小説
五話
元々は豪奢な金色であっただろう髪の色は重ねた年齢により褪せていたけれど、碧色の目に宿る深みは年齢以上に彼の人物が歩んできた歴史を思わせた。
「やあ。久しぶりだね、カノン。そちらは初めまして」
本来であれば紹介する相手もいなければ直接言葉を交わすことも有り得ないであろう相手は、生粋の貴族だ。
それが気さくな笑みを浮かべて声をかけてくるのだから、変わり者と称する声が聞こえるのも仕方がないと思えてしまう。
「お目にかかれて光栄です、ロード……」
「正式な契約の場でもなし、雑談の間くらい私のことはエヴァンおじさんと呼びなさい」
白は自分が日本産でよかったなあ、と思う。
今後の動きはともかく、少なくともこの場はカノンが主導となるのだ。平然と無茶を言う貴族の相手を押し付けることに、白は躊躇がない。
しかし、そこで真っ当に戸惑いや動揺に慌てふためいていれば、カノンはOASのtoutに名を連ねていなかったし、そも脳筋などと呼ばれない。
「流石にそこまで図々しくはあれません。エヴァンおじさまと呼ばせていただきたく思います」
このリボン、やっぱりリボンが本体で脳みそ操作されてまともな思考回路残ってねえんじゃないかな、と自身の斜め前に立つカノンを凝視せずとも視界のなかで注目する。
エヴァンは笑い皺を深めて上機嫌に頷き、ゆるりとソファを示した。
「寛ぎなさい」
図ったように使用人が茶器を運び、正しく寛ぎの空間を成したエヴァンの私邸の一室。
エヴァンは決して暇を持て余してはいないだろうに、彼の周囲にはゆるりとした時間が流れて余裕と優雅さに満ちている。その雰囲気、態度に流されて接すれば、エヴァンからの評価もまた相応のものになることを白は理解していたし、カノンもそうだと……茶菓子を遠慮なく食べる彼女の姿に信じたかった。
「カノンは相変わらずだねえ。きみの裏表がないところを、私は好ましく思っているよ」
ほのぼのとカノンを見守る姿は孫を可愛がる祖父のようだが、カノンは少なくともエヴァンの孫よりはうんと年上である。恐らく、エヴァンの孫のほうがカノンよりはしっかりしているのではないかと白は思ってしまう。とても悲しい。
エヴァンが白へ視線を向ける。
「朱鷺は元気かい?」
カノンと交流多いtoutのquatre、朱鷺・ヴィンツェンツ。彼の名前に「保護者」という副音声が聴こえたのは白の気の所為ではないだろう。
先程までカノンが主導でよかったわーなどと思っていた白だが、未成年の自分の隣で紅茶と茶菓子を堪能している成人して久しい巨女リボンどうにかなんねえかなと意見を翻す。この場合、白に非はないだろう。
「ええ、おかげさまで」
「そうか、そうか! それならいいんだよ。彼が元気でなかったら、カノンも心配だろうからね」
(ヴィンツェンツさんは立花さんが元気なほど心配だろうけどね……)
後で連絡しておこうと白は決める。きっと、カノンの携帯電話に怒声が入ることだろう。
「私の孫は行動力のある子だけれど、よろしく頼んだよ。あの子は友人とこちらで過ごすことも楽しみにしていたからね、孫の楽しみは祖父としても応援してやりたい」
カノンは飲食の手を止めて、誠意ある態度で「もちろんです」と答えた。彼女はエヴァンの孫がこの国で在学する間、その身辺に就く。
エヴァンが孫の友人のことも含めて「応援」を口にしてくれたことで、今回の用事は殆ど終わりだ。
エヴァンの私邸を後にして、カノンは一足先に帰国する。
白にはまだ、イギリスで元々の予定があるのでもう暫し滞在するが、カノンとは別行動がとれるだけ随分と身軽になった心地だ。
思いつきをそのまま実行して朱鷺へ連絡を入れれば「あぁんッ? あの巨女なにやってんだ……!」という声が返り、白はもっと言ってやってという気持ちで通話を切る。
朱鷺に説教を受けるであろうカノンの反省はきっと長続きしないけれど、それでもずっとあの調子でいられるのは勘弁していただきたいのだ。白は余計な責任を負うなんて真っ平である。それも、いい歳した大人の代わりになんてとんでもない。
ぶらりと曇天の下を歩きだして、白は空気からして違う異国の大地を思う。
期間は長いほうだろう。
いや、短いのだろうか。
思い浮かべるのは隼の顔。
白はぱちり、とまばたきをする。
考えたところで仕方がない。
けれど、なにも考えず放置するというのも、また違うのかもしれない。
「まったく、困ったもんだよ」
さして困った様子もない呟きは空気に溶けて、聞くものもいない。
もう一度、白は「困ったもんだ」と繰り返す。
一番星のように輝く笑顔を見ることがなくなった理由。
無意識に自分の正しい扱い方で迫る相手。
今後に定められた身の置き場所。
白の胸中に波はなく、乱れはなく、衝迫もない。
「まだ、足りないかな」
必要なものが揃っていない。
かといって、揃ってほしいわけでもない。
そういう機微が自分にないことを、白は自覚している。
時間も、天気も、空に星を見せてくれないが、白は見えないものが見えているかのように空を見上げる。
一つひとつ、数え切れない星があって、一つひとつに物語があり、時折他の星々と結びつく。
星空のような世界で生きている。
燃え尽きるのはいつだろうか。
既に燃え尽きている星の消失を知るのは、知られるのは、いつだろうか。
「L'amusement arrive!」
言葉に反して、白はひどく無感動に呟いた。
帰国すれば程なくして、高校最後の夏休みは終わるだろう。
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