小説
二話
昼休み、文化祭における予定も大体決まっており、午後の授業は千鳥にとって大して実りのあるものではない。
このまま帰ってしまおうかと思いながら、千鳥は購買に向かう。帰るならば、白か隼の弁当からおかずの一つや二つを失敬してから帰ったほうがいい。
隼はすっかりと料理の腕が上がった。
最近では拓馬も白に料理のコツを訊いている姿を見かける。
千鳥は自分で料理をしない。彼にとって料理はあくまで食べるものであって、作るものではなかった。
美味しいものは好きだ。生まれ育った環境のおかげで、美味しいもののほうが食べる機会は多い。自分で作る必要はなかった。自分で作っても美味しくはならない。それならば、美味しく作ってくれるひとの料理を美味しく食べるほうが適材適所だと千鳥は嘯く。
「隼辺りがカニコロとか入れてないかなーって……あれ?」
廊下の先に見慣れた白い色。
けれども違和感のある姿に千鳥は立ち止まって眉を寄せる。
千鳥の視線の先には海老茶の制服をまとった背の高い白髪の青年の後ろ姿があり、制服以外であれば千鳥にとっては見慣れた要素の塊である。
しかし、しかしだ。
脳裏に浮かぶ白の姿。彼はもっと背が高くはなかっただろうか。遠目故に詳細に分かるわけではないが、周囲の風景は見慣れた校舎故に判断材料となる。青年の身長は隼と同じくらいか、それよりも低いかもしれない。
ただ、やはり真白の髪というのは、思考が白という人間と密接に結びついてしまうのだ。
千鳥は特に足音を消すこともなく、歩いて行く背中を追いかけた。
「ねえ」
かけた声に振り返る背中。
別人だ。
呆気ないほどに、白とは違いすぎる人間がいた。
ぼんやりと烟ったい色をした目に、どこか稚い人畜無害そうな雰囲気。
顔立ちもそうだが、存在そのものが白とは違いすぎた。
ことん、と首を傾げる仕草まで大人しく、青年がするには幼い仕草が彼にはどうしてかしっくりと似合う。
「ああ、えっと……うちの学校のお客さん?」
ただ人違いでした、で流すのもお粗末な気がして、敢えて誰何すれば青年は考えるように視線を巡らせてこっくりと頷いた。
ごそり、と上着の隠しから青年は電子メモを取り出し、慣れたようにペンを走らせて千鳥へと見せる。
「……あんた、何者?」
千鳥はメモの内容を認識し、一瞬前よりも鋭く青年を見遣る。
メモに書かれていたのは短い質問。端的な質問。一つの質問だ。
――あなたは一七夜月千鳥さんですか?
目立つ容姿を持つ青年を、千鳥は知らない。
白というbeloved総長の存在があって、これに類似する特徴を持つ青年が近くに存在したのであれば千鳥の耳に入らないわけがない。つまり、青年は近隣の人間ではない。
belovedという情報を介して千鳥を識っている人間ではない。
ならば、どうして自分と一七夜月千鳥の名を即座に結びつけたのか、と千鳥は青年の反応全てを捉えるようにじっと見つめた。
青年は千鳥の視線に怯むこともなく、一度電子メモを引っ込めると再び操作して差し出す。
今度こそ、千鳥の眉間に深い皺ができた。
青年はぼんやりとした表情で首を傾げるだけ。
「は?」
廊下に千鳥の低い声が落ちる。
屋上へ続く階段の上、白は厭な予感に見舞われていた。
なにか、途轍もないなにかが身に降って湧く予感がして堪らず、箸で摘んでいたさつまいものコロッケが滑って弁当箱の中に落ちる。冷めても美味しい、黒ゴマのひと味がさつまいもの甘さを引き立てる夕飯の残りだ。男にしては珍しいと言われることもあるが、白は芋栗南京全般をおかずでも菓子でも歓迎している。
(なんだ、俺はなにかをやらかしたのか? それとも誰かがやらかす出来事に巻き込まれるのか? 不良関連なら隼ちゃんに押し付けよう。拓馬でもいいな。いや、拓馬は俺にやらせたがるから日和……千鳥ちゃん……巻き込んでくる側な気がしてならない)
考えかんがえおかずとご飯を交互に口へ運び、最後に切り干し大根の煮物を口へと放り込んだ白はごきゅり、とミニペットボトルのお茶で腹を落ち着かせる。
腹が減っては戦はできないというのなら、ひとまず腹を満たしたならば戦はできるはずである。白としては戦を遠目に弁当を食べる側でありたいのだけれど。
「隼ちゃん、俺今日死ぬかもしれねえわ」
「織部さんは八十過ぎても長生きしてますよ。俺と漬物といっしょに年重ねるんです」
「糠どこ臭いプロポーズだね」
「織部さんからプロポーズしてくれるなら、いつでも歓迎なんですけどね。予定はありませんか?」
「なにこの子、ぐいぐい来るね……」
カニクリームコロッケを食べながらプロポーズされた白は、やはりカニクリームコロッケを食べながらプロポーズを催促されて戸惑う。求婚とはもっと厳かなものであったように記憶しているのだけれど、白と隼の辞書では違う意味が記載されているのかもしれない。少なくとも、白の辞書においてカニクリームコロッケを食べるついでに行うものとして記載はされていない。
「で、なにかありましたか」
「なんか嫌な予感すんのよ」
「漠然としてますね。織部さんが死を覚悟するほどの予感って、それもう俺が既に死んでるレベルじゃないですか」
「そうかなあ。隼ちゃんは俺より長生きすると思うよ」
白は真面目に言ったのだけれど、隼は箸を持った手を顔の前でぱたぱたと振る。おまけに「無理無理無理」と三度も無理を繰り返した。
「無茶言わないでください……で、ガスの元栓でも閉め忘れたとかですか?」
「長期の旅行でもなし、一々閉めないよ」
面倒臭い。
家事能力が高くとも、白はそこまで徹底した節約主義者ではないのだ。
では、なにが不安なのだろうか。そも厭な予感とは不安と直結しているのだろうか。
ぐるりぐるり考えているうちにも嫌な予感は増していき、白はホラー作品におけるヒロインのように漠然とした恐怖を隼へ訴えてはホラー作品における主人公のように根拠なくあしらわれた。
「ねえ、絶対なんかおかしいよ!」
「大丈夫ですよ、気にしすぎですって」
「だって……っ」
かつん、と足音がした。
彼は海老茶の制服をまとって職員室に赴いていた。
約束があったのだろう、すぐに学年主任がやってきてどこか緊張したように挨拶をする。
「――葛谷学園より生徒代表として参りました、織部優です」
紅茶色の目を細め、彼はとても、とてもきれいに笑った。
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