小説
八話




 墓前というのは、どうしていつも静かなのだろうか。
 痛々しいほど真っ直ぐに背筋を伸ばしながら、四季は墓の前へ立っていた。
 遠くで啼く鳥の声も、蝉の鳴き声も、車の走行音も、木々のざわめきさえも切り離されたように別世界の出来事で、四季の耳を素通りしていく。
 線香と花を添えた墓には「叶」と刻まれているが、今日四季が顔を見せに来たのは叶とは血の繋がりも戸籍の繋がりもないひとだ。
 自分を薄情だと四季は思う。
 この墓には自身の実母も眠っているというのに、彼女のためにこの墓前へ立ったことはあまりない。
 四季には実母の記憶がない。
 元々体が丈夫ではなかったらしく、自分を産んで十日ほどで亡くなったと聞いている。
 けれど、四季に母親がいなかったわけではない。いたわけでも、ないけれど。

「……ちょっと久しぶりになったな。こっちは元気でやってるぞ。元気すぎて……叱られそうなくらいだ。にーにとも、仲良くやってる。多分、後で来るぞ。あいつ、結局嫁とる気ゼロでな……甥っ子が見たい俺としてはがっかりだぞ。まあ、俺もひとのことは言えないが」

 墓前へ語りかける声は穏やかだ。
 そこに望むひとがいるかのような眼差しで四季は墓石を見つめるけれど、返事があるわけないことも、この場に自分以外の誰もいないことも分かっている。
 墓参りなんて所詮は遺された人間の慰めであり、感傷だと分かっているのだ。

「あのな……好きなひとができたんだぞ」

 四季は返る声のない「会話」を続ける。

「俺も親父の子だったんだなあって感じだぞ。弁えるとこ弁えてるんだが、変に肝も据わってて、お人好しって言えば良いのか、面倒見が良いっていうのか」

 カウンターの向こうに立つひとを思い浮かべながら、四季はつらつらと語る。
 さながら、それは幼いこどもが母親へ一日の報告をする無邪気さで。

「それで、そいつにこの前ぐっさり言われてな。
 ──なあ、薫さん。ごめん。ごめん。ごめんなさい。ほんとうに、ごめんなさい」

 張り詰めていた糸が切れたように、四季の体が崩れ落ちる。
 繰り返される謝意に溢れるのは悲しみで、聞くだけで痛みが走るような苦しみであった。

「それでも、俺たちは何度だって同じ道を選ぶんだ。戻れないし、戻らない……ごめんな、俺は薫さんを裏切った」

 歪んだ四季の目に涙はなかったけれど、寄せた眉と食いしばった歯は、涙を堪えているようにしか見えない。
 湿った吐息、四季はふらりと立ち上がり墓に向かってぐっと頭を下げる。
 そのまま振り切るように墓前から立ち去り、暑いなか車の外で待っていた益岡がドアを開く助手席へと乗り込む。ジュリエッタの後部席は然程快適ではないのだ。

「どちらへ向かいますか」
「あー……テッセンへ」



 季節はすっかり夏であった。
 テッセンは夏季休業となり、早々に墓参りを済ませた静馬はのんびりとした休みを過ごす。光也には氷代を渡して休みを出した。氷代とはなにかと問われたので、暮れに餅代という言葉を使うのは控えようと思っている。
 ただ寝ているだけというのも悪くはないけれど、偶にはひとの淹れた珈琲が飲みたくなって静馬は気合を入れて出かけることにする。
 祖父の代にもあった店というのは幾つもなくなってしまって寂しいけれど、昔ながらの名店として残っているものもある。
 その一つを目指して自宅を出てきた静馬は、暫く来ないうちにすっかり変わってしまった周囲の景色にきょろきょろと辺りを見渡しながら歩いた。
 衝撃。
 前触れなくがし、と肩へ腕を回された静馬は飛び上がって声を上げる。

「いーいリアクションだ」

 親指を上げて笑うのは医療用眼帯を付けた壮年の男。眼帯からはみ出すように色の変わった皮膚が引き攣れていて、傍目に痛々しく映った。

「……中条さん……っ?」
「久しぶりだな、シズマ」

 私服姿の中条は休みだという。偶然にも静馬が目指していた店に向かっていたらしく、それを告げると嬉しそうに「奢ってやる」と言って静馬の肩を押しだした。

「いやいやいや」
「遠慮するな。なんなら叶さんも呼ぶか?」
「絶対にやめてください」

 真顔でお断りする静馬に「面白いひとなんだけどな」と中条はおかしそうに笑う。
 四季が人好きされる人間であることは、静馬だって分かっている。ヤクザという面さえ見せなければ。

「あのひとの職業は嫌いかい」

 的を射抜くように中条が問うた。
 見上げた先で、中条は穏やかな年上の顔をしていた。

「…………どうでしょう」

 静馬は道行く人々を茫洋と眺める。
 四季はヤクザだ。ヤクザに好かれるのは、嫌われるよりいいけれど、迷惑だ。
 静馬は四季が好きではない。
 それは四季がヤクザだからなのもあるけれど、それ以上に。

「俺はあいつの身勝手にこそムカついてるんですよね」

 困ったように頬を掻く静馬を見る中条は不思議そうな顔をしていたけれど、静馬はそれ以上のことは語らない。語る言葉も持たない。
 何事もなかったように切り替えるのは、どちらも職業上慣れたもの。
 共通の話題にも事欠かず、加えて静馬は勉強させてもらいながら充実した時間を過ごす。
 足取りも軽く自宅へ帰った静馬は、ふと駐車場に見慣れたジュリエッタを見かけて胡乱な顔になる。
 テッセンは夏季休業中である。
 その間は出かける予定もあると伝えていた以上、訪ってくるわけが、と考えて静馬は「あ」と声を上げる。
 具体的な日付を伝えていなかった。
 心持ち急ぎ足で店のほうへ向かった静馬は、そこに誰の姿もないことに更に慌てた足取りで自宅への階段を駆け上がる。
 いた。

「マスター……」
「……なんつうしょぼくれた面してんだ、お前」
「酷い言い草だぞ」

 ぶつくさ言う言葉は尻窄みに、四季は「あー……」と意味のない声を上げて額を押さえる。

「最近、来れなくて……この前は……」

 妙な空気のなか四季が店を出て、それきり彼は暫く姿を見せていなかった。
 四季が気にすることではないだろうに、少なくとも四季だけが気に病むことではないだろうに、と静馬は苦笑を浮かべた。

「来たんなら時間あるんだろ。上がっていけよ」
「え」
「珈琲一杯くらいなら淹れてやる」

 四季を押しのけて、静馬は自宅の鍵を開ける。
 片手で開いたドアを押さえ、顎で促す。
 見開いた目はくしゃりと眦が下がり、ともすれば泣き顔に変わりそうな笑みになる。
 こつ、とジョンロブが音を立て、ドアの先へ進んだ。





「あー、やっぱあいつ死んでもうたんか。はは」

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