小説
六話




「──美味い」

 しみじみといった様子で味わって、感想は飾り気なく。
 なによりだと静馬はほっとする。
 静馬が淹れた珈琲はマンダリンを主にしたブレンドだ。ぴんと一本芯がありながら全体の調和がとれて飲みやすい。
 一度試飲している四季も「やっぱり美味いな」といじけていた調子をどこかへ放ってにこにこしている。

「ああ、叶はろくなことしねえが、今度ばかりはよかったわ」
「おい、おい。どういう意味だ」
「そのまんまだろ」

 納得いかないという顔をする四季は、ふと静馬へ向き直ると珈琲カップを置いた。

「こんな場で無粋だが、後にしても時間があるとは限らねえからな。礼に欲しいものとかあるか? 俺に来るな寄るなとかそれ以外で」
「いま一番欲しいものが消えたわ」
「マスターってば欲がないぞ!」
「金目のもんなら幾らでも要求できるが。そいつ、金と権力だけはあるから。無駄にあるから。特に金」

 夾士郎の茶々に静馬は口元を引き攣らせる。
 一応、四季を罵るときにヤクザと言わないようにした静馬であるが、夾士郎は四季がヤクザであることをしっかりと把握しているのだろう。そんな夾士郎が知る四季は相当金回りがいいらしい。
 いまのご時世、いや、昔から。金というのはそのまま力である。ヤクザの世界では尚更だろう。
 四季は静馬が思っている以上に、上の立場のヤクザなのかもしれない。

「匂坂、余計なこと言うもんじゃないぞ。マスターとはあくまで個人的な付き合いを深めたいんだから」
「逆にヤクザ的に仲を深めたいって言われたら、白砂さんは何者だってなるだろ」
「そりゃそうだ……いや、でも……」

 なにかを思い出すように口元を覆った四季が、なにかそれこそ余計なことを言うんじゃないかと危惧した静馬は口早に「お礼」を要求した。

「良いもん食いてえ。肉」
「……あー、若えなあ。了解だぞ! このまま行くか。ついでに服も買っちゃうぞー」
「おい、まさかドレスコード必要な店に連れてく気か」
「マスターが気にしないなら別にいいぞ」

 思いつきでスーツを買い与えるくらいどうということもないという四季の様子に、静馬は開き直ってスーツの一着もお礼としてふんだくることにした。逞しくなくてはヤクザを相手に個人的な頼み事を引き受けてられないのだ。

「豆は少量挽いておきましたけど、酸化するので早めに飲んでください。これ、手順です。俺の手書きですけど」

 夾士郎が一杯飲み終えて満足そうな様子なのを見計らって、静馬は手書きの手順書を差し出した。
 夾士郎はありがたく受け取って、四季に「礼は弾んどいてくれよ」と言う。

「当然だぞ。さて、飯食うならそろそろ行くか」
「気をつけてな。俺が見送りに出ると曇るからここで挨拶させてもらうよ」

 四季から聞いた話は本人も自覚するところなのだと、静馬は改めて実感する。
 美貌一つで天候を左右するなんて冗談のようだ。
 けれども、窓から外を見遣れば青空が覗いている。一時的に曇っていたのは天気の迷いのように。
 帰りも厳重な警備を抜けて、静馬は助手席のドアを開ける四季を無視して後部席へ座る。
 四季は「やれやれだぞ」と腹の立つ仕草で肩を上下させ、運転席へと周った。

「じゃあ、行くか」
「ちなみにどこ行く予定だ」
「銀座だぞー」
「……ああ、そうかい」

 静馬は脱力してシートに全身を預け、目を閉じた。
 四季はそんな静馬に「寝ててもいいぞ」なんて言ったけれど、ヤクザの運転する車に乗って安眠できるほど静馬の危機管理能力は職務放棄をしていない。
 ただ、四季の運転は眠ってしまいそうなほど心地よいのも確かであった。



 静馬も知る名店で極上のステーキを食べて、これから先の人生で食べるステーキとの落差に嘆くという幸せな不幸に浸る静馬は、ようやく一人きりになった自宅でノートPCを前にしていた。
 帰り際の四季はあっさりしたもので、静馬を送り届けると車から降りもせずにただ手を振って「今度は店でな!」と言うに留め、静馬の姿があるうちに車を走らせた。
 常の態度もこうやってあっさりしてくれていれば好感度は多少増しになるのだが、と思いながら住居部分へ上がった静馬であったが、ふと思い出したのは四季の名前と忘れかけていた違和感。
 ブラウザを立ち上げて検索欄に入力するのは「叶四季 ヤクザ」という単語。
 ヒット数は多かった。

「……マジかよ……」

 トップページに表示されていたものだけで、静馬の知りたい全てがあり、きっとそれは望ましくないものだ。
 静馬は緊張に喉が乾くのを感じながら、恐る恐る一つのサイトをクリックする。
 表示されたのは「叶四季」の人物紹介。
 インターネットというものは恐ろしく、無情だ。
 著名人となれば丸裸に等しいほど、情報を公開されてしまう。
 叶四季、年齢は四十歳。
 広域指定暴力団高槻会若頭補佐にして後続団体久巳組の組長。
 高槻会は知らないものがいないほどに有名な暴力団組織だ。関東最大手といわれるが、実質は関西を壊滅に追い込みこの日本最大手に等しい。
 関西の暴力団組織との抗争は暴対法を前後して、今までの抗争とは全く違う陰惨なものであったという。
 久巳組。博徒から始まるこの組織は関西との抗争で最も多くの関西暴力団構成員を死に追いやった、日本最初の経済ヤクザと呼ばれている。
 別のサイトをクリックして、静馬は静かにブラウザを閉じた。
 ──関西の暴力団組織壊滅の影に、叶四季の名前が挙がっていた。

「…………そりゃ、呑気に高速流しなんざできないわな」

 きっと、今日も知らないところで護衛がいたのだろう。見慣れた車種のなかにも紛れていたのかもしれない。
 静馬は疲れたようにラグの上へ寝転がり、脱ぎ散らかしたスーツへ視線を向ける。
 これを買うときの四季のはしゃぎようはとてもヤクザには見えなかった。
 いや、いつだってヤクザには見えないほど軽妙なところがあって、でもふとした瞬間にはやはり一般人とは違って。

「……まあ、うちじゃあただの客だ」

 なにもない限り。
 静馬は腹筋を駆使して起き上がり、皺にならないようにスーツを片付ける。
 後日、いつもより時間を置いてから顔を出した四季は「今日のご注文は」といつもどおり素っ気なく訊ねる静馬に数度口を小さく動かし、それから嬉しそうにいつもどおりの注文をした。

「──エスプレッソを」

 地獄のように熱く、天使のように純粋で、なによりも恋のように甘い。そんなエスプレッソを。

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