける。
 何気ない声音にジェイドも何気なく返事をしたのだが、次いで飛んできたのは何気なくもない、むしろとんでもないものであった。

「本性に戻ってもよろしいか」
「んああッ?」

 驚き、ジェイドは水底で滑って顔面を水面へ叩きつける。
 咳き込みながら体勢を整え、岸辺へと向かえば五十鈴が手ぬぐいを用意してくれていた。
 ありがたく受け取りながらも、つい先程の五十鈴の発言が聞き間違いではないと理解するジェイドは唖然とした表情を戻せない。

「周囲には人間も魔物もおらぬよ。保証する。なんなら、光学魔法で目眩ましもかける」
「……ちなみに訊くが、なんで?」
「人間でいうところの肩が凝る、というものであろうか。この形も吾のものには変わりないが、本性は正しく本性。それをこの形に押し込め続けるのは些か大儀よな」

 窮屈な服を着続けているようなものだろうか。
 ジェイドは難しい顔をして、再度自身でも周囲の気配を探る。確かに、人も魔物もいないようだ。
 だが、ドラゴンである。
 その本性を易々と顕にしてよいかどうかと問われれば、否であるとジェイドの人間社会で培った良識は断じる。
 同時に、既にドラゴンを街なかに連れてきて人間として生活させておきながら、今更なにを言っているのか、と呆れる己もジェイドのなかにはいるのだ。
 葛藤するジェイドのことを承知していたのだろう、五十鈴は水で遊びながら「ならぬならそれで良いよ」と言う。

「…………少しでも気配感じたら、人型になれよ」

 気づけばジェイドはそう言っていた。
 五十鈴は顔を上げ、無表情にジェイドを見つめる。
 ふわり、と笑み。
 ジェイドが頷いた瞬間、無表情が綻ぶ。
 五十鈴は立ち上がると、春の旋風のように魔力をまとう。
 瞬きの間であった。
 花の香が強くして、現れるのは真白のドラゴン。
 だが、ジェイドの記憶にあった巨体とは違い、五十鈴の本性は随分と小さくなっていた。
 五十鈴はそろりと湖のなかへ入り、ジェイドの身長よりも一メートルほどの高さにある顔をすい、と寄せる。閃光色の目が間近になった。縦長の瞳孔はジェイドを捉えている。
 ドラゴンに捕捉されているといえば恐ろしい以外のなにものでもないはずなのに、ジェイドに恐怖心が浮かぶことはなく、彼の手は自然と五十鈴の鼻面を撫でていた。
 しっとりと吸い付くような感触は、人型のときと似ているようでまったく違う。

「……っは」

 なんだかおかしくなったジェイドは、水を弾いて五十鈴へかけてやった。
 きゅ、と瞳孔を細くして驚いた様子の五十鈴は、それから鼻面でジェイドを押す。仰け反り、水を浴びたジェイドは「やりやがったな」と呟き、更に派手に五十鈴へと水をかける。

「おら、くらえ!」
「きゅっ、くるる!」

 こどものように水をかけあう戯れは、ジェイドがくしゃみをするまで続けられた。
 流石に自分でも「ガキか……」と呆れたジェイドは、五十鈴が魔法で熾してくれた火にあたりながら、五十鈴が風の魔法で装備を乾かしてくれるのが終わるまで待っている。

「うふふ、初めて妹らしいことができた」
「男の世話を焼いてなにが楽しいんだか」
「御前のお世話でしたらなんでもしたいものぞ。一番は仔を産み育てることだけれど」

 乾かし終えたジェイドの外套を畳む手を止め、五十鈴は軽く腹を撫でる。
 その様子からはほんとうにジェイドの子どもを欲しがっているのだと分かる。
 だからこそ、ジェイドは五十鈴から視線を逸らしながらも問いかけた。

「前例は、あるのか」
「前例とは?」
「ドラゴンと人間の間に子どもができたっつうの」
「我が一族ではないが、前例そのものはある」

 ただ、と五十鈴は閃光色の目で遠くを見つめた。
 さやさやと流れる風が草木を揺らし、湖面にさざなみを立てる。

「悲しいことになってしまった」
「悲しいこと?」
「自壊したのだ」

 ジェイドには意味が分からなかった。
 自壊、と呟くジェイドに五十鈴が瞼を伏せる。

「ドラゴンの魔力に、人間の体が耐えきれず、崩壊したのだ」
「…………お前……」
「それでも」

 そんな前例があるのに、とジェイドが唇を震わせるのを強く遮り、五十鈴は腹を押さえた。
 まるで、既にそこに我が仔がいるかのように。決して手放しはしないと叫ぶように。

「それでも、吾は御前の御子が欲しいのだ。必ず、必ず生み育ててみせようぞ」

 閃光色の双眸に灯った執念にも似た炎を、ジェイドは不覚にも美しいと思った。

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あきゅろす。
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