小説
四話
誰がなにを知っているか。
それは、ほんとうに、重要なこと。
静馬の前に現れた彼の大統領の愛人によく似た男は、客という私人としてではなく、公人としてやってきたらしい。
管轄の警察署を超え、その上の組織からやってきた彼はこう名乗る。
「組織犯罪対策部所属、古雅雪総と申します」
「同じく、草部です」
広げた警察手帳を確認させる気もない早さでしまった彼らに、静馬は顔を引き攣らせる。
意味深な言葉を告げ、金谷がなんらかの誤解を抱いていた雪総。その正体が警察関係者であることは、ヤクザである四季と金谷が「犬」と呼び蔑んでいたことから静馬は察していた。
この適時に現れたことをただの偶然とは思わないし、能天気に「なんの御用ですか?」と首を傾げることも静馬にはできない。
静馬が黙っていようとも雪総は事態を進めるつもりらしく、愛想の良い笑みで「お話よろしいですか?」などと白々しく窺ってくる。
「……刑事さんにお話するようなことはあると思えませんが。悪事に手を染めた覚えもありませんし」
「それはまた! いえいえ、ご安心ください。我々は罪のない国民の味方です」
初めて対面したときとは違い女性言葉を話さない雪総の隣、草部がじっと威圧するように静馬を見てくるのが罪もない国民に対する扱いではないように静馬は思うけれど、ほんとうに罪を犯していれば彼らはもっと容赦のない扱いをするのだろうとも理解している。
「我々のもとに民間人が拉致されたとの通報がありまして」
「……はあ」
「現場に駆けつけ、現場に残されていたもの、目撃情報などから足取りを追ったところ、ある港の倉庫に辿り着いたのですが、そこに残されていたのは血痕」
草部が口を開く。
「白砂さん、残されていたものも血痕も、あなたのものでした」
まるで、犯人を追い詰めるかのような口振り、状況だ。ここが静馬の自宅前ではなく崖の上であったり、それこそ港であればさぞかし劇的であったことだろう。
「それで……白砂さん。あなたの血痕よりも大量にあった血痕の持ち主……ご存知ですよね?」
知っている、と答えれば、通報義務を怠ったことになる。
知らぬ、と答えるにも不利な状況だ。血痕の経過時間はほぼ同時刻を示しているであろう。
悪事らしい悪事は働いていないけれど、詰みにも近い状況。
脱するには、全てを押し付けてしまえばいい。
──恐ろしい目に遭ったのです。
ヤクザに拉致されて、ヤクザ同士の揉め事に巻き込まれました。
解放されたあとも恐ろしさが抜けず、ヤクザが報復に来るのではと思えば通報もできませんでした。
先程人権団体の方から連絡をいただき、心揺れていたところに刑事さんが来てくださったのです!
こんなことをべらべらと言ってしまえばいい。
それを、それこそを──雪総は望んでいるのだから。
久巳組本部にて、四季は机の上に両手を組んで機嫌の悪い顔を晒していた。
ここ数日で調べ上げたのは自分たちヤクザを殊目の敵にする刑事、古雅雪総の動向。その内容は四季をしていやらしいと言わざるを得なかった。
「金谷はあの糞犬にそれらしくあることないこと仄めかされ、勝手にないことないこと着陸してマスターを拉致った。そこでもうあの糞犬の企みはほぼ完成したに近い。くそ……っ、金谷の野郎っつうやらかしそうな輩をよくもピンポイントで狙ってくれたもんだぞ」
重厚な椅子に腰掛け舌打ちする四季の前に立つ暗い目をした男が「あら」と声を上げる。
「だったら、こっちもピンポイントで狙うだけだわ」
「もう調べはついてんのか? 貫之」
貫之と呼ばれた暗い目をした男は「もちろん」と答え、にっこりと微笑む。
ただでさえ忙しい立場の貫之であるが、その仕事振りは早く正確。そして貪欲でもある。
つまりは、がむしゃらだ。
「あのくそったれな犬野郎の顔が利く人権団体なんて限られているもの。煙がないなら火を点ければいいのよ」
「そうかそうか、なら派手に燃やしてほしいぞ」
「ええ……あなたの大事なマスターさんには届かない程度に炎上させてあげるわ」
四季はぐ、と眉を寄せ、貫之を見上げる。
貫之の暗い目はどこまでも優しい。そのことが、四季にはひどく申し訳なくて、胸が痛い。
「貫之……俺は……」
「いいの」
四季の言葉を遮り、貫之はもう一度繰り返す。
「いいの」
「……ありがとさんだぞ」
「……お礼なんて、私にお礼なんて、言っちゃだめよ」
困ったように笑う貫之もまた、四季と同じように胸の痛みを堪えていることを四季は知らない。
空気を変えるように貫之は両手を叩き、場に似つかわしくなく朗らかな笑みを浮かべて「じゃあ、あの犬がマスターさんに接触する前に派手に着火させてくるわ!」と四季へ軽く手を振ってから部屋を出ていく。
残された部屋のなか、四季は机の上に組んだ両手を解き、そのまま顔を覆う。
泣いているような姿。
けれども、四季の目に涙はない。
泣くわけにはいかないから。
涙など、とうに枯れ果ててしまっているから。
両手をぽとり、と落としたとき、四季の顔にあるのはなんの魂も込められずに打たれた能面が如き無表情であった。
「ああ、ああ……なんでだ……」
愛しているのに、傍にいたいのに、傍にいてほしいのに。
殺す理由だけが増えていく。
「嗚呼……」
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