小説
九話




 元若頭藤代鏡一、久巳組五代目組長を襲名。
 元本部長園江貫之、その立場を顧問へ移行。
 元組長叶四季、引退。

「申し訳ありません、あなたに何もかも押し付けて」
「やめてくださいよ、園江さん。鳥肌が立ちます……」

 畏まった貫之の口調に腕を擦る鏡一は、真新しい久巳組本家で庭を眺める。
 かつての姿と似せて造られてはいるが、がらりと変わった部分もある。警備のことも考えれば当然だ。

「俺はあなたと組長……叶さんに尽くすことを決めています。野垂れ死ぬだけの人生だったんだ。幾らでも使ってください」

 涼し気な笑みを浮かべながら鏡一が思い出すのは、遠い過去のこと。
 まだ、鏡一が西訛りで話していた頃のこと。
 鏡一の父親はどこにでもいるような、ちょっと気の弱いサラリーマンだった。母親は息子の目から見てもきれいなひとで、ふたりが結婚できたのが不思議でありつつも幸せな家庭であったのだ。
 高坂組の組員であった男が母親に目をつけるまでは。
 幹部というほど高い地位にいたわけではなくチンピラ同然のろくでなしは、街で見かけた母親を気に入るとストーカーのように付け回し、接触してくるようになった。
 警察は当時ろくに相手をしてくれず、始まった父親への嫌がらせに彼は職を失い、いつの間にか借金を抱えるようになった後に姿を消した。
 そして堂々と母親の前に現れ、まだこどもといえる年齢の鏡一と弟を養育することを盾に彼女を脅した男は、母親をつなぎとめるために彼女を薬漬けにした。
 段々と現実を見れなくなっていく母親と、ペットに餌を投げ寄越すような扱いをしつつ、気に入らなければ容赦なく殴る蹴るの暴行を加えてくる男。鏡一と弟が骨を折ったのは一度や二度ではない。
 いつか殺す。絶対に殺す。
 ぐったりとする弟を抱きしめながら鏡一は誓っていた。
 だが、ある日を境に男は姿を見せなくなった。
 警察から事情聴取で連絡がきたのは暫くしてから。
 獣にでも食い散らかされたのかという有様の死体として、男は再び姿を見せた。
 久巳組の仕業だと、成長した鏡一は理解した。
 表向きは自殺だったけれど、証拠だけがなかったのだ。事実、当時の高坂組には追い詰められて自殺するものもいた。
 全てがすべて久巳組が「実行」したことではない。
 鏡一は嬉しかった。心の底から久巳組に感謝した。
 やっと男から解放された。
 しかし、喜んだのも束の間、母親が心不全で死んだ。薬が原因であった。
 鏡一はどれだけ時間をかけてでも関東へと向かうことを決意した。
 まだ自分は、自分の手では、誰にも復讐を果たせていないのだ。

「門の前で土下座してお礼叫んでるガキが来たときは、とんだ気違いが度胸試しにきたもんだと思ったわ」
「あはは、似たようなもんですね。でも、ほんとうに感謝してるんです。ほんとうに、俺は久巳組に感謝しているんです。久巳組でなければ、いけなかった。
 だから、いいんですよ……園江さん」

 鏡一の視線が貫之の片手に向けられる。
 手首から先がない腕は、貫之が自身で「食い千切った」結果である。
 四季が引退した理由は博徒でありながら利き腕を負傷した結果、神経を傷つけてまともな働きができなくなったためだ。その以前に半グレの襲撃を受けて本家が全焼したという醜態のこともある。
 貫之は四季が負傷した現場にいながらそれを防げなかった責任があるとして、自ら肉を食い千切り、関節を砕いて手首を引き抜いた。そういう理由になった。された。
 四季も貫之も第一線から退いたが、立場上完全に一般人へなれるわけではない。貫之は顧問へと立場を変えただけで久巳組へ留まっているし、四季は。

「義兄さんが役立つ年上の部下はやり難いって言ってました」
「ふふ! 匂坂にこそ土下座でもなんでも必要よね。でも──大事な弟なのよ」

 咲い、震え、貫之は零れる涙が落ちるのを追うように崩れ落ちる。
 鏡一は弟への身勝手を貫いた兄の姿を努めて視界に入れず、ただ平穏な庭を眺め続けた。



「ぶえあああああああああっっ」

 カフェでも働き始めた光也に店前の掃除を頼んでいたのだが、彼が上げた素っ頓狂な悲鳴に静馬は急いで飛び出していった。

「どうしたみつ……おーい、まだ店やってねえぞ、クソヤクザ」

 腰を抜かして地面へ座り込む光也の視線の先、四季が下手くそな口笛を吹いて立っていた。

「葬儀以来だな。ちょっと野暮用がなー。ってかなんだ、昼もいるようになったのか」
「とっくに自慢の頼もしい戦力なんだよ。光也、買い出し頼むわ」
「うぃっす!!」

 静馬はきらきらと目を輝かせた光也に手を振って促し、彼が箒を放り出して駆けていくのを見送ると改めて四季の前に立つ。
 四季の片腕はだらりと力なく垂れ下がっている。
 その理由を以前ならば静馬は問わなかったであろう。
 けれども、現在ならば。

「どうした? それ」

 四季は困ったように、少しだけ悲しそうに眉を下げると、次いで晴れやかに咲った。

「幸せになりにきたぞ!」
「…………は?」
「ニュースにはあんまりしないようにしたが、組長引退だぞ。完全にヤクザ辞めたわけじゃない。匂坂の部下やってるからな。でも、引退した」

 静馬は目を見開いて四季を凝視する。
 四季は一生ヤクザで居続けるものだと思っていた。ヤクザのままでもどこかで妥協してくれれば、どうしてか自ら不幸せになるような道ばかりを選んでいる背中を振り向かせられたならと思っていた。
 好きだと語るくせに、背中しか見せない四季に何度も苛立って、だからこそ、静馬は。
 四季が片腕を不自由そうに動かしながら、地面へと跪く。
 不器用に片手が懐を探り、差し出されたのはビロードの小箱。

「マスター……静馬が好きだぞ。ほんとうに、好きだぞ──あなたに会えてよかった。これまで生きてこれてよかった。
 愛しています。俺と幸せになってください」

 数秒の沈黙。
 静馬は開けられていない小箱を受け取り、そっと開く。
 男物のプラチナリングが輝いていた。

「返す」

 四季が硬直し、ばっと勢いよく顔を上げる。
 悲痛なその顔の前に静馬は小箱を突きつけた。

「静馬…………静馬?」

 震える手で小箱を受け取った四季は、空っぽの小箱にまばたきすると静馬の手元を急いで凝視した。
 今まさに左手の薬指へ嵌められていくプラチナリング。

「『まずはお友達から始めましょう』。でも──予約だけは受け付けてやるよ」

 笑って左手薬指を見せつける静馬に、四季が立ち上がり抱きつく。

「愛してる! 愛してるぞ!!」
「あー、はいはい」
「静馬はっ? 静馬はどうなんだ!」
「俺か? 俺は……」

 散々迷惑をかけられた。ヤクザなんてろくなものじゃない。その上、四季は身勝手で矛盾していて言葉の責任もとれない馬鹿野郎で、大嫌いだった。
 大嫌いだったのだ。
 きっと腕を引き換えにして、四季は組長を引退した。それほどのことがあって、静馬の前に立っている。
 幸せになりにきた、と言って。
 おかしくて静馬は笑う。笑ってしまう。自分にも四季にもこみ上げてくる笑いが抑えきれない。
 口元に笑みを残したまま手を伸ばし、四季の以前より不格好に結ばれたネクタイを引き寄せて静馬は唇が触れそうなほど間近で囁いた。

「いつか愛してやるよ」

 程なく、開店前のテッセンにエスプレッソの香りが漂う。
 長くながく親しみ続ける香りは、いつか在ることが自然のものになるだろう。
 そう在ることを、切に、切に願われたように──

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