小説
八話



 戦争をして全て叩き潰されるか、手打ちに持っていって失いながらも生き残るか。
 千歳が選んだのは後者であった。
 それを、只ソレを可しとできない人間がいる。

「……なんだ、クソガキ共。このくっっそ忙しいときになんの用だ」

 方々へ電話をかける千歳のもとへ、四季と貫之は挨拶もなくやってきた。
 千歳と距離を置くように並んで座る四季と貫之。貫之は傍らに新聞と分厚い本を置いた。
 あからさまに不機嫌を顕にして睨む千歳は疲れを滲ませていたが、眼光の恐ろしさは常よりも鋭い。
 千歳とて怒り狂っているのだ。だが、組織の長であるという点が、彼を怒りに身を任せるということをさせない。彼は極道としてはあまりにも理性的であった。
 今回の選択とて、嘲笑を覚悟のことだろう。それでも、いずれ、いずれは、と雌伏の時を過ごすと決めたのだろう。
 けれども、高坂組はこれで勢いに乗る。そのまま関東を飲み込むこととて考えるだろう。そうなれば弱体化した久巳組が手を出せる可能性などどれほど残っていることか。
 だめなのだ。いまを逃すわけにはいかないのだ。
 いま、立ち上がらなければならぬのだ。

「『親父』」
「……あ?」
「血讐はいつだ?」

 殊更ゆっくりと千歳が首を傾げる。
 きょとぉんとした表情は、しかし恐ろしい。四季はぞっと背筋が粟立つのを堪え、真正面から千歳を見つめる。

「血讐? 血讐うぅぅゥゥ?」

 千歳が困った笑顔として作られた人形のような顔でゆらゆらと体を揺らす。

「四季いいぃぃぃ、そこのガキになに吹き込まれたか知らねえが、血讐なんざする義理も力もうちにはねえんだぞぉぉ?」

 心底馬鹿にしたように言い聞かせる千歳の蟀谷には青筋が浮いて、頬はぎちぎちと引き攣っている。それでも笑顔だ。人形のように張り付いた笑顔だ。

「義理ならあるぞ」
「あ゛?」
「てめえのオンナ嬲り殺しにされて黙ってんのが極道か」

 刹那、詰め寄った千歳が四季の頬を張り飛ばした。
 四季の小さな体は容易く吹っ飛び、畳の上に転がる。
 口の中を切って唾液に血が混じるし、鼻からも血が垂れる。全部手の甲で拭って立ち上がる四季を、どすどすと歩み寄った千歳が再び張り飛ばした。

「生意気言ってんじゃねえっこんックソガキャアァァッッッ!!」

 烈火の如く怒り狂った鬼の形相で転がった四季を蹴り飛ばし、千歳は怒鳴り上げた。

「幾らテメエがママ恋しかろうがあいつもテメエも久巳んなかじゃあ部外者なんだよおぉぉッ! 黙ってろ! すっこんでろ!! 死ね!! 死んじまえ!!!! お前も死ねッッッ」

 ありったけ、全てを叩きつけるように繰り返した千歳が肩で息をするのを、貫之が膝の上で拳を握りながら見つめる。
 障子にぶつかって激しく咳き込む四季は、ばん、と畳叩いて顔を上げると負けじと怒鳴り返した。

「殺されたのは俺たちの母親じゃねえ──久巳組の姐だ」

 ──母と呼びたかった。

「……なにを……っ」
「あのひとが奥を取り仕切ってたのアンタ許してただろ、姐がやるべきことを誰よりこなしてたのはあのひとだろ、あのひと以外にあんたが此処を、久巳組本家を跨がせたオンナがいるか……っいねえだろうが!!」

 千歳がぐ、と押し黙った瞬間、四季は立ち上がって障子を開け放った。
 騒ぎに様子を窺っていたものたちがびくりと震える。そのうちの一人につかつかと近寄って、四季は胸ぐらを下から掴み上げた。

「お前、薫さん以外に姐だと思えるひとがいるのか」

 ──お母さんと呼びたかった。

「……あ……」
「いるのかって訊いてんだぞ!!」
「い、いませんっ」

 突き飛ばし、別の人間にも同じように四季は鋭く詰問する。

「お前には薫さん以上に久巳組の姐に相応しいって思えるやつがいるか!」

 ──呼べなくても心の中で何度も呼んだ。

「い、いません……」
「聞こえねえッ」
「いません!!」

 四季はぐるりと全員を見渡す。
 その目はもはやこどもがしていいものではない。こどもにさせていいものでもない。
 獣のようにぎらぎらと光り、刃物のように尖った、人の道を真っ直ぐに歩けないものの目だ。
 そんな目で射抜かれ、男たちは喉を詰まらせる。

「お前らは……どうなんだ」

 ぽつりぽつりとした応えは次第に大きく統一される。

「いません。薫さんが、俺たちの姐です」

 そも、誰一人として高坂組のやったことを流すなどと認められるものはいないのだ。誰もが惨たらしい復讐を望んでいた。薫にした以上に酸鼻を極めた報復を望んでいた。組長の決定を理性で分かっていても、感情が納得などできやしないのだ。

「親父……薫さんは、うちの姐だぞ」

 ──誰よりも母と慕ったひとを、母ではないものとして決別する。

「…………クソガキ……来い。障子、閉めろ……」

 四季の意を汲んだものたちの揃った言葉に千歳は震えた。ぶるぶると全身を震わせた。
 従い、部屋のなかへ戻った四季は貫之の隣へ座る。
 千歳は部屋の奥でどっかりと座り込むと、体中からかき集めたようなため息を吐いた。

「貫之……お前の入れ知恵か」
「協力です」
「はっ……てめえ連れてくんのを許可したのは間違いだった。てめえは野垂れ死なせるべきだった。いまからそうするか? こうなっちまったらお前らが『後は任せます』なんて許されると思うなよ」
「無駄死にする気はありません。ですが、考えはあります」
「考ええぇぇ?」

 貫之は新聞を広げて千歳に向け、更に本……六法全書を置く。

「なんだこりゃ」
「暴対法によって逮捕された『暴力団』に関する記事です」
「……暴対法ね。すっかり馴染み始めたな」

 最初はそんなもの、と思っていた極道も、徐々にその胸囲を実感しつつあるのが暴力団対策法、通称暴対法だ。

「『暴力団』は今までのやり方は通用しません。それは歴史が古く、面子にこだわっている組織ほど苦しい思いをするでしょう」
「……『姐』殺されて黙ってるようなうちには関係ねえって?」
「あります」

 貫之は六法全書を開く。
 例えば、暴力団のこの行いが法律でどのように禁止されているか。
 例えば、暴力団のこの行いをどうすれば法律の穴を突くことができるか。
 例えば、暴力団として禁止されていても一般企業であれば許されていることがあるとか。
 例えば、例えば、例えば。
 法律を読み上げ、噛み砕き、具体例を出し、貫之は語る。

「会社みてえだな」
「ですが、組長は実を取る方でしょう」
「分かったように口聞くんじゃねえ。否定はしねえがな。それで、お前は最終的にどうするつもりだ」

 貫之は初めてわらった。
 ぐちゃりと熟れすぎた果実が潰れ裂けるように嗤った。

「あいつら全員、破産に追い込みます。追い込んで追い込んで追い込んで首吊らせます。
 散々ひとを追い込んで殺してきた連中が、今度は追い込まれて自分から死ぬようになるんです。食うにも困って惨めな姿で糞漏らしながらぶらぶら揺れるようになるんです。
 散々威張って面子だ男だ女は黙ってろって言ってた連中が借金背負って、方々から煙たがられて最期には首にかけた綱だけを頼りに飛び立つんです──最高じゃない。あは、あはは、アハハハハハハハハ!!」

 全身をがくがく揺らして貫之は嗤う。嗤う。嗤い続ける。

「薫さんが私にたくさん勉強しろって言ったの。だからしたわ。してたのッ。ねえ、役に立つわ! 全員殺してあげる!! そのための知識が私にはあるのだから!!!」

 ひっくり返ったような甲高い笑い声を上げる貫之に、もはや正気はない。
 妄執が貫之を現実に縛り付けている。
 四季は悲しげに目を伏せ、自らの手のひらを見つめる。

「…………お前らは、それでいいんだな」

 千歳の声音にどこか哀れみが含まれていたことに、四季は気づかない振りをして、貫之は真実気づかないまま。
 即答で、是と返した。

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あきゅろす。
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