小説
五話



 永長光也はありきたりという意味においては平凡な人間だ。ただ、他人様にかける迷惑が平均よりは多い部類の人間であっただけで。
 悪いことは確かにやってきた、と光也は認める。
 暴力を振るったこともあるし、ものを盗んだこともある。警察の厄介になったことだって一度や二度じゃない。
 しかしながら、ヤクザの厄介になりたいなどとは、一度たりとも思ったことはないのだ。

「井出だけど、あいつ×××のほうにいるってよ」

 光也の携帯端末にそんな連絡が入ったのは、期限が定められてから二週間経とうかという頃であった。
 見つけたのか、と光也が勢い込んで訊ねれば、相手が直接見かけたわけではないらしい。
 というか、光也が智哉を探しているという話を聞いた誰かがそれらしい人物を見かけたという話を誰かにして、それが巡り巡って相手の耳にも入り、光也へ連絡してきたというものであった。
 信憑性を疑う光也に相手は「そういや、俺も最近聞いたんだけど、あっちのほうにあいつの昔の元カノがいるんだってよ。なんか随分整形したやつらしくて、それで幻滅したとかなんとかっつってたけど、今回は脅しにでもしたんじゃね?」と智哉のろくでなし振りに拍車のかかる情報をくれた。
 あいつならやりかねない、と額に片手を当てた光也は、漸く見つけた手がかりであることだし、とこっそり様子を見に行った。
 確認したアパートから丁度同い年ほどの女が出てきたが、可愛らしい顔には殴られたような痣があり、陰鬱な雰囲気であった。
 光也は直感した。あれが件の元カノで、顔の痣は智哉がやったのだ。
 アパートから十分距離を取ってから、光也はどこかへ向かう途中の彼女へ声をかけた。
 あからさまに怯えた女であったが、光也の知人であり、奴を回収しにきた、と話せば安堵に涙を流し、自宅に押しかけてきて整形のことを周囲にバラすと脅され居座られてる旨を話してくれた。
 脅され、ときに暴力まで振るわれる女はようやく智哉から解放されると喜んでいるが、光也もまた全力でガッツポーズをとりたいほどの安堵を覚えていた。
 光也は智哉が見つけられるか否かが命に直結していたのだから、仕方のない反応である。
 このまま女のアパートに踏み込んでも逃げられる可能性があると考えた光也は、予め教えられていた久巳組の益岡という男の番号に電話をかけた。
 相手はあまりにも早い、と訝しがっているようであったが、場所を伝えればすぐに来てくれるという。
 光也は女に暫く戻らないように伝え、自分はアパートから智哉が出ていかないか見張りながら益岡を待った。
 暫くして、近づいてきたのはひと目で分かる高級車と無難な車が一台ずつ。
 高級車から降りてきたのは益岡で、後部席を開けた益岡が顎でしゃくるので光也はへっぴり腰で車に近づき腰を抜かした。
 恐らく二、三人くらいは連れてくるかもしれない、と想像していた光也であったが、まさか以前も会った上役と思われるきれいな男までやってくるとは思わなかった。
 随分と若い男だがこの場にいるヤクザが全員畏まっているし、光也と智哉のことについて決定権も持っていたのだから組のなかでは偉いひとなのだろう、と光也は当たりをつける。そんな相手が定期的にやってくるというテッセンを思い出し、静馬の心臓はモフモフだなあ、と思ったのは明らかな現実逃避であろう。

「井出っていったか。そいつを回収できたら、お前はもうどこへでも好きにすりゃいいぞ」
「へ、は、はい!」

 視線も合わせない男だけれど、却ってそのほうが光也には助かった。ヤクザの偉いひとと真正面から見つめ合うなんてとんでもない。
 光也が地面に座り込んでいる間にヤクザたちはアパートに乗り込んでいき、あっという間に智哉を引き摺ってきた。
 智哉はどれだけ殴られたのか、顔中を血だらけにしてまともに喋ることもできないでいたが、それでもじたばたと暴れていた。ヤクザに対して自分がなにをしたか、自分がどうなるのかが分かっているらしい。
 暴れる智哉と光也の目が合った。
 期待に光った智哉の目に、光也はただただ失望した。嫌悪した。侮蔑した。
 こいつの所為で自分はどんな目に遭っただろう。まだ打撲の痕が体に残っている。甚振るために表面だけ切り裂かれた傷はきっと痕になるだろう。
 こいつの所為で、自分はどんな目に遭うはずであっただろう。
 こうして地面に埋まらず座っていられるのは、ただただ静馬に拾われたという僥倖があったからに過ぎないのだ。

「ダチだったんだろ。なんか言っておくことあるか?」

 光也の目に憎悪が宿ったのと同時、興味薄そうに男が促す。
 恨みつらみ、吐き出すならば止まらないと最初は思っていた。
 けれども、実際に言葉にできたのはたった一言だ。

「──地獄に落ちろ」

 絶望を目に表情に浮かべる智哉から、光也は目を逸した。
 智哉は引きずられ、男が乗っているのとは別の車へと連れて行かれる。もう、智哉と会うことはないだろう。
 それでいい。そのほうがいい。
 それでも、光也は項垂れる。
 何故か涙が出てくるのだ。
 ぼろぼろと苦くて堪らない涙が出てくるのだ。
 悔しいのかもしれなかった。悲しいのかもしれなかった。涙を流してもすっきりなんてちっともしない。流す毎に胸がつっかえ、塞がれるように苦しい。

「……乗れ」

 男が初めて自分を見たのだと、かかる声の方向で分かった。

「え、あ、はい」

 よろよろ立ち上がり、無理やり顔を服の裾で拭った光也はどこへ乗ったらいいのかと益岡を窺う。助手席を促された。

「あの……俺、自由なんですよね……?」

 それならば何故ヤクザの車に乗せられるのかと恐怖に青褪めていると、そんな光也を鼻で笑った男が答えないまま益岡へと命じた。

「テッセンまで」

 それを聞いて、たった二週間にも満たない時間しか過ごしていない場所だけれど、光也は思ったのだ。
 ああ、日常へ帰れるのだ、と。

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