小説
三話



「俺マジでびびったんすよ!!!」

 四季とどういうわけだかともに夕食を摂った翌日、バイトに来るなりびゃあびゃあ騒ぎ立てる光也に静馬は「ああそうかい」と生返事をしながら、冷凍保存しておいたミネストローネを見せる。

「冷凍庫しまっておくから、帰り持ってけよ」
「なんすか、なんすか」
「ミネストローネだよ」
「ああ、あのトマト!」

 思わず静馬は笑った。

「そうそう、トマト」
「え、でも冷凍庫いれちゃうんすか? 食べるとき……」
「解凍しろよ」
「……お湯で溶かせばいいっすかね」
「…………まさかと思うが、湯に直接溶かす気じゃねえよな?」
「違うんすか?」
「薄くなるだろうが」

 静馬は分かりやすく解凍手順を教えてやり、メモも書き添えた。
 こうして会話していると、心配通り越して光也が今まで生きてこれたのが段々不思議になってくる。
 若者の不摂生に説教することほど年をとった気分になるものはない、と半ばげんなりしながら、静馬は一定の酒と器具類を指定して光也に覚えるように指示を出してから開店準備をする。
 最初こそ色々な酒が味見できると喜んでいた光也であるが、ストロングゼロをこよなく愛する彼には辛い酒も数多い。フェルネット・ブランカを飲んだときは吐き出しそうになっていた。だが、バーで働くからには好みの酒だけ覚えられても仕方ない。静馬はほどほどに光也好みの酒と鬼門になりそうな酒とを合わせて覚えるようにさせていた。

「光也ー」
「ういっす」
「カミカゼ」
「ウォッカと、ホワイト・キュラソーと……えーと……ライム!!」
「ライムジュースな」
「ういっす……」

 不意打ちでカクテルのレシピを投げかけながら準備を進めていると、不意に静馬の携帯端末が着信を告げた。
 相手は思いもよらぬ、というには少しばかり予想していた人物で、静馬はすこうしだけ困った顔をしながら光也へ電話に出てくる旨を告げて店裏へと向かう。

「はい、もしもし……」
「私だ。息災か」
「おかげさまで」

 店の壁に寄りかかりながら応答した静馬の耳に、神経質な声が響く。話し方も固く、相手はさぞかし四角四面な性格なのだろうと思わせるが、存外そうでもないことを静馬は知っていた。

「訊きたいことがある」
「はいよ」
「あのひとから例のビルを譲られた。知っていることがあれば答えろ」

 静馬は薄暗くなり始めた空を仰ぐ。
 仕事が早い。
 不動産の名義変更には一週間から二週間はかかったはずだ。
 恐らくはこうなることを見越して、あるいは知っていて準備をしていたのだろうけれど、その機敏さについてこれないものに面倒事を押し付けるのは如何なものだろうか。彼にしてみれば「この程度」と言ってしまえるにしても、だ。

「ヤクザが欲しがってる」

 とりあえず、静馬は己が知り得るなかで一番有用であろう内容を告げる。
 相手は間髪を容れずに舌打ちをした。

「お前がそれを知っているということは、お前絡みか」
「いや、それ語弊がある。知り合いのヤクザが欲しがってる土地が偶然そうだっただけ」
「知り合いの整理もできんのか」
「どっちにも似ずに不出来なもので」

 受話器から僅かに離れ、相手がため息を吐く気配。こういう部分が妙に人間臭いひとだ。

「どうするのか、訊いてもいいか?」
「ビルならば潰して駐車場だ。元々相続したらそうするつもりだった。だが、次の質問の返答次第では予定を変更する。
 お前の言うヤクザというのは誰だ」

 この質問が意味を成すのだから、怖いものだと静馬は思う。
 誰々はヤクザ、で普通は話が終わるだろう。それをヤクザの誰々だ、と訊くものがいるだろうか。訊いたとして、どういう人間であるかを理解できるものだろうか。
 理解するのだ、この相手は。この相手も。
 そんな相手だからこそ、告げる名前は酷ではないかと思いつつ、告げないわけにはいかずに静馬は口を開く。

「久巳組の組長、叶四季」
「予定変更決定だ」

 即答。
 静馬ではネットで検索しなければ詳細の分からなかった名前を、相手はよくよく理解しているらしい。それもそうか、と思わなくはない。きっと、これまでも関わりはゼロというわけではなかったに違いない。

「全てあのひとの予定通りになるか……ご苦労。警察が銭湯でヤクザと流しっこしていた時代でもなし、厄介事には気をつけろ」
「ありがたくて涙が出そうだ。どうせなら具体的に助けてくれると嬉しいんだが」
「喧嘩でも売ったのか」
「……ああ、いや、忘れてくれ」

 喧嘩を売った件についてはどうにかなった。
 どうにもならないのは、惚れた腫れたの一方的な色恋沙汰のほうである。
 しかしながら、これを相手に説明するなど静馬にはどうしてもできなかった。
 数秒の沈黙の後、相手は仕方なさそうな声音で言う。

「どうしようもなくなったら──なんでもしてやる」
「……太っ腹だな」

 当然だ、と返る断言。

「伊達や酔狂で父親なんぞやっていない。いざとなればあのひとにも頭を下げよう。もっとも、そんなことをしなくてもあのひとならどうにかしてくれるだろうがな。お前は私よりも可愛がられている」

 ふ、と胸のつかえがとれるような、肩から凝りがほぐれるような、息苦しさからの解放を感じて、静馬は壁に強く凭れる。
 無条件に守られている、慈しまれているというありがたさ、安心感は、何歳になったとしても関係がないらしい。気恥ずかしさも、当然あるけれど。

「それにしても叶四季か。楽しみだ」
「……そんなことを言うのは父さんと祖父さんくらいだろうさ」

 しみじみとした静馬の言葉に、初めて四角張った調子を崩し、相手は、父は笑い声を上げた。

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