小説
二話
「……マスターまで、あんまり困らせないでほしいぞ」
振り返った四季はほんとうに困ったような顔をしている。まるで、静馬が悪いことをしたかのようだ。
確かに、悪いことをしているのだろう。
分が悪いことをしている。しようとしている。
「誰の店で勝手しようとしてやがる。通報されてえのか、くそヤクザ」
四季の視線が尖った氷のように鋭くなった。
それも一瞬、人形のような笑みを深めて四季は首を傾げる。
「マスター、こいつが知り合いか? どういう奴か知ってるのか? 知らないほうがいい手合だぞ。なにも知らない、見ない、関わらなかったことにしたほうが、マスターの望むとおりになるんじゃねえかな」
「俺の望みをてめえがまともに叶えたことがあったか?」
「困ったぞ……なんだってそんなに聞き分けねえんだ。俺への反抗心だけでするには……ちいと過ぎるおいただぞ」
四季は笑みを消し去った。
僅かに見開かれた双眸は威圧感に満ちて、まともに視線を合わせるだけで呼吸が止まりそうになる。
なら、視線を合わせなければいい。
それが逃げであっても、負けにはならない。
現状における静馬の敗北とは、ただただ四季のいいように男を連れ去られること。
男と友誼があるわけではないが、可能性を思えば見過ごして目覚めが悪くなるのは必至なのだ。
静馬はそれこそ「自らの望むとおり」にするため、四季と相対する。
「ほんとうにそいつにてめえんとこの用件があんのか?」
「んー、こいつがメインじゃあないってのが『ほんとう』だぞ」
存外あっさりと認めた四季に、男が勢いづいて叫ぶ。
「俺は違う! 俺は智哉に騙されて、あんたらんところの金持ってったのは智哉なんだよ!! 俺は智哉に名前と車貸してただけなんだ!!」
なにも知らない静馬であっても大体のことが察せる内容だ。
だとしても、四季が「はいそうですか」と男を見逃すかは別問題だろう。
「で? そのお友達は?」
「だから、逃げて……」
「どこに?」
「……分からない」
「そいつは困ったぞ……連帯責任って知ってるか?」
目の前にしゃがみこむ冷酷な四季に、男は絶望的な顔になる。
例え、男が直接四季たちに迷惑をかけたわけではなくても、男の悪い友人がやらかしたのだから男にも非があると四季たちは、彼らが生きる世界は断じるのだ。
「連帯責任ね。俺は知ってるぜ」
四季が再び静馬に視線を向ける。
「今日のマスターは子猫みてえにじゃれついてくるな」
「気色悪い例えをしてるんじゃねえ。連帯責任っつったよな? え、おい?」
「言ったな」
「そいつ、ボコったのはてめえんとこか? ああ、いや、ボコられる羽目になったのはてめえんとことのいざこざが原因には変わりねえよな」
四季が唇を尖らせる。
静馬がどういう方向に話を持っていくつもりなのか、察したようだ。
「怪我人見つけた善良な一般市民が手当てした結果、善良な一般市民の店の床が一時血塗れになっちまったんだよ。てめえはよくご存知だと思うが、ルミノール反応待ったなしだ。酸で拭ったところで『酸で拭いました』っつう痕跡になる。ただでさえ御大層なヤクザが出入りしてる店で、だ。なんてことしてくれてんだ。てめえらの不手際のせいで痛くもねえ腹探られたら面倒くせえことこの上なくなるんだが?」
「……ヤクザもびっくりな暴論振りかざしてまで、なんだってこいつを庇うんだ……嫉妬しちゃうぞ」
「煩え。せーきーにん、せーきーにん」
やる気なく手拍子する静馬に、四季は舌打ちをして男を睨みつけた。
「くそが!! よくもこの店に転がり込みやがったな!!」
それは偽らざる四季の本音であろう。
恐らく、男が関わる案件程度、四季が出てくるほどのものでもないはずで、それでも彼が現れたのは男が行き倒れた場所がテッセンで、男を拾ったのが静馬であったからだ。
この場にいたのが四季以外であれば男は問答無用で引っ張り出され、静馬には高額紙幣が何枚か投げつけられるという屈辱があったはずだ。
この場合、四季は甘いのではなく、誠意があると見るべきなのだろう。静馬はその誠意を利用する。
「……で、そこまでしてマスターはなにがお望みだ? ただこいつを見逃せって? 俺たちに手ぶらで帰れって?」
「そこまで言わねえよ。ただ、期限があってもいいだろ」
「期限?」
金が全てのモノを言う時代になったとしても、ヤクザの面子は重たい。
男を完全に見逃すなどと不可能だと静馬は理解している。その場で了解されたところで、知らないところでどうにかしても、それこそ静馬は知らぬことなのだ。
「おい、お前もうダチなんざどうでもいいだろ」
「あ、は、はい! あいつなんかもうただのクソ野郎です……!」
「だよなあ。だったらそいつのことこいつらに突き出せ」
「へっ」
静馬は四季を見遣る。
額に片手をやっているのが心底腹立たしかったが、いまは罵倒の言葉を飲み込む。
「一ヶ月。それで見つからなかったら今生を諦めろ」
「え、えええっ」
「マスター……またこいつ逃して追いかけるのも手間なんだが?」
「安心しろよ。一ヶ月の間はうちで面倒見る。もし連絡つかなくなりゃお前に即連絡してやるよ」
四季はいっそ困惑したように静馬と男を見比べた。
ほんの数時間も経っていないような時間で、何故そこまで静馬が男を庇うのかさっぱり理解できないと黒い眼差しが物語っている。
静馬は童顔を年相応に見せる皮肉な笑みを浮かべた。
「俺はできる限りのことをしてるだけだ」
どうにもできないならば諦める。手を出さない。
できそうならば、その範囲に手を伸ばす。
「……マスターの信条に適ってラッキーだぞ、お前」
くたびれたような四季に言われ、男は顔をぐしゃぐしゃにして静馬に向かって這いつくばり額を床へこすりつけた。
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