小説
六話




 光也はバーのバイトとして雇うことにした。
 カフェの時間帯で雇うにはまだやんちゃしてましたという雰囲気があるので、様子を見て本人にやる気があれば今後に期待だ。
 静馬は事を終えて四季とともに戻ってきた光也からあらましを聞き、「おつかれ。これ手伝い賃な」と約二週間分のささやかな手伝い賃という給料を彼に渡した。
 これで完全に静馬は光也を庇い匿っていたわけではなく、単純に路頭に迷っていた青年を一時的に雇ったという構図になる。
 丁寧に事を精算する静馬に四季は呆れた顔をして、よく理解していない光也は「こんなのまでいいんすか!」とただ感動していた。
 そのことが決め手となって光也は「真っ当になりたい」と、たとえ時折ヤクザが現れる店でもテッセンでのバイトを志願したのだが、静馬は非行青年の更生まで狙ったわけではない。結果的にそうなったのであれば、それは幸いに違いないけれど。
 四季はその場は「じゃあ、確かにこれで『精算』だぞ」とだけ言って帰っていった。
 それきり姿は見ていないが、そろそろだろうな、と静馬は麗らかな昼下がりに思う。
 からんころん、と懐古的な音を立ててテッセンのドアが開かれたのは、静馬が人気のないテッセンでほう、とひと息ついたとき。

「よう、マスター」
「いらっしゃいませ」

 人形のように上品な顔に快活な笑みを浮かべ、イタリアンスーツが嫌味なまでに似合うその姿。変わらぬ四季が幾日振りに来店した。
 慣れた様子でカウンター席へとやってきて、止まり木に腰掛けた四季は「いつもの」とそれこそいつもの注文をして、静馬に「いつものという商品はございません」と返される。

「マスターはつれねえぞ……エスプレッソ」
「はい、エスプレッソですねー」
「ツンデレなマスターも大好きだぞ!」
「いつデレたよ」
「なんやかんや注文受け付けてくれるところ?」
「接客業してるんだが?」

 なんでもかんでも自分への特別と曲解するストーカー体質かと静馬は戦慄しながら、豆を挽いていく。
 独特の手応えと音に心落ち着かせる静馬の背中に、四季が「なあ」と声をかけた。

「どうやって手助けしたんだ?」

 今日のおすすめを訊くような、軽やかな好奇心混じりの声音。
 静馬は豆を挽きながら「なんの話だ?」ととぼける。

「永長が井出をどうにか見つけたこと自体は……まあ、できなくはないだろう。でも、ちいと早すぎるぞ。友達の友達を辿ったところで限界はあるし、ヤクザ絡みとなれば売られる可能性を考慮する井出は知り合いにはなるべく姿を隠してたろうしな。
 永長だけの伝手未満や力じゃ、ちょおっと無理があると思わねえか?」

 挽いた粉をバスケットに移し、タンバーで押し固めていく。慣れてはいるが、慣れていないうちにはコツがいる。

「でも、現にできただろ」
「それがどうして、って話だぞ」
「頑張ったんだろ」

 水と粉をそれぞれ用意終えたら、マキネッタを火にかける。ここでようやく静馬は四季のほうへ振り返った。

「お前がなにを想像してるかは勝手だが、俺はなにも知らない」
「マスター以外は知ってるって?」
「……どうかな?」

 四季がゆっくりとカウンターテーブルに両手を組んだ。さり気ない仕草から互いの力関係や状態が窺えるというが、この場合は静馬が自然体で四季は攻性といったところであろうか。
 ふわり、と珈琲の良い香りが漂う。

「永長に訊いてみたんだよ。誰から聞いたってな。聞いても辿っても『誰か』にしかならなかった」
「噂が流れ流れて、か? よっぽど人望も運もなかったんだなあ、井出とかいうやつは」
「だから、とことんまで追求したんだぞ」

 静馬の表情が消えた。
 背後でマキネッタが音を立て始める。

「ある喫茶店……か? 風変わりな店で客がしていった思い出話が発端だったみたいだぞ。ろくでなしに出会ったことがある、そいつは今頃どうしてるんだか、から始まって拡大していった、と。
 どうやってって訊いておいてなんだが……──その店、マスターの知り合いがオーナーだな?」

 ぼこん、とマキネッタが音を立てた。

「……で?」

 静馬は再び四季に背中を向ける。
 マキネッタを火から下ろし、静馬はデミタスへと傾ける。
 濃厚な珈琲の香りに目を細めた四季の前、静馬はいつものように丁寧な所作でエスプレッソを供した。

「大層な偶然があったもんだが、それがなんだ?」

 表情は店を営むものとしては悪辣なほどの笑みを浮かべていたけれど。
 四季はデミタスを持ち上げ、エスプレッソを一口そうっと飲む。
 ほろほろとした苦い味わいの向こう、微かな甘味と果物のような酸味。

「美味い」
「そいつはどうも」

 デミタスを置き、四季もまた笑みを深める。

「どうもしないぞ? ただ、マスターとはいつだってお喋りしたいもんでな」
「話題にセンスがねえな」
「そいつは残念だぞ」

 それきり会話は途切れた。
 静かにエスプレッソを味わう時間もほどほどに、四季は立ち上がって会計を進める。

「マスター」
「んー?」

 ドアノブに手をかけながら、四季が肩口で振り返る。
 逆光で表情はよく窺えないが、唇だけは笑みの形に歪んでいるのが静馬には見えた。

「あんまり俺に嫉妬させないでほしいぞ」
「……嫉妬が許される関係になってから出直せ」
「マスターがその気になればすぐにでも! だぞ」

 からんころん、と懐古的な音がする。
 静馬は数秒数えてから近くの椅子へと腰掛け、その椅子があの夜に光也が座ったものだと思いだす。

「……二度とごめんだ」

 鼻先に香ったような気がするクエン酸の匂いに、静馬は胃を押さえた。
 暫く刺激の強いものを控える日々を送っていたが、どうにか取り戻せた日常に静馬は苦笑いを浮かべる。
 できることはやりきった。
 結果的に真面目に働いてくれそうなバイトも雇えた。

「まあ、上々ってことでいいだろ。多分」

 勢いつけて立ち上がりデミタスの片付けへ向かい、ソーサーを持ち上げようとして静馬は「あ?」と語尾を上げた。
 そっと忍ばされていたのは市販の胃腸薬。
 四季は静馬の不調に気づいていたのだ。

「……野郎」

 一包だけ置いてあった辺りが余計に腹立たしく、幾らでも手に入るだろうにあえて処方薬でもないところが更にイラッときて、静馬は足取り荒くカウンター奥へ引っ込んで水を汲んだ。

「あいつからのもんだろうが、使えるなら使ってやらぁ!」

 今日の営業はまだまだ続く。
 静馬は自棄になったように胃薬を飲み込んだ。

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