小説
二話
身内の見舞いに行くので臨時休業だと光也へ告げたら「車出しましょうか?」と親切な申し出があった。病院の駐車場にはバイク駐輪場がなく、近くの駐輪場を使わなくていけない場合が多いのだ。
少し考えたが普段光也に年上として接している分、身内の前での姿を見せるのが気恥ずかしくて静馬は遠慮した。もとよりバイクではなく電車で行くつもりだったのだ。
光也が「植木鉢はだめっすよ! なんでか知らないっすけど!」と「なんでか知ってる」静馬に助言をくれたので、彼はもちろん植木鉢など用意せず、というかそも生花そのものを用意せずに手ぶらで病院へ向かう。昨今は生花の持ち込みはもちろん、ちょっとした食べ物であっても患者へ与えることは禁止されているのだ。
小説やなにかがあればよかったかな、と思ったのは駅の改札前まで来てからで、病院の近くに本屋があれば寄ろうと静馬は考える。
直後。
とん、と衝撃。
「え?」
振り返った静馬は大きく目を見開き、よろめいた。
全身から力が抜けていく。
立っていることができなくて、ずるりと地面に座り込む静馬を見下ろす人影。
周囲がざわめいたのが、呆然とする静馬の意識に引っかかった。
それ以上に静馬の意識を奪うのは、笑み。
上がった、口角。らしきものだった。
「おれは親父と同じ轍は踏まない」
四季は静かに宣言した。
聞いているのは貫之、鏡一、夾士郎という限られた人間のみだ。夾士郎がこの場にいるからこそ、限られた人間しかいないともいう。
四季の言葉の意味を芯まで理解できるのは貫之で、彼は一瞬だけ眉を寄せるも無言を貫く。
「それはどういった意味でしょうか」
逆に鏡一は慇懃な様子で仔細を訊ねる。
四季は鏡一の細やかなところを好ましく思っているし、現在の久巳組には必要だと判断もしている。だが、いまは深く訊ねられたくない気分でもあった。
私情だと判断されかねないのだ。
違う。
そうではない。
いや、そうなのか。
どちらでも同じだ。
重たい唇を四季は開く。
「白砂静馬が真っ先に狙われるのを回避するぞ」
「…………それは……」
久巳組がする必要のあることか、とは鏡一は続けない。四季が鋭い視線を投げかけたからである。
やはり、そう判断されるか、と四季の胸中に苦いものが広がる。
「工藤が白砂を狙いかけた件は知ってんな。なら、あっちも分かってるだろうよ」
「それをあなたが止めるだけの交友がある相手だとも知られている」
貫之の目がふと遠くを見て、口角が歪に上がる。
「今度は、マスターさんがあんな目に遭うのかしら。薫さんみたいに……薫さんがされたみたいに……首が、送りつけられる、の……っ?」
忙しなく前髪をかき乱し、上ずった声で予想する貫之に四季は頷いた。
それが開戦の狼煙になるだろう。
あのとき、梅坂がしたように。
「梅阪」は、再び同じことをするだろう。
「我慢ならねえんだ……これ以上どうしてあっちの奴らに好き勝手を許せる? 潰せる芽は潰す。燃やす。今度は徹底的にやる──薫さんと同じことは起こさない」
ぐるり、と四季の双眸に渦巻いた憎悪と悲しみ。
鏡一は不思議だ。
話には「先代姐」について聞いているけれど、居合わせた四季の年齢を考えれば彼が正気を保っている理由が理解できない。
四季はろくにカウンセリングも受けたことがないという。ひたすらに高坂組を中心とした関西暴力団組織壊滅のために学び続け、力を磨き続け、久巳組のなかで地位を重ねていったのだ。
復讐を終えて尚、心折れることなく、晴れた様子もなく、四季も貫之も淡々と「ヤクザ」で居続けている。それは鏡一にとってあまりにも不思議で、不気味であった。
「理解しました。それで方法はどうしますか? 匿うにしても、相手は一般人です。場所は若い連中のところでもよろしいですか?」
「いや……」
四季は考えるように人差し指の関節を唇へあてる。
そうして人差し指は伸ばされ、一人の人物へ向けられる。
「匂坂」
「んあ?」
丁度茶を啜ろうとしていた夾士郎は僅かに窄めた口から間の抜けた声を出し、続いた四季の言葉に目を大きく見開いた。ように見えた。
「マスターを迎えに行ってくれ」
尻餅を突いて見上げる先にいるのは、静馬の肩を軽く叩いた夾士郎。彼はサングラスもかけず、素のままの容貌を晒していた。
集中して見ればどうにか分かるのだが普段とは装いも異なるようで、普段の装いとはどういうものだったかと記憶を漁れば「そういえばユニクロっぽかった」ということに静馬は気づく。
いま、夾士郎が身にまとっているのは人前に出るにはいささかだらしないといえる格好だ。「権力には屈しない」というプリントがされている首元が伸びたジョークTシャツに、ハーフパンツはそれぞれ夾士郎の狂おしいまでに狂いのない四肢がしなやかに覗き、つまりは常よりも露出が多かった。
衣服に隠されているときでさえ他者を圧倒する美貌が、より露わになったならばどれだけの威力となるだろう。静馬は先程から視界が揺れているような気がした。
「悪いな、白砂さん。ちょっと一緒に来ちゃくれねえか?」
「一体、どういう……」
「あの馬鹿の厄介事に巻き込まれてるっていえば、話は早えかな」
静馬は一瞬で事態を聡った。
四季が起こしたか、起こされたかした事態にまたしても自身が巻き込まれていることに腹立たしさを覚えるより、静馬は緊張感に喉を上下させる。
どれだけの事態が起きれば、四季がしまいこむような扱いをしていた夾士郎が「迎えに来る」ようなことになるのだ?
「……四季は」
「本家。白砂さんにも……これから来てもらいたい」
ふつり、と静馬のなかで湧き上がる。
ずっと、ずっとずっと蓄積してきたものが、縁まで湧き上がる。
「分かりました」
「ほんとうに悪いな。車を……ッ」
夾士郎が静馬を背中に庇った。
どん、と誰かが勢いよく夾士郎にぶつかる。
体勢を低くして、両手になにかを構えて、夾士郎にぶつかる。
「匂坂、さん……?」
ぶつかった誰か、男がふらふらと夾士郎から離れて、その手からなにかが落ちた。
大ぶりのナイフが、落ちた。
「匂坂さんッッ」
静馬の絶叫が駅へと響いた。
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