小説
〈Under Order〉




「──このどろぼうねこ」

 つん、と顎を上げた美しい女は、初めて会った夫の愛人に対してひどく不器用に吐き捨てた。
 あまりにも拙い言葉の羅列。
 悪い言葉なんて言い慣れていないことがよく分かる居心地の悪そうな様子。
 言われた愛人は数秒堪えた後に、大きく吹き出してしまう。

「なにがおかしくていらっしゃいますのっ」
「ごめんなさい、馬鹿にしたんじゃないのよ」
「それがひとを笑うひとの言い草ですか!」
「だって、あんまりにも似合っていないものだから……!」

 顔を赤くした女は愛人を強く睨んだが、それ以上に罵倒を重ねることも、ましてや手を上げるなんて真似をしない。思いつきもしないという様子であった。
 極道を夫に持ちながら、女自身は両家の箱入り娘であった。筋金入りの「お嬢さん」であったのだ。

「……旦那様を他所でお慰めする方には『どろぼうねこ』と呼ぶのが慣わしと伺いましたのに……どういうことですの……」
「くっ……ふ……あなた誰に聞いたの」

 女は夫の右腕が繰り広げた修羅場の話をかいつまんで話した。
 愛人はこの稚さすら残す純粋な女に面白おかしく吹き込んだのだろうと気づいて蟀谷を叩く。

「ねえ、奥様。悪いこと言わないから私とお友達にならない? あなたの周囲より増しな話を……」
「お黙り」

 ぴしゃり、と言い切る女の鋭い眼差しに愛人は息を呑む。
 敵意があるわけではない。だが、敵対も辞さない目だ。領分を守らんとするものの目だ。

「わたくしはわたくしの周囲からなにを与えられようとも自身の耳目でそれを判断せねばならぬのです。それを、その場を取り上げようなどと、僭越と知りなさいな」
「……ごめんなさい」
「分かればよろしいですわ。男妾であろうとあなたのお役目は旦那様の無聊をお慰めすることにございましょう? 精々努力なさいまし」

 きっ、と前を見据える目に射抜かれて、愛人は頭を下げた。

「はい。はい、奥様」
「……ふふ」

 軽やかに女が笑う。
 顔を上げた愛人ははっとする。

「綾子でよくってよ、お友達未満の薫さん」

 女の無邪気な笑みは、あまりにもうつくしかった。

[*前へ][小説一覧][次へ#]

あきゅろす。
無料HPエムペ!