小説
十二話
カールは本人が言った通り、ジェイドと一つふたつ会話をしたかっただけのようで、別れはさっぱりしたものであった。
さっぱりといっても、ジェイドが知る通りの戦闘狂に変わりないカールは五十鈴に対してうずうずと落ち着かない猫のようであったが、ジェイドがきつく言いつければいきなり襲いかかることもない。逆にジェイドが言わなければ後ろから襲いかかったり、いきなり蹴りかかったりなど平然とするし、相手がそれで怒りを露わにすれば下品な笑い声を上げるのだ。
言いつけを守らせるところまで躾けるのには苦労したものだ、とジェイドが疲れた顔をすれば、ようやくふたりになれてご機嫌な五十鈴が「休むか? 吾の膝を貸すぞ?」と更に疲れることを言う。
「いらね」
「御前はつれない方であるな……もっと夫婦のこみ……こみゅ、こみに……」
「コミュニケーションな」
「コミュニケーションをとるべきぞ」
「夫婦じゃないんで却下」
「あんなことこんなことをしておいて!!」
「やめろ馬鹿声がでけえ!!」
半ば意地で五十鈴の夫婦発言を否定し続けているジェイドだが、正直限界を感じ始めている。昨日今日で早すぎるが、考えてもみてほしい。
相手は自分が夫である限りのみ制御可能なドラゴンなのだ。
そして既成事実もあるのだ。
どっちが重いかといえば前者であるし、どっちが痛いとなれば後者である。二重の意味でやっちまったな感が半端ない。実際やっちまったのだ。
「……そういや」
「なにか?」
ジェイドは話を誤魔化すように話題を探し、ふと浮かんだ疑問を口にする。
「百鶴宮ってなんだ? 家名はないんだろ?」
「ああ……」
五十鈴はあからさまに声を低くした。
それは退屈そうであったし、くだらなさそうであった。
ジェイドは不覚にも自身の質問にそんな反応をされるとは思わず、顔を固まらせた。
そんなジェイドに気づいた五十鈴はわたわたと袖を揺らし、ジェイドの頬を包むと無表情なりに必死な様子で言い募る。
「御前がどうというわけではないのだ。吾にとってはその……つまらぬ呼び名……通称でな」
「通称?」
「この西の地ではなんの関係もない。ただ、御前以外に気安く名を呼ばれたくなかったが故に出てきたに過ぎぬ」
「ギルド証はいいのか」
「ギルドには御前と幾度となく出入りすることになるであろう? そのときに呼び名が違えれば、いらぬ勘ぐりを受けようかと思うてな」
五十鈴なりに考えているらしい。
そも、ドラゴンは魔物とは思えぬほどの知性を有した生き物だ。加えて五十鈴は自己申告を信じるのであれば二千年の時を生きている。並の人間よりも余程優れた思考を有していてもおかしくはない。もっとも、人間という種で考えれば、老いは決して賢人に近づけてはくれないのだけれど。
「御前」
ジェイドが感慨深く思っていると、五十鈴がジェイドの手を引いて反対の手である方向を指差した。
ジェイドは五十鈴が指差す方向を見て、すん、と表情を失くす。
「連れ込み宿! 連れ込み宿ぞ! 御前!」
「行くぞ」
「うむ、ゆこ……御前? そちらは連れ込み宿では……御前! 妹背の一時の休息にっ、御前!」
「俺は淑やかで慎ましいのが好きだ」
ぴたりと五十鈴が黙る。視線は未練がましく連れ込み宿を見ているが、ジェイドの三歩後ろをしゃらんしゃらん歩いて立ち止まることはない。
ほっとしたジェイドだが、隣を歩くようになった五十鈴がまた後ろを歩いていることに妙な落ち着かなさを覚えて僅かに振り返る。
五十鈴は腹を擦って俯いていた。
「……具合、悪いのか」
「いや?」
「腹……」
「ああ……」
五十鈴がしずしずと寄ってきて、ジェイドの耳元へ唇を寄せる。
「ドラゴンの花嫁は子のために胎を空けるが故、子ができるまで胎が寂しくなるのだ」
「は……?」
「御前と出会うまでは知らぬ感覚であるが……なかなか……お気に成されるな。吾は淑やかで慎ましき妻故、ねだるなどという淫らな真似はせぬ」
そのまま再び三歩後ろへ戻ろうとする五十鈴の腕を掴み、ジェイドはそっと彼の耳元へ問うた。
「ちなみにだが……それはどうにもならねえもんなのか?」
ジェイドには腹が、胎が寂しいなどという感覚は当然分からない。だが、絶対に違うだろうが常に空腹を抱えているようなものと想像すれば、それは酷く落ち着かずもどかしく、辛いものだろう。
ジェイドが気にかけるとは思わなかったのか、五十鈴は睫毛を揺らして、それから嬉しそうに微笑んだ。
「お気持ちだけで十分ぞ」
「……いいから、なんか方法あるなら言えよ」
「吾は淑やかで慎まし」
「それはもういいからっ」
俺が悪かったから、とジェイドが重ねれば、五十鈴はきょとんとしたあとに恥ずかしそうに僅かに頬を染め、ジェイドへ囁き返した。
「子種を注いでくだされば、少しの間は……」
ジェイドはゆっくりと通り過ぎた連れ込み宿を見て、五十鈴を見て、連れ込み宿を見る。
「重ねて申し上げるが、お気に成されるな。子を成すまでは続くこと。節操なく欲しがっては」
「行くぞ」
ジェイドは五十鈴の肩を抱いてもと来た道を引き返す。
五十鈴が凝視してくるのを無視しながら、連れ込み宿へと向かう。
「……いらっしゃい」
「ん」
「奥から三つ目が空いてるよ……」
連れ込み宿の薄暗い入り口を入り、幕のかかった窓口の向こうに銀貨を突っ込めば、くぐもった返事がある。
「ご、御前」
「てめえの責任くらい負ってやる」
指定された部屋に入るなり、ジェイドは五十鈴の唇を奪った。
一瞬重ね、離し、再び重ねて深く貪る。
閃光色の目が蜜色に変わる。
「現役冒険者はしつけえぞ、覚悟しとけ」
唇を離すなり脅しつけるように言うジェイドへ、五十鈴はまるで意中の少年から花を貰った少女のような笑みを浮かべてジェイドの背へ腕を回した。
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