小説
三話
「総長」
「なんだい、隼ちゃん」
「あとで、不良らしいことしていいですか」
つるり、と葛切りを飲み込みながら、白は首を傾げた。
隼は笑みに似たなにかを浮かべる。
ふと起こされたささくれでさえ、見過ごせない記憶があった。
染みのように消えない記憶がある。
隼が七歳頃のことだ。
遊ぶのが勉強とばかりに、毎日公園へ行っていた。
両親は忙しく、たまに母親が迎えに来てくれる日はとても嬉しかったのを覚えている。
母親はどこか陰のある美人で、人見知りというには無理がある程度には常になにかに怯えていた。
隼の頭を撫でながら困った顔をする母親と一緒にいるのは幼心にも居心地が悪く、隼はよくついてこようとする母親を振り切って一人で公園へ遊びに行った。
幼稚園でも一番仲の良い千鳥は習い事も多いらしく、しょっちゅう遊べるわけではないのが残念であったけれど、アパートの近くの公園で一人遊ぶことは隼にとって慣れたものだ。
暗くならない内に帰ってきてね。
そう言って送り出す母親。
持たされていたのは大きな鈴。防犯ブザーはまだ意味も分からず悪戯をしかねないため、いる場所が分かる、暴れれば大きな音を立てる鈴を持たされたのだ。
公園の砂場にしゃがみ込んで、お昼だからと帰る他のこどもたちや他所の母親がいなくなっても一人で公園に残る隼。
「立派なお山ですね」
ぺたぺたと砂の山を固めている隼へかかった声。
振り向けば、ひとりの青年が隼と視線を合わせるようにしゃがみ込んでいた。
きつく吊り上がっているのに、笑みを浮かべるとやさしく和らぐのが印象的な目をしていた。
しかし、それよりも目を引いたのは真っ黒な髪。艶々としていて、まるで羽ばたく瞬間に瞬く鴉の羽のような色。思わず隼は自身の髪を砂だらけの手でひと房つまむ。隼の髪もよくよく濡鴉のようだと褒められていたのだが、青年の髪はその色とよく似た色をしていた。
否、他者から見れば、まるで同じ色である。
「おにいちゃんだあれ?」
「……私は旅行者ですよ」
にこにこと何故か嬉しそうな笑みを浮かべて答える青年。
もし、この場に第三者がいたのであれば、こども好きとして好意的に見られるか、異常性癖を持つ不審者の可能性を視野に入れるだろうけれど、生憎と公園には隼と青年しかいなかった。
一人で遊ぶことに少しの寂しさと退屈を抱くこどもと、こどもに大して愛想の良い青年しか。
「りょこーしゃ?」
「そう、知り合いがこの辺りに住んでいるので遊びに来たんです」
「あそびにきたの?」
「ええ」
「じゃあ、おれと遊ぼ!」
こどもならではの突飛な発想。
隼は目を輝かせ、やはりこどもの無防備さで青年にねだった。
青年は一瞬困ったように、悩むように目を伏せて、しかして喜びを表情に溢れさせながら頷いたのだ。
「ええ、遊びましょう。なにがしたいですか? なんでもしましょう」
「じゃあ、いっしょにお山つくって。いっぱい高くしたらトンネルも!」
「分かりました」
ぺたり、ぺたり。青年は真面目な顔で山に砂を盛り始める。時折水をかけて頑丈にして、また砂をかける単純作業を青年は面倒な顔ひとつせず隼とともに没頭した。
そうして暫く、無事トンネルも開通した頃には日も暮れ始めて隼ははっとする。
「そろそろ帰らないと」
「ああ、もうじき暗くなりますね」
立ち上がり、隼は青年と水飲み場で手を洗う。
横着をしてズボンで手を拭こうとした隼であったが、青年が厚手のティッシュで隼の手を拭いた。
「ありがと!」
「どういたしまして」
自然と公園の外へ向かう隼を青年は短い眉を下げた笑みで見つめ、「気をつけて帰るんですよ」と大人らしいことを言う。
当たり前のことであるが、青年と帰るわけではないのだと気づき、隼は立ち止まった。
「おにいちゃん、また遊んでくれる?」
驚いた顔をする青年に、隼は「ねえ、おねがい!」とねだる。
「……いいですよ。ただ……」
唇の前で立てられた人差し指。
「お母さんには、内緒です」
しい、と秘密を促す音。
「どうして?」
「知らない人についていったら危ないと言われたことはありませんか?」
「ある!」
「だからですよ。ついていかなくても一緒に遊んだと知ったらお母さんはきっと心配するでしょう。お母さんに心配かけたくないでしょう?」
隼の母親は怖がりだ。
青年のことを話せば隼まで遊びに行けなくなってしまうかもしれない。
「分かった、約束する」
隼が小指を差し出すと、青年はきょとん、とする。それに構わず隼は青年の手を取って、自身の小指と青年の小指を絡めた。
「ゆーびきーりげーんまん……」
嘘ついたら針千本飲ます。
「怖い歌ですね」
「そう?」
「でも、いい歌だと思いますよ。約束は守られなくてはいけない。約束を破ったものにはそれ相応の思いをしてもらわなくてはいけない」
青年が一瞬だけ苦しそうに顔を歪めて、隼に「約束です」と繰り返すので、隼は自分がとても大変なことをしてしまったのではないかと不安になった。
「さ、そろそろ帰らないと」
青年に促されて隼は恐恐と頷き、公園の出口へと向かって歩き出す。
道路へ出る直前、振り返れば青年は公園に立って隼を見ていたので、隼は大きく手を振った。
「おにいちゃん、またね!」
「ええ、また。また、会いましょうね、隼」
青年も手を振り返してくれたのにほっとして、隼はアパートまで駆けだした。
教えた覚えのない名前を呼ばれたことには、一切気付かないまま。
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