小説
二話
「S.Sビルねえ……」
静馬は何故か四季と向かい合って自宅で夕食を摂っていた。
四季曰く、金を出したのだから食べる権利があるという四十路とは思えぬ駄々こねの果てのごね勝ちという醜さであるが、根負けしてしまったのは静馬である。下準備をしている間にやってきた光也は、四季の姿を見るなりトマトだけ大量に置いて帰った。賢明な判断だ。
静馬は四季に振る舞うつもりなどこれっぽっちもなかったミネストローネとポークピカタをおかずに白米をもりもり食べながら、四季の切り出した話に目を眇める。
単刀直入に切り出した四季の話はこうだ
S.Sビルの曰くについて知りたい。。
向かいで自宅がどこぞのリストランテにでも見えるような優雅さでミネストローネを食べる四季は、食べる前に携帯端末で台所に立つ静馬や夕食を連写していようがヤクザである。ヤクザと物件、嫌な組み合わせだ、と静馬が考えるのはやや現実逃避であった。
「知ってるんだろう? S.Sビル」
「ビル自体はな」
「だろうな。なにせ──祖父殿の持ちビルだ」
静馬は大口を開けてポークピカタを食い千切る。酸味のきいたトマトソースが生姜の風味ととても合う。
「マスターが知ってることを教えてほしいんだぞ」
「ヤクザが調べられる以上のことなんざ知るわけねえと思わねえか」
「情報ならそうだろう。俺が知りたいのは体験、記憶、そういった類のもんだぞ。ああ、マスターのってわけじゃない。伝え聞いたもんで構わねえんだ」
静馬は心底嫌そうな顔をした。
事実、嫌な気分であったからだ。
せめて、と見つめてくる四季を無視して残りのご飯を平らげ、生温い水を飲み干してから口を開く。
「体験も記憶も特筆できるようなもんはない」
「できる、な……隠さなきゃいけないもんがあるっつうわけだ」
「お前のそういうとこ嫌い」
「他に好かれてる部分があって嬉しいぞ」
ああ言えばこう言う。親の顔が見てみたいと思ったが、見てもろくなことにはならないと静馬は考えを改める。
静馬は行儀悪く座卓に肘を突き、一定の話を聞き出すまでは納得しそうにない四季の顔を面白くなさそうに眺める。
いまはお行儀よく食事などしている四季であるが、ヤクザだ。脅しは十八番、仕事が関わっているようだから静馬に対してどこまで甘くいてくれるか分からない。
「……くそが。S.Sビルな」
「ああ」
「確認するが、欲しいのか?」
「立地がよくてな」
肯定。
「無理だな」
「理由は?」
「遺産だからだよ」
「遺産」
「俺が言えるのはここまでだ。あとは祖父さんに直接交渉でもしろ」
四季は意外そうな顔をした。
それはそうだろう。ヤクザと身内を近づけるような発言をするなんて、静馬でなくても普通では考えられない。
静馬は空になったスープ皿にスプーンを打ち付ける。威嚇のように。
「一つ、アドバイスだ」
「マスターが?」
「いらねえならやめる」
「いや、頼むぞ」
「金儲けのためならやめとけよ。損するだけだ」
数秒、無言で見つめ合った後に四季は残りのミネストローネを飲み干した。
「ごちそうさんだぞ」
「お粗末様」
「俺に毎朝味噌汁作らねえか?」
「冗談ポイだろ」
「残念だぞ」
四季は静馬の分の食器まで片付け台所に向かおうとするが、流しに置いた時点で静馬は止める。
「おい、博徒。肌のことなんざ深く考慮して洗剤選んでねえからやめろ」
「……マスターってば俺よりも俺の手を大事にしてくれて、まったくありがたいったらないぞ」
「はん、抜かせ」
捲りかけていた袖を直し、食器を水に浸すだけにした四季は軽く畳んでおいた上着を回収した。帰るつもりらしい。
「なあ、マスター」
「あ?」
「俺が祖父さんにほんとうに会いにいったら、どうするんだ?」
真顔での問いは、四季が人形じみた顔をしている分だけ恐ろしい。
しかし、静馬はうっそりと笑い返す。
それは、いつかヤクザに半ば喧嘩を売って胃を患ったとは思えぬ飄々とした態度で、また強がりでもない様子で。
「泣いちまう」
「そいつは困ったぞ。好きな子の涙に強い男なんていねえんだ」
四季は「今度お礼するぞ」と嬉しくもないことを言い残して帰っていった。
静馬は玄関の鍵を閉めに立ち上がり、そのまま洗い物をしに台所へと向かう。
「祖父さんに、ねえ……?」
祖父には連絡をしておくべきだろうか。
いいや、通話の最中に「ノイズ」が走らないとも限らない。
静馬がすべきことはなにもしないことだ。
温順しく、波風を立てず、息を潜めておく。
「俺は平凡な人間なんでね」
静馬の自宅から帰る車中、四季は夾士郎からかかってきた電話を思い出していた。
「よう、叶。例のビルだが手を出さないほうがいいぞ」
「あ? なんでだ?」
「お前の知り合いが関わってるっぽいが、損にしかならねえな」
夾士郎の物言いに疑問を覚え、件のビル、S.Sビルについて調べれば所有者の名字は白砂。静馬と同じであることは偶然ではなく、静馬の祖父が所有者であった。
四季は仕事が関われば如何に静馬の身内とあれど手を抜く気はない。S.Sビルの立地はとても魅力的で、光也のような路傍の石同然に見逃せるものではなかった。
それを夾士郎が知らないはずはないのだが、と疑問を深め、四季はとりあえずは四季にとってもっとも身近な関係者である静馬のもとへ向かった。
そうして返された意味深な言葉。
光也のときと違い、静馬は決して強がってなどいなかった。
ヤクザと関わって平然としていられるほど、静馬と祖父の関係が冷えたものだとは四季は思わない。そうであれば、静馬はテッセンを祖父から継いでなどいないであろう。
「会いに行ったら『泣いちまう』ね……おい、益岡」
「はい」
「『白砂静興』について調べろ」
「どの程度調べますか」
老人というほどに生きている人間には、それだけ歴史がある。
四季は窓の外を眺め、ぽつん、ぽつん、と打ち付けられた雨粒を数えながら答えた。
「……──徹底的にだぞ」
静馬にはまた嫌われてしまうかもしれない。
それでも、それがヤクザとして生きる道に必要なことならば、四季は躊躇いなどしないのだ。
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