小説
4ラウンド



「そうちょーはそいつと、拓馬ぼこった奴と知り合いなわけ?」

 愉快そうな笑顔のくせに、千鳥の目は剣呑だった。真っ直ぐ射抜かれ、隼は眉を寄せる。

「訂正プリーズ。俺は正当防衛しかしてない。殴りかかられたから殴り返した。その後殴る蹴るの暴行をひたすら回避した。アンダスタン?」

 背後から男がビニール袋から取り出した二リットルペットボトルを開けながら、口を挟んだ。
 ごっきゅごっきゅと水を飲む男からはまるで緊張感を感じられず、どこまでも余裕な男に千鳥から不穏な気配が漂う。

「千鳥」
「なに、そうちょー」
「お前じゃ無理だ」
「あらカッチーン。喧嘩売ってんのかテメェ」

 千鳥の矛先は隼へ向かった。
 ざり、とアスファルトを慣らし、千鳥は隼の前に立つ。狼狽した後ろのメンバーには目もくれず、苛立った様な顔の千鳥は、ただただ隼に応えを求めた。

「あんたさ、今日の挙動不審とそこのおっさん、関係があるわけ?」

 おっさんと呼ばれた男は極道のような顔で、隼越しに千鳥を見た。思わず後ずさりしたくなる威圧感に、隼も弾かれたように振り替える。

「ん? なに? おっさんに何か? おっさんは怒ってないよ? ああ、おっさんは怒ってない。絶対におっさんは怒ってないから」

 明らかに千鳥の「おっさん」発言に感じるものがあったらしい男は、極道顔から一変、にちゃり、と哂う。

「それはさておき、だ。何度も言っていることを確認しよう。俺は帰りたい。お家に帰りたい。それをちょっとぶつかったくらいで喧嘩売られて、絡まれて。大概にしろよヴァカ共が」

 きゅち、と音をたててボトルのキャップが閉められ、幾分軽くなったペットボトルはビニール袋に戻される。

「今すぐそこを退け」

 隼の制止を聞かず、千鳥は男に向かって駆け出した。

「ああ、いつでもどこでもなにしても常に『ここ』に帰結する。1+1は2であるか。否。2=x+yもしくはx−y、xyなんでもいい。つまりはどんな公式を用いようとも答えが2であるという事実も真実も真理も覆しようがないのだ。それは望んで、いいや望まず、ただ事実であるので俺はそれに備えて……」

 百九十センチと高身長の男の側頭部に、千鳥は鋭い上段蹴りを叩き込んだ。空気を裂く音と、重く肉がぶつかる音、どちらがより鼓膜に警戒音として届いただろうか。
 息を飲むメンバーは冷や汗を垂らし、隼は悔いるような気持ちで腕を伸ばす。
 だが、隼の腕は届かない。

「ただただ――イコール2の結末を弾き出そう」

 千鳥のデザイン性が高く、あしらわれた金具で傷ついた手でその靴をぐ、とどかし、男は悪夢のような顔で、獲物を見つけた猛禽類のような目で、千鳥を捉えた。
 一瞬硬直した千鳥の首を、男の手が鷲の足のように無慈悲に掴んだ。

「がっ、あぁッ」

 勢いはそのまま、決して軽くはない千鳥の身体が男の腕一本で宙吊りにされる。首にかかる負荷に、千鳥の顔は赤黒くなっていく。

「オちろ」

 奇妙にひび割れた声で男が呟くのと同時、きつく首を締められた感触を最後に、千鳥の意識は黒く消えた。

「これで三度だ、三度も語るぞ? 相手は見ようぜ、Young children」

 ぶん、と振り捨てられた千鳥の身体を受け止め、隼は千鳥がただ気絶しているだけだということにほっとする。

「さて、今度こそ俺は帰るぞ。そこを退いてくれ」

 圧倒的な強さを見せ付けるだけ見せ付けて、それでも男は平然としていた。因幡のことも、千鳥のことも、男にとっては「当たり前の結果」に過ぎないのだろう。
 粋がって絡んできた子供を「大人」として諭すこともなく、その暴力的な腕で屈服させただけ。
 きっと、隼がいる場所では、なによりも「正しいやり方」だった。
 説教など、説法など、ありがたい高説など必要ないのだ。隼たちは「分かっていて」こういう在り方をしているのだから。その上で「強者こそが法」というルールを掲げているのだから。
 男は、そのルールをこの上なく準拠した「正しい大人」だった。

「待ってください」

 男がたかる蝿を払うような気持ちであったとしても、男はルールにのった。ならば、隼もルールに従う。

「仲間の不始末は頭の俺の責任です。でも、ここまでやられて、ただ詫びるなんてできません」
「悪いことをしたら、ごめんなさい、だ」
「俺とやってください」

 男の目が凝る。
 暗い夜のはずなのに、男の目はまるで獣のように光ってさえ見えた。
 きっと、さっきまでなら隼は息を飲み、身体が震えただろう。しかし、一度腹を括れば、男の刺すような視線すら隼は受けめてみせた。
 冷たい風が隼の首を擽る。男は黙ったままだ。

「俺と、やりあってください」

 繰り返す隼に、男はぱちり、と目を閉じた。

「俺は喧嘩を率先してやりたいほうじゃない」
「それでもだ」
「そんな強引な誘われ方初めてで、きゅんときたかもしれん」

 いつだって皆さん、言葉より先に肉体言語なんですもの。
 はふん、と男は風体に似合わぬ息をつき、首を傾げて目を開ける。先ほどとは違い、悪戯っぽく目がきらきらしている。

「俺のメリットってある?」
「あんたが勝ったら、俺はあんたに一生ついて言うことを聞く。俺が負けたら、あんたには『beloved』の総長になってもらう」
「ビラブド?」
「俺がまとめてるチームですよ、兄貴」
「oh……パシリにもチームにも興味ねえけど……まあ、いいか。オーケィ、了解だ」

 NOなんて聞いてくれないだろうし、急がば回れだ。
 男はジャケットを脱ぎ、裏表に軽く畳むとビニール袋ごと地面に置いた。
 数歩、男と隼の距離が近くなる。

「昼間みたいにはいきません。全力でやる」
「昼間トカナンノコトカワカラナイノデスヨ」

 隼は笑い、地面を蹴った。


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