小説
六話



 慌ただしかったこともある。
 ドラゴンが冒険者として登録するのは後日ということになり、ジェイドとドラゴンは宿へと向かった。
 ジェイドが長期宿泊している宿はそこそこ飯が上手く、そこそこ小奇麗な、そこそこの宿だ。

「あらぁ、お一人様増えたのぉ?」

 おっとりと宿の女将がジェイドの後ろに立つドラゴンを見て、ジェイドに伺うように視線を向ける。

「部屋空いてるか」
「えぇ。でもお隣というわけにはいかないわぁ」
「別にかまわ……」
「共寝をするので部屋は一つで構わぬ」

 ジェイドは壁に頭を打ち付けた。
 女将が「あらあら」というのは、何に対しての「あらあら」なのか。果てしなく知りたくない。
 素早くドラゴンを振り返り、その顔を鷲掴みにしてでも黙らせようと行動しかけたジェイドであるが、つ、と合った視線。
 閃光色の双眸がジェイドだけを見つめている。
 眩い光のような目が、どうしてか今この時、この一瞬だけは蜜のように甘やかな色に見えた。
 ジェイドは力の抜けた腕に舌打ちし、女将に向き直ると「広い部屋に変えてくれ。料金はその分出す」と告げた。
 女将はにこりと微笑むと承知して、新しい部屋への鍵を渡す。ジェイドは置いてある荷物を移動させればそれでいいらしい。
 そうして得た幾時間振りかのドラゴンとのふたりきりの空間で、ジェイドは疲れ果てたようにベッドへ寝転がった。事実、ジェイドは伸し掛かる疲労を感じていたし、その原因であるドラゴンは袖なし外套を脱いで不満そうに隣のベッドへ行儀よく腰掛けている。

「褥も一つで構わぬというに」
「構うわ」
「……つれない御方だこと」

 ドラゴンが立ち上がり自身のベッドへ寄ってきた瞬間、ジェイドは反対側の床へと転がり落ちた。

「来るなっ」
「……あまりなお言葉ぞ」

 ジェイドの使っていたベッドの上に乗り上がり、ぺしゃりと座り込むドラゴンはまるで行く宛を失った乙女が如く哀れな風情で、さらさらと肩口で結んだ真白の髪が揺れる様さえ頼りない。
 騙されてはならぬ。
 ジェイドは目を逸らす。
 眼の前の相手はドラゴンである。最高上位種の魔物である。つい数時間前にジェイドを生焼けにして肋骨露出させた相手である。
 ジェイドは視線を戻す。
 常識的に考えてぶっ殺すべきではないだろうか。
 現実的に考えてぶっ殺すのが相当難しいというか、ぶっ殺しそこねてこうなっているようなものなのだけれど。
 ドラゴンは相も変わらず無表情であるが、僅かに俯いて憂いを漂わせる。

「吾は御前の他に寄る辺もないというに……」
「故郷に帰れよ」
「出戻りに優しい故郷ではないわ」
「出てない出てない」

 ドラゴンは盛大にため息を吐く。
 鼻白むジェイドに向かい、不満を訴えるようにベッドをたしたしと叩いたドラゴンは無表情に反して切実な声で訴えた。

「人間は生娘の有無も分からぬやもしれぬが、ドラゴンはそうではない」
「おい」
「契った相手と添い遂げぬドラゴンなどとんだ尻軽と侮蔑の対象ぞ!」
「お前、分かっててヤッただろ」
「婚前交渉など、相当に思った方でなくば許さぬぞ」

 染まりもしない頬に片手をあてるドラゴンの白々しさに、ジェイドは床に後ろ手を突いて天井を仰いだ。
 ドラゴンに既成事実を作られた人間など、己が初めてではないであろうか。嬉しくない前人未到への第一歩に、ジェイドは投げやりな気持ちになってきた。
 だからいけないのだろうか、ベッドから落ちてきたドラゴンが堂々と膝に乗り上げて擦り寄ってくるのを防げず、ジェイドは「退け」と声を荒げる。

「ふふ、先程は嬉しゅうてならなんだ」
「あ゛?」
「庇ってくださったであろう」

 意味の分からなかったジェイドであるが、ドラゴンが続けて「冒険者とやらから」と告げたことで己の行動を思い出す。
 必要もない……いや、目立つことを回避するためには必要であったのだが、剣を向けられたドラゴンを確かにジェイドは庇った。結果的にドラゴンの行動により目立ってしまったが、ジェイドがドラゴンを腕のなかに抱いて凶刃から逃れさせたのは事実なのだ。

「御前の口はつれないことばかりを申し上げるが、行動こそが雄弁なれば愛らしい背の君への愛慕が増すばかりよな」
「誰の行動がなんだっつうんだ、寒々しいことを言うんじゃねえ」
「そら、こうして素直でないお口をお持ちでいらっしゃる」

 ちう。
 何気ない仕草で口を吸われ、ジェイドは固まる。「魔物」を前に無様であるが、ドラゴンに乗り上げられるという状況を許している身で、抵抗らしい抵抗もできていない身で無様も有様もあったものではない。
 するするとドラゴンの繊手がジェイドの胸を這い、肩口に頬が擦り寄せられる。ドラゴンというよりも懐いた猫のようだ。

(…………猫なら、可愛いもんだが……いや、なにやってんだ)

 無意識にドラゴンの体を支えた自らの腕に気づいたジェイドはすぐに腕を下ろそうとするが、それよりも早くドラゴンの手がそっと腕に添えられた。
 耳を擽るのはころころという笑い声。
 きっと、ドラゴンは無表情のままだろう。
 それでも。

(機嫌のいいドラゴンの不興を買うのは……得策じゃねえよなあ……)

 そうだ。
 ならば。
 仕方のない。
 ことだ。
 一つひとつ噛みしめるように飲み込んで、ジェイドはドラゴンを幼子にするよう緩く揺らしてやり、益々ころころと上がる笑い声に自分でも知らぬうちに口角を上げていた。

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