小説
五話
小学校では定番ともいえる家族についてという作文が宿題で出たとき、四季は書くことにほんとうに困った。
四季に教師が求めるような内容が書ける家族はいない。
千歳は私情よりも極道としての生き方を選び、四季には一応の責任を果たすが父親として構うということはほぼないに等しい。
母親は既に鬼籍に入っている。思い出を手繰れるほどの記憶がないほど昔に。
ならば、と思い浮かぶのは新しくできた「兄」と、母のようなひとのこと。
作文内容としては困惑されるだろうが、そも万人が両親揃って健康な家族生活を営んでいること前提の宿題を出すほうが間違っているのだ。それぐらいのことは覚悟して然るべきだろうと四季は気にしない。
四季は、気にしないのだ。
「薫さん、怒るかな」
兄である貫之に問えば「あのひと、叱るけど怒ったところは見たことないよ」と穏やかに返される。そのとおりだ。だからこそ、困ってしまう。落ち込んでしまう。
「叱られるような、ことか?」
それはいけないことだと窘められ、諭されることなのだろうか。
家族として慕うひとを、家族として扱うことは、悪いことなのだろうか。
悪いことなのだ。
予め、千歳には「薫を母だと思うな」とされている。
四季の母親はあくまで亡くなった綾子だ。どれだけもどかしくても。
貫之の困った顔を見て、四季は無理やり話を切った。彼を困らせてたいわけではないのだ。
でも、一つだけ訊きたかった。
貫之の家族のこと。
後悔した。
きっと、四季は貫之の心に爪を立てたのだ。
結局、作文は嘘八百を並び立てた。
読み上げた四季に笑顔で拍手を送った教師がとても気持ちの悪い化物に見えたのを、四季はよく、よく覚えている。
帰宅してから、丸めた座布団を抱え込んで部屋で転がる四季を貫之は心配そうに見つめていたけれど、彼に応えるだけの気力が四季には湧いてこなかった。心配させたくない気持ちはあるのに、いまは余裕がなかった。
「四季さん」
頭上からかかった薫の声にも返事ができないでいると、ころり、と体が転がされた。
「ばあっ」
おどけて覗き込まれる顔。
薫はいつだって凛として美しい面差しをしているけれど、いまはその顔を真っ直ぐに見つめることができない。もう一度転がって伏せようとする四季をずり、と軽く抱き上げて、薫は膝枕に体勢を変えてしまった。
柔らかく撫でられる頭と、優しく叩かれる肩。
すん、と鼻が鳴った。
薫の腰に腕を回して、帯の辺りをぎゅう、と抱きしめる。
悲しいような気持ちと悔しいような気持ちでぐちゃぐちゃだった。
こうして自分に触れるこのひとが、どうしてお母さんじゃないのだろう。お母さんと呼んじゃいけないのだろう。
「薫さん」
「うん」
「薫さん、薫さん」
「うん、なあに」
なあに、だなんて酷いひと。分かっているくせに。自分がどんな思いでいるかなんてお見通しのくせに、と四季は顔をくしゃりとさせる。
そんなひとが、そんな酷いひとが、四季は。
「だいすきだぞ」
「あら、うれし」
「薫さんも、にーにも、だいすきだぞ」
「私も四季さんが好きよ。うんと好きよ。大好きよ」
どんなものからも守るように覆いかぶさって抱きしめる薫の腕のなか、四季は涙を必死で堪える。
外から聞こえる「俺も四季が好きだよ」という貫之の声。
いつか。
いつか、と四季は夢を見る。
禁じる千歳が年をとって丸くなったら、あるいはいなくなるようなことがあれば。極道ならばあってもおかしくない。そのときは、そのときこそ、家族になろう。
こどもの幼さで四季は夢を見る。
いつか、いつかと夢を見る。
叶わない夢を見たのだ。
久巳組は関東に進出しようとする関西と睨み合っていた。
関東と関西ではやり方がそも違う。こちらの倣いをあちらは知らず、従わず、あちらの流儀を押し通そうとしてくる関西に久巳組はぴりぴりとした空気を蔓延させていた。
このままではいずれ爆発、戦争へと突入するだろうと目されているが、それは久巳組の望むところではない。
久巳組と関西の主に久巳組と睨み合っている組織、高坂組とでは力に差がありすぎた。戦争をすればあちこちの事務所が血みどろになって負けるのは目に見えている。
それを高坂組も分かっているからこそ、強気な態度を崩さないのだ。
引き金一つで石は一気に転がる。
張り詰めた緊張の糸を保ちながら、久巳組組長叶千歳は全力で自らの組を守っていた。
組だけを、守っていた。
まさか、高坂組があんな手段で引き金を引くだなんて、想像だにしなかったのだ。
千歳は生涯悔いた。己がどれだけ善良で愚鈍であったかと、生涯悔い続けた。
墓石に刻まれた名前の持ち主は、どちらも否定することを分かっているけれど。
一人はぴしゃりと跳ね除けるように。
一人は穏やかに嗜めるように。
聞こえる声はしかし幻聴ですらない願望染みた紛い物で、千歳の悔恨は止むことがない。
ずっと。
ずっと。
彼女たちの最期の願いを掬い上げることをしなかった瞬間から。
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