小説
六話



 庇うわけではない。庇ってなにになる。
 分かっているのに静馬の口は重い。
 雪総は昨今の警察には珍しいほどにヤクザを憎んでいるのだろう。それこそ、こんなことを仕組むほどに。
 誰かに誘導されたのが気に食わない、と反発心だけで駄々をこねるほど静馬はこどもではない。
 雪総の思惑によって負った怪我は軽いものではないが、ヤクザとか関わっていればいずれはありえたことで、きっと今回は軽く済んだ。
 ならば、静馬の舌を縺れさせている原因はなんだ。理由はどこにある。

「さあ、白砂さん。真実をお話ししてください」

 促す雪総、じっと見つめてくる草部。
 静馬はからからに乾いた喉を上下させ、口を開く。
 瞬間、携帯端末が鳴り響いた。

「すみません。祖父からなんですが、ちょっといいですか」
「……どうぞ。ただし、この場でお願いできますか」
「……はい」

 静馬が電話に応じる姿を、雪総も草部も目を離さず見てくる。
 緊張しながらも出た電話。
 聞き慣れた祖父の声がする。

「ニュースを見てご覧」
「は?」
「はあ、やれやれだ」

 静馬の返事を待たずに切れた通話。
 訳が分からないまま静馬は雪総たちに会釈してから携帯端末でニュースを確認する。
 トップニュースとしてnewの文字が踊るニュースの見出しに静馬は目を見開き──微かに笑った。
 笑えてしまえた。
 よかった、と思ってしまった。
 携帯端末を片手にしたまま雪総たちのほうへ向き直る。

「失礼しました。先程の続きですが──気絶してたんでなにも覚えてません」
「……は?」

 雪総の低い声にも動じず、静馬はワックスをかけたての廊下が如く話しだす。

「道歩いてたらなんか衝撃あって、気づいたら常連さんが『もう大丈夫だぞ』って病院に連れてってくれるところでして……いやあ……体中痛くて吃驚しましたね」
「…………なにがあったのか、その常連さんからは? 他に覚えていることは?」
「特には……」
「何故通報しようと思わなかったのですか」

 静馬は苦笑いを浮かべる。
 庇ってなにになる、なんて。そんなの考えるまでもなかった。

「現実味がなかったのでぼうっとしてたら数日過ぎてしまいまして……先程なんか知りませんがヤクザがどうたらって人権団体の方から電話あったんですが、それで俺も大事なんじゃないかって不安になって通報しようと思ったところでした……」
「それでは」
「でも! しなくてよかったみたいです」

 静馬は携帯端末を掲げる。

「こんな癒着した組織、色々怖いので」

 携帯端末に表示されたニュース画面には、静馬に電話をかけてきた人権団体と警察組織の癒着と汚職が取り沙汰されていた。
 顔色を変える雪総と草部。
 雪総のであろう携帯端末が震える気配。
 静馬は静かに頭を下げる。

「お帰りください。俺にはなにがあったのか覚えていませんし、いまこのときに相談するようなことも、相手も、ない」

 断言。
 これが静馬の意思表示。
 ぶつ。
 聞こえた小さな音に顔を上げた静馬は、雪総が唇を噛み切っているのを目にする。赤い唇よりも尚赤い血が、ぽた、とスーツの胸元に一滴落ちた。

「……今後、またお訊きしたいことがあれば訪ねることもあるかと思います。本日は、ありがとうございました」
「古雅さん……」
「行くわよ、草部」

 肩で風を切るように歩きだす雪総を追いかけた草部が、一度だけ静馬を振り返り、強く眉根を寄せてから再び雪総を追いかけていった。
 嵐が去った。
 静馬はドアを閉め、ごつ、と額を押し当てる。



 とある静かな店のなかに、ふたりの老人がいた。
 携帯端末をしまった老人のため息に、紳士的な老人は紅茶を淹れながら愉快そうな顔をする。

「今回はあちらさんの動きが早かったようだね」
「組織力では太刀打ちできないからな」
「だが、巨大な組織になってくれるほど疎かになるものがある。金谷然り、我々のような存在然り」

 それにしても、とティーカップを老人の前に置いて、紳士的な老人は切りだす。

「まーくんは厄介な連中に目をつけられて災難だ。筆頭はお前だけどね、黒豆野郎」
「孫を可愛がっているだけだ」

 老人は紅茶を飲み、芳醇な香りに皺を刻んだ目元を細める。
 紳士的な老人との付き合いは随分と長いが、この紅茶の味だけは私的な交流を持ってもいいかと思うことがある。
 友人であると周囲には、書面では錯覚されるふたりの老人であるが、その実そんな関係などありはしない。ふたりの関係はもっと乾いて、もっと粘ついて、もっとあっさりしたものだ。

「可愛い孫には不幸になってほしくない。余計な虫なんてついてほしくない。祖父馬鹿なんだよ」
「ああ、馬鹿野郎だね。他人に人生とやかく言われるなんて、どれだけぞっとしないか。知らないわけじゃないだろう」
「爺になると我儘になるんだよ。もちろん、孫が余計なことをするなと……あれを選ぶと決めるのなら、なにもしない。言わない。求められるなら……助けよう」

 呆れた、と紳士的な老人は言う。

「お前、まーくんがお前の企みに辿り着くとでも?」

 直後、紳士的な老人は紅茶を浴びることになる。
 淹れたてでまだ熱い紅茶であるが、紳士的な老人は冷静に取り出したハンカチで顔を拭った。

「俺の孫を馬鹿にするな。静馬は英明じゃないが聡明だ。そして、賢明じゃない。知らないほうがいいことを知り、普段は放置することに敢えて踏み込む子さ」
「……それを馬鹿って言わず、窘めず、なんとするんだい」

 老人は屈託なく笑う。

「祖父ってのは無責任に甘やかす立場なのさ。そういう憎まれ役は親の務めだろう」
「……やれやれ、私もこどもをこさえておけばもう少し楽しい老後を過ごせたかな。少なくともこんなクソジジイといつまでもつるんでることはなかった」

 肩を上下させた紳士的な老人は滴った紅茶に嫌そうな顔をして、着替えてくると言って店の奥へと向かう。
 残された老人がポットに残る紅茶を勝手に拝借し、ひとり優雅な茶会を楽しんでいるとしまっていた携帯端末が震えた。
 知っているが、教えた覚えのない番号だ。
 調べられていることも、知っているけれど。

「はい」
「──ご満足ですか、白砂大尉」
「いきなりだな。礼儀がなっていない。お父上にどやされるぞ……古雅さん」

 舌打ちの耳障りなノイズに眉を上げながら、老人は「それに」と続ける。

「俺は大尉なんて大層なもんじゃない」
「元、とつければよろしいですか?」
「もう国に紐で括られるような立場じゃないって言ってんだよ、ぼんくら」
「……ですが、あなたの意図で繋がる人間は未だ数多いようですね」

 威嚇するような低い声にも、老人は堪えた様子はない。
 堪えるようなところはなにもない。

「私とあなたは手を取り合えると思うのですが。少なくとも今回の件についてはそうだったはずです」
「勝手な期待だ」

 老人は通話を切った。
 電源を落とすことはしなかったけれど、相手が再度かけてくることはないだろう。
 かけてきたところで無駄だ。
 老人は携帯端末を紅茶の残るティーカップへ入れると、ポットに残っていた紅茶をソーサーに溢れるほどなみなみと注いでしまった。

「新しいのは紅茶野郎に用意させよう」

 携帯端末も、紅茶も。
 きっと大層うんざりした顔をするだろう。

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