小説
一話



 祖父はなんでもできるひとであった。
 あまりにも鮮やかになんでも解決してしまうので、できないことはないのかと訊ねたことがある。
 祖父は当時見ていた戦隊モノの悪役がするような笑みを浮かべて言った。
 ──できることしかしていない。
 祖父よりできることは少ないが、あの日からできることはやろうと思っている。



 テッセンは静馬一人で回していることから、営業時間が長くない。
 バーも二十四時には閉めるという早さである。こうでもしなければ自身の体が保たなくなるのだから当然だと静馬は割り切っている。もう少し年齢がいけば、バイトを雇うようになるかもしれない。
 そのときまで続いていればいいが、続くようにするつもりだ。静馬はテッセンに愛着を持っている。
 その日は雨が降っていて、テッセンが早く閉まることを知っている馴染みの客たちは早々に二軒目、あるいは帰宅のためテッセンを出た。

「……早めに閉めるか」

 気まぐれ上等。
 静馬はカウンターを出て、諸々の片付けを開始する。
 雨の日に億劫なのはゴミ捨てだ。
 飲食店である以上、毎日ゴミは出したい。地域の収集は毎日ではない。店裏に溜めておくのも季節によってはうんざりする。静馬は専門業者に頼んで回収してもらっていた。
 故に、テッセンの店裏はすっきりしたものなのだが、その日は違った。
 静馬がゴミ袋を持って煩わしい雨に顔を顰めていると、それ以上に顔を顰めたくなるものが目の前に転がっている。
 人間。
 それも流血するほどに負傷した人間だ。年齢は静馬より年下だろうか。荒んだ雰囲気のある男がぐったりと横たわっている。染めたであろう金髪に近い茶髪が雨水を吸って黒ずんでいた。
 雨によって血の染みも広がっているため、どこが具体的に負傷しているのか、静馬には一見して判断がつかない。だが、滲み広がっている所為で重傷にも見える人間が店裏に転がっているのを発見して、平然としていられる静馬ではなかった。

「あんた、大丈夫かっ」

 ゴミ袋を放り投げて男に駆け寄れば、男の閉ざされていた瞼が重たげに開いた。

「あ、あんたは……」
「俺のことはいい。救急車呼ぶぞ」
「だ、だめだっ……見つかったら……!」

 訳ありのようだ。
 静馬は隠しもせずに舌打ちをすると、躊躇なく男を抱き起こした。
 ざ、と男の負傷箇所を確認すると、負担をかけないように気を遣って肩に男を担ぎ、歯を食いしばりながら歩きだす。水気を含んだ服を着込む男を支えるのは骨が折れる。

「あんた……やめとけよ……厄介事って分かるだろ……」
「うっせ……ひとの店裏で倒れやがって」

 住居部分は二階。流石にそこまで運ぶのは難しい。せめて、男がもう少し協力できるようになるか、下準備がいる。それならば先に店へ運んで応急処置をするべきだ。
 静馬は「クエン酸でどうにかなるかな……」とげんなりした気分になりながらも、一切足を止めずに男を店のなかへと運んだ。


「思ったよか深くねえな。打撲のほうが深刻か」
「あんた、手慣れてんな……」

 再度確認するも救急車を断った男の手当てを終え、静馬は訝しがる顔の男にひらひらと片手を振り、救急箱の片付けをする。

「荒事とは無縁の人間だよ。時々あるだろ? 応急処置講習とか、AEDの扱い方云々とか。そういうの受けたことがあるだけだ」
「……変わってんな」

 誰にでも降り掛かっておかしくない不幸に、予め備える人間は決して多くない。
 静馬はにやりと笑う。

「役に立ったろ?」
「……ありがとう」

 礼が言えるなら結構なことだと静馬はカウンターの奥へと向かう。男は服を貸して着替えさせたが、雨に濡れていたので体が冷えている。静馬は片手鍋に牛乳を注いだ。

「言いたくなけりゃいいが、なんだってうちの店裏に転がったんだ」

 訊ねる権利はあるだろう、と言外に含める静馬に、男は項垂れながらぽつりと呟いた。

「ダチに……ダチだと思ってた奴に……嵌められた。俺に引っ被せて……囮にして……!」

 涙混じりの怨嗟であった。

「……そいつは災難だな」

 脳裏に過る可能性に長い夜を覚悟しながら、静馬は片手鍋を火にかける。
 牛乳がふつふつと音を立てた頃であった。
 鍵をかけていたはずの店のドアががちゃり、と音を立て、存外静かに開かれる。
 静馬は目を眇め、コンロの火を止めた。

「もう新しい客は受け付けてねえぞ」

 剣呑な静馬の視線の先、雨粒を一つも受けた様子のない四季が人形のように澄ました笑みを浮かべていた。
 いっそ異様な存在感で佇む四季に、男が「ひっ」と悲鳴を上げるが、静馬も四季も反応しない。

「ああ、客じゃなくて知人の回収に来ただけだぞ」

 静馬に視線を向けたままであるが、四季の指す「知人」が青褪めている男のことであるのは明白だ。
 静馬の目が冷たく冴えていく。

「タクシーなら呼んでやろうか」
「大丈夫だぞ、車で来た。さ、行くぞ」

 漸く男を見て促す四季は、まるで親切をしているようにしか見えない。だが、それでは瘧のように震える男の様子がおかしい。おかしいのだ。

「た、助けてくれ……俺は、俺は違う!!」
「……あんまり余計なことを喋るな。場は弁えてほしいぞ」

 座っていた椅子から転げ落ち、尻餅突きながら後ずさりする男に悠然と近寄る四季の背中越し、男と視線が合った。

「場を弁えるのは、てめえもだろうが」

 静馬はかつ、と床を鳴らしてカウンターの奥から出た。

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