小説
八話



 宿に戻ってからドラゴンはしきりに鏡を覗き込んでいた。
 被衣と角を飾るのは花を模した宝石細工の髪飾りで、透かし編みの被衣を更に華やかに彩っている。
 審美眼が優れているわけでもないジェイドであるが、なかなかいいものを選んだのではないかと思われる一品をドラゴンは殊の外気に入り、店から道中までもちまちまと触れては無表情を綻ばせるほどに喜んでいた。
 東方のドラゴンはどうかは知らないが、西方のドラゴンは宝石などの宝物を集める習性がある。
 決して安くはなかった宝石細工を喜ぶのもその一端かとジェイドが思えば、ドラゴンは頬を染めながら言うのだ。

「御前が吾を想うて選んでくださった」

 あれでもない、これでもないと悩んで選んだ姿がなによりも嬉しかったらしい。
 気恥ずかしくて帰りの道は早足で進んでしまったが、しゃらしゃらと後ろから続く音は軽やかであった。
 角を隠すことができたのだから袖なし外套は既に必要なく、透かし編みの被衣だけで薄っすら姿を隠す幻妖なドラゴンの姿はひと目を引き、ともすれば人攫いにでも遭いそうであったけれど、気づいたジェイドがひと睨みすれば誰もが散っていった。そんなことにさえドラゴンは喜び、もはや突き匙が転がってもおかしいというように笑う。
 もっとも、それは宿に着くまでで、女将が姿を見せればドラゴンはもとの無表情に戻った。

「あらぁ、随分美人さんだったのねぇ。素敵な髪飾りだわぁ」
「今日からこいつが増えるから」
「えぇ。そういえば宿泊代はどうするぅ? 別々がいいかしらぁ?」
「一緒でいい」
「はぁい」

 そうして部屋へと戻ったのだが、ドラゴンは物言いたげにジェイドを見つめて戸口から動かない。

「どうした」
「……人間は生きるのに金銭が必要になるであろう?」
「……ああ」

 殊勝にも気にしているのか、とジェイドは変なところで遠慮しいなドラゴンに苦笑いを浮かべる。
 妹だ嫁だと押しかけておきながら、今更自らがついてくることによって発生する金銭が気になっているらしい。
 幸いにもジェイドは最高ランクの冒険者だ。趣味らしい趣味もないため目立った散財もしてこなかった。今更人一人……人ではないが連れをひとり養うことくらいは訳ない。
 一拍遅れてジェイドは自身がドラゴンを養う気であることに気づき、愕然とする。いつの間にそこまで諦めた。

「……暫し外へ出てくる」
「なにしに」

 流石のジェイドも今日出会ったばかりのドラゴンを、街に放流する気にはなれない。
 振り返ったドラゴンはちらりと視線を外しながら「路銀を……稼いでくる」とぼしょぼしょ聞こえ難い声で言った。
 ドラゴンが路銀を稼ぐ。なんだかとても頓痴気な字面だ。

「……どうやってだよ」
「鱗でも売れば良い金になるであろう?」
「そういうのは禁止だっつっただろうが」

 なによりも市場が混乱していらぬ厄介事が舞い込んでくる。
 むう、と口を尖らせるドラゴンに納得した様子はなく、自分に隠れてこっそりなにかをやらかされても困るジェイドは一つ提案することにした。

「明日になったら冒険者として登録してもらうんだ。そんで冒険者として稼いでいきゃいいだろ」
「なるほど、道理である」

 納得するが早いか、ドラゴンは部屋に設置されている小さな鏡の元へ向かい、髪飾りをじっと眺め始めた。
 夢中といった様子なので暫くはなにも問題を起こさないだろう。
 ジェイドはほっとしてベッドへと身を投げる。
 なんとなしにドラゴンの姿を眺めていると、振り返ったドラゴンがひと跳びでジェイドの上に跳んできた。
 咄嗟に避けようとするが間に合わず、ドラゴンはジェイドの上に伸し掛かる。
 軽い。
 覚悟していた重さは全くなく、ふわふわと羽が撫でるような重みがあるばかりだ。

「お前、出かける前は普通に体重あったよな……?」
「飛び乗れば御前に怪我をさせるやもしれぬ。重力を弄した」

 そうだ、相手はドラゴンだ。
 人間よりも余程魔法に長ける最高上位種の魔物だ。
 ジェイドの上で猫のように懐いている姿からはとても想像できないけれど。

「そういえば」
「うん?」
「登録書類書くことになるが、お前字書けるのか? 代筆できるが」

 冒険者ギルドに限らず、ギルドに登録するには登録書類への記載が必要になる。ドラゴンが字を書けない場合はジェイドが書くことになるが、と説明すれば、ドラゴンはのそりと身を起こして宙に指を走らせる。
 指先の軌跡を淡い光が走り、それは線となり、文字となった。
 ──だが。

「…………古代文字か……?」
「現代の公用文字ではないか……まあ、吾が人間の用いる文字というものに興味を持ったのは昔のことであるし……」

 しゅん、と俯くドラゴンの頭を乱暴に撫でてやり、ジェイドはポーチから紙とペンを取り出す。

「ドラゴンの頭ならこの場で覚えられるだろ。書いてやるから、名前と大体の年齢、大体の出身地頼むわ」
「名前か」
「ん? ああ……そういや聞いてなかったな」
「吾も伺っておらぬよ」
「それで妹だの嫁だのよく言うわ……」

 ドラゴンは再びジェイドに擦り寄って寝転がる。

「御前が何者であっても、吾の御前であることに変わりはないもの」
「……あっそ。で、名前」

 ジェイドの耳元へドラゴンの唇が寄せられる。
 とっておきの秘密を囁くような甘やかな声色に、ジェイドの脳が痺れる。

「──五十鈴」

 離れていく唇にぞくぞくとしたものを感じながら、ジェイドは紙にペンを走らせる。

「家名は? ってか、あるのか?」
「ないな。美称をつけて天之五十鈴と呼ばれることはあるが」
「美称? ふうん、まあ家名がないやつなんざごろごろいるしな」
「ビッテンフェルト」

 あ? とジェイドは視線だけで自らの肩口に頭を乗せるドラゴン、五十鈴を見遣る。
 反対側の肩に腕を回してすっかりジェイドに抱きついている五十鈴は、もう一度「ビッテンフェルト」と繰り返す。

「御前の血筋を表す名であろう?」
「なんで知って……ああ、絡まれたときか」
「左様。吾もビッテンフェルトでよいのではないだろうか。妹背が同姓であることは、人間のなかでは珍しいことではなかろ?」
「役所で諸々の手続きしてねえと無理」

 ごす、と五十鈴の頭がジェイドの肩へぶつけられた。抗議のつもりらしいが、無理なものは無理だ。
 逆に冒険者ギルドで身分証を得てしまえば役所で手続きを行うことも簡単なのだが、ジェイドは敢えて五十鈴には教えない。
 一応、ジェイドのなかでは、五十鈴を妹だの妻だの嫁だのと認めたわけではない。ないのだ。ほんとうに。多分。

「で、次。年れ……」
「御前!」
「なんだよっ」

 大声を出されてジェイドは五十鈴から距離を取ろうとするが、がっちりと抱きつかれていたのでそれも叶わない。

「御前の尊名を伺っておらぬ」

 とうとうジェイドの上に乗り上げ、ジェイドの頭の横に両手を突いた五十鈴の神剣な顔、閃光色の眼のなかに呆けた自身の顔を見つけてジェイドは一瞬目を逸らす。

「ジェイド」
「存じておる、翡翠のことであろう」
「女々しいから嫌なんだよ」
「御前の目と同じく美しい名であるがなあ」

 じいと覗き込まれて、ジェイドは五十鈴の顔を掴んでやめさせる。
 五十鈴はおとなしく退いて、というよりも元のようにジェイドに抱きつく形に収まって、改めて「質問を」と促した。
 自由な五十鈴に呆れながら、ジェイドは途中だった質問を続ける。
 ──結果的にギルドへ登録に行く前にやりとりをしてよかったことが判明する。
 そうでなければ五十鈴は堂々と年齢を二千歳以上、出身地を極東の天空と記載することになっていたからだ。
 ジェイドのもとへは随分な姉さん女房が押しかけてきたらしい。

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あきゅろす。
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