小説
一話



 平日の麗らかな昼下がり、テッセンの静寂を破るのは常であれば人形のように上品な顔をしたヤクザであるのだけれど、今日は様子が違った。
 からんころん、と下げたベルが鳴らしながら開くドア、顔を上げた静馬は瞠目する。

(マリリ……っ)

 某大統領の甘やかなハッピーバースデーを歌ったことで有名な女優そっくりな男が、にこにこと機嫌良さそうに止まり木へと掛けた。
 白銀色のふわふわとした髪も、長い睫毛の縁取られた婀娜っぽい目も、真っ赤な口紅を塗られた唇も、見れば見るほど彼の女優を彷彿とさせる。まじまじと見るのは失礼と分かっていても、静馬は「ははあ」と感嘆のため息を吐きそうになってしまった。
 フランス製であろうスーツやその背格好から男であることは察せるが、にも拘らず完全な女顔であることに違和感がないことがすごい。

「こんにちは」
「こんにちは。いらっしゃいませ」

 メニューを差し出す静馬に「ありがとう」と言いながら、男は楽しげに受け取ったメニューを眺める。
 四季とはまた違った趣で絵になる男だ、と思った静馬は、比較対象として自然に四季を思い浮かべてしまったことに眉を寄せそうになるのを堪える。
 あの存在自体が姦しい男、不在のときにもひとを煩わせるなどろくなものではない、と殆ど八つ当たりな思考に走るが、相手が四季だと思えば罪悪感もなかった。

「ふふ、どれも素敵で迷っちゃうわ」

 女性口調も違和感のない男は、あどけない少女のように小首を傾げ「ねえ」と静馬に声を掛ける。

「常連さんはどんなのを頼んでいるの?」

 変わっているけれど、手堅い質問だ。
 常連となるほどの客が繰り返す注文であれば、一定の安心が得られるだろう。
 上手いなあ、と思いながら「そうですね」と前置き、静馬は考える。
 テッセンには祖父の代からの常連客もいるが、静馬の代になってからもありがたいことについてくれた客がいる。
 そのなかの一人に四季がいることを思い出してしまい苦い顔になりかけるが、思考を深めれば結局浮かんだのは苦笑であった。

「エスプレッソが、一番多いですね」

 祖父が気合を入れて教えてくれたからか、静馬も思い入れがあって豆の選別や配合には定期的に頭を悩ませている。
 苦労は実り、静馬の淹れるエスプレッソを愛してくれている客は多かった。

「エスプレッソ! アタシも好きよ。じゃあ、それにするわ」
「はい、承知いたしました」

 準備を始める自身を楽しそうに見つめる男について、静馬はモデルかなにかだろうか、と考える。
 仕立てのいいスーツを着た目立つ外見はしっくりくるし、ただの勤め人であれば休日でもなし、この時間帯ではあまり見かけない。だからこそ、この時間のテッセンは暇になるようなものなのだから。
 あくまで想像であるし、詮索するつもりもない静馬はすぐに丁寧に豆を挽く作業に集中し始める。
 その間、男はずっと楽しそうに静馬を見ていたので、流石に居心地が悪くなってきた静馬は「なにかありましたか?」と視線を上げた。

「いいえ? ほら、最近はエスプレッソマシーンでがーってやるのが多いじゃない。珍しくって」
「ああ……そうですね、確かに」
「マキネッタ、だったかしら? 風情があっていいわね。飲むのが楽しみになっちゃう」
「仰る通り、淹れている間の楽しみが膨らむのもこれの特徴かもしれませんね」

 火にかけたマキネッタがぽこん、ぽこんと音を立てるまでの時間を、静馬は確かに愛している。
 美味しく淹れたい、喜んでもらいたい、黒々と地獄のように深い色合いを飲み込んだ瞬間、確かに感じる甘やかな味わいに驚く瞳が見たい。
 そうでなくて、どうして何年もこのカウンターに立っていられるだろうか。これから先も立ちたいと思えるだろうか。
 静馬は自分でも気づかぬうちに微笑を浮かべながら、そっと淹れたてのエスプレッソを男の前に供する。

「地獄のように熱く、天使のように純粋で……なんだったかしら?」

 じっとエスプレッソを覗き込みながら呟く男に、静馬はシャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールの言葉だとすぐに察した。

「恋のように甘い、ですね」
「そうそう! うふふ、素敵よね」

 少女のようにはしゃぎながら、男はデミタスに口をつける。
 甘やかな目が笑みの形に細められたのを見て、静馬はほっとする。

「うん、美味しい」
「ありがとうございます」
「こんなに美味しいんだもの、たくさんのひとが愛するのも納得だわ」

 デミタスを置いて、男はカウンターテーブルの上で両手を組んだ。
 にこにこと笑う男の目は好奇心にだろうか、きらきらと星を散りばめたように輝いている。

「たとえばどんなひとが飲んでいるのかしら」
「色々な方がいらっしゃいますよ。先代から通ってくださっている年配の方、キャリアウーマンという感じの女性、ちょっと背伸びをしたい年頃の学生。ほんとうに、色々な方が」
「へえ! じゃあ、たとえばこのエスプレッソみたいなひとたちもいるのかしら」

 静馬はきょとん、と目をまたたかせた。
 男の真っ赤な口紅を引いた唇が、軟体動物のようにねっとりと動く。

「甘い夢をちらつかせて、どす黒くて骨の髄まで燃えるような地獄にひとを落とす連中を……知っているでしょう?」

 甘やかに細められた男の目の奥が刃の切っ先が如く鋭く、冷たく、尖っていたことに、静馬は漸く気づいた。

「ただの一般人でいるなら見逃してあげる。でも、あの豚野郎に肩入れするなら容赦しないわあ? ねえ、覚えてて?」

 静馬から視線を外さぬまま、男はひと息に熱いエスプレッソを飲み干し、紙幣を置いて出口へ向かう。
 ベルが鳴り終わるまで、静馬はその場から動くことはできなかった。
 男の目に宿る刃を握る憎悪が、あまりにも深すぎたので。

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あきゅろす。
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