小説
五話



「──まあ、そんなわけないよな……」

 ジェイドは目の前の光景に痛みだした頭を押さえた。

「御前、お戻りか」

 しゃらしゃらと不思議な音を響かせてジェイドのもとへ寄ってきたドラゴンは、首を鷲掴みにしていた男を放り捨てた。
 ジェイドは地面に転がった男を見下ろし、ドラゴンの袖なし外套から覗く顔を見遣る。

(……姿は見せてねえし、いいか)

 一つ頷いて、ジェイドはドラゴンを促す。

「行くぞ」
「あい」
「待てッ」

 ジェイドの後ろをついて歩こうとしたドラゴンに向かい、後ろからかかる怒声。
 振り返り様、ジェイドはドラゴンの体を自分のほうへ寄せた。
 ひう、と風を切る音。
 振り下ろされたのは鈍い刃。
 ドラゴンがいままさにいた場所へ突き立てられた刃に、ジェイドは目を眇めて凶手へ視線を向ける。
 幸いなのか、厄介なのか、相手は見知らぬ冒険者だ。
 ジェイドを、正確にはドラゴンを睨みつけて剣を引く冒険者を、ジェイドはドラゴンを背に庇って見遣る。

「なんのつもりだ?」
「こっちの台詞だ、うちのやつをボコってくれやがって……」

 ジェイドはドラゴンによって放り捨てられた冒険者に視線を向け、仲間に助け起こされながら悔しそうな顔をする彼につまらなそうにため息を吐く。

「仲間の喧嘩に一々尻拭いしてやるなんざ、過保護なことで」
「喧嘩だ? そいつがなにしたと思ってやがるっ」
「……なにしたんだ?」

 ジェイドは今更自身にぴっとりと寄り添うドラゴンへ問いかけた。
 ドラゴンは閃光色の目をまばたきもさせずにジェイドを見つめ、悩むようにゆっくりと横へ視線を滑らせた。

「御前との関係を訊かれたので答えたら、なにがおかしいのか笑いおったので捻り潰してやろうとしたところで御前が……」
「…………聞きたくねえが、なんて答えた」
「妹背である、と」

 容姿がろくに見えぬ装いであろうと、声の低さで男と分かる。古雅に夫婦関係を告げられた、ただでさえ粗野な人間の多い冒険者である、笑いの一つや二つ飛ばすだろう。
 あー、と唸りながら頭を抱えれば、ドラゴンはなにを勘違いしたのか「半殺しにもしておらぬぞ? 侮辱に対する正当な反撃であって襲ったわけでもない」と自らに非がないことを訴えてくる。
 ドラゴンのなかではどこまでも自身に正当性があり、悪いのは冒険者なのだろう。
 ここでジェイドが夫婦関係を否定すれば、またしても「契っておきながら」と人目を憚らず騒ぎそうで彼は口を噤むしかない。つまりどちらにせよ「夫婦……?」とざわめいている衆目を前に、なにも否定ができないのだ。
 すーんと目が死んでいくのを感じながら、ジェイドは未だに剣を抜いたままの冒険者に視線を戻す。

「……連れを笑ったそっちが悪かったってことで」
「それで収まりがつくわけねえだろうがっ」
「……だったらなんだ……──やるか?」

 ジェイドの低い声に一瞬怖じた冒険者であったが、しかし、彼はぐっと前に出てジェイドへ剣の切っ先を向ける。

「ビッテンフェルト、てめえいまサブ装備じゃねえか」
「……だから?」
「確かに俺はまだランクでてめえに届いてねえが、サブ装備のてめえに負ける気は……ばぐぅブぷッ」

 冒険者が後ろにいた仲間諸共吹き飛んだ。
 ジェイドの前に立つのはつい一瞬前まで彼に身を寄せていたドラゴンで、袖なし外套から掌を覗かせた彼はひらりとと袖なし外套を翻すと嫌悪に塗れた声で吐き捨てる。

「御前と……うぬら虫けらを同列に語るな」

 肌を刺すような殺気。
 一歩、踏み出すドラゴンの肩をジェイドは躊躇いなく掴んだ。

「騒ぎを起こすなって言っただろ」
「……あいすまぬ」

 ジェイドは地面に伏して動かない冒険者たちを一瞥し、生きていることだけ確認すると背を向ける。
 いつの間にかできていた人集りが、ジェイドとその後ろを歩くドラゴンを避けるように割れる。

「あー、変な噂になったら面倒だな……」
「吾が至らぬ妹であるばかりに……」
「いや、それ以前にお前が嫁であるという自意識が問題だからな?」
「吾が妹でなくばなんだという。一夜を慰めるだけの遊び女になど身をやつした覚えはない。吾が肌を許したのが御前だけ……」
「うるせえなっ」

 嫁の主張を始めたドラゴンはあからさまに不満そうに、袖なし外套の内側で頬を膨らませた。
 僅かに覗く秀麗な顔の児戯た表情にジェイドは眉を寄せ、それから疲れ果てたようにため息とともに肩を落とす。

「お前の身分証も用意しねえとな……」
「身分証?」
「あれば便利なんだよ。ないと不都合なくらい」
「ドラゴンでも得られるのか」
「人間としての身分証に決まってんだろ」

 ふうん、と曖昧に頷くドラゴンに、少なくとも人間の振りをすることに厭う雰囲気はない。こうして人型を取っていることからもそこまで不安には思っていなかったが、完全に人間として扱われればドラゴンとしての自尊心から憤るのではないかと懸念していたジェイドは安堵する。

「ギルド前で盛大に冒険者打ちのめしちまったし存在は知られるだろ……冒険者として発行してもらうか」
「御前と同じ生業となるのか」
「ああ」
「御前のお仕事についていってもよいのだな」
「……………………別についてくる必要は」
「よいのだな」

 ジェイドは隠さぬ舌打ちも強かに、乱暴に頷いた。
 後ろからはしゃらしゃらと不思議な音色に合わせ、ころころと笑い声がする。
 振り返れば無表情に笑うドラゴンがいて、ジェイドの隣へ並んで一瞬だけ肩へ頭を寄せた。

「幾年末永くお傍に……」

 甘ったるい恋にまみれた声音は、ジェイドの鼓膜だけではなくなにか、目には見えないどこかをも震わせ、やがて溶けていった。

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あきゅろす。
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