小説
一話



 非日常は麗らかな昼下がりをぶち壊すようにやってくる。
 白砂静馬は幾度となく繰り返されようとも、あれを日常とは認めない。
 静馬の日常はいつだって、穏やかなカフェ兼バーである「テッセン」のなか、珈琲の香りと静寂と共にある。

「よう、マスター! 今日も愛してるぞ!」
「なんてこった、今日も非日常がおいでなすった」


 カウンター席で機嫌よくエスプレッソが供されるのを待つのは、ちょっとお目にかかれないくらい整った容姿を持つ男だ。
 白皙の美貌というべきか、上品な人形のような造りをした容貌にころころと無邪気に変わる表情は愛嬌がある。止まり木に腰掛けていても分かるすらりとした背の高さに準じた長い手足、カウンターテーブルの上で緩く組まれた指の美しさったら女の嫉妬を買いそうだ。
 二十代後半の自分よりは年上だろうが、それでもそこまで離れているようには見えないので三十代前半と静馬は当たりをつけている。

「はい、お待たせしました」
「ありがとう」

 デミタスに口付けて、にこりと機嫌のいい笑み。

「美味い」
「なによりです」
「棒読みだぞ、マスター」
「気のせいじゃないですかねー」
「雑な丁寧さ披露するくらいなら、ありのままのマスターをさらけ出していいんだぞ」

 静馬は半眼になる。

「なんでお前はそう言い回しが鬱陶しいんだよ」
「愛故だぞ! あとお前じゃなくて四季って呼んでいいんだぞ……?」

 ぱちん、と小馴れたウインクを投げられて、静馬はうへえ、と口をひん曲げる。
 このやたらと顔がいい男、四季がどういうわけだか自身へ直情的に言い寄ってきていよいよ久しくなっていることに、静馬は目を逸らしたい。
 静馬が異性愛者であるだけでなく、四季には静馬にとって受け入れ難い事情があるのだから。

「マスターの顔を見てマスターの淹れたエスプレッソを飲むのがなによりの癒やしだぞ……いつでも嫁いできていいからな、マスター」
「夢遊病でうちに来るのはやめろ」
「目覚めばっちりだぞ」
「寝言は寝て言えって言ってんだよ」
「え……マスターと目覚めの甘いピロートークしてもいいって……?」

 静馬はがん、とカウンターテーブルへ頭を打ち付ける。
 ああ言えばこう言う。
 四季のひとの言葉をこねくり回して自分の良いように打ち返してくるところに、静馬が一体何度苛々してきたことか。そろそろ胃袋に穴が空きそうだ。それとも血管が切れるのが先だろうか。なんにせよ、胃潰瘍やくも膜下出血が起きた場合、静馬は弁護士を立ててでも四季に慰謝料を請求する。絶対にだ。
 労るように頭を撫でてくる手が不愉快で、静馬はぺし、と払い除けようとして思い留まる。
 それは、危ないことだ。
 静かに身を起こした静馬の仏頂面を、四季はそれこそ愉快そうに見遣った。

「マスターのそういうところ、だぁい好きだぞ」
「嬉しくねえよ……くそヤクザ」

 にんまり笑った四季のきれいなきれいな手は、巧みに「札」を扱う大事な商売道具であるからにして、万が一にも傷をつける真似なんて静馬には出来っこないのだ。
 博徒。
 四季は正真正銘、古くから日本に存在するヤクザの一人である。

「マスターの前では恋する一人の男だぞ」

 冗談のようなことを真面目くさって言われても嬉しくない、と言ってしまえば、ヤクザであることのほうを歓迎しているかのようで、静馬は口を噤むしかない。
 舌打ちを堪える静馬の心情をよく理解しているのだろう、四季はくっとひと息にエスプレッソを飲み干すと席を立った。

「釣りはいらねえぞ」
「まいどありー……」

 当然のようにマネークリップから抜き出された高額紙幣に苦虫を噛み潰したような顔をして、静馬は形ばかりは丁寧に礼をする。くすくすと聴こえる笑い声に「さっさと帰れ」と怒鳴りたいのを手の甲を抓ることで堪えた。接客業は忍耐なくして成り立たない。

「また来るぞ」
「お気持ちだけいただきます」
「またまたあ!」

 満面の笑みで手を振って、ドアの向こうに消えていく四季。
 きっかり一分待った静馬は塩を引っ掴んでカウンターを出て、店の外へ向かう。

「だらああぁぁッ!」

 勢いよく左、右、左と戸口に塩を撒いて静馬が肩で息を吸っていると、ぺちぺちとやる気のない拍手が聞こえた。
 振り向けば、ドアから死角になる場所に四季が立っている。

「景気がいいなあ、マスター」
「なんでいるんだよ……」
「待ってたらマスターが会いに来てくれる気がして!」

 きゃ、と両頬を押さえた四季が意味深に静馬へ視線を送る。

「マスターが盛り塩するなら喜んで足を止めるぞ」
「煩え! 此処は日本だとっとと帰れ!!」

 中国の盛り塩由来を持ち出す四季に、静馬は怒鳴り返す。店を出たなら客ではない。
 静馬の剣幕にけらけら笑いながら、四季は今度こそ大手振り振り去っていく。
 静馬はその背中に向かって塩を投げつけてやりたかったが、四季が来る度に塩を撒いていたら追いつかないという嫌な現実が静馬に我慢をさせる。

「次来たら塩代も請求してやる!! 絶対にだ!!!」

 平穏な日々にちょくちょく現れる賑やかなヤクザ、悲しいことにこれが静馬の日常であった。

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