小説
三話



 授業中も休み時間も静かに沈黙を保っていた白は、昼休みになるなりゆうらりと立ち上がった。

「あ……織部さん、どちらに……?」
「カチコミ」
「あ、はい。いってらっしゃい」

 不良集団に属していようと、全くの無表情で淡々と返された言葉に隼はちっとも血湧き肉躍らなかった。ぱたぱたと手を振って白を見送るばかりだ。
 教室から出た白は一度深呼吸して、百九十センチを超える身長の人間にされるととても恐ろしい迫力が付随する凄まじい速度で廊下を駆け出した。いまの白は「廊下を走るな? は? 知らね」と吐き捨てててもおかしくないほど、生徒手帳記載の規則も、廊下に貼り付けられた訓示も無視している。
 廊下を駆けて階段も駆け下りて、あっという間に辿り着いたのは二年生の教室。白は躊躇なく荒々しい音を立ててドアを開け放った。

「拓馬てめえこの野郎、男の純情弄び腐ってからに表出なさいよおッッ!!」
「ひいあぁ……っ」

 無表情で怒声を上げれば誰もが恐怖に青ざめ硬直するが、いまの白には知ったことではない。
 白はお怒りであった。
 頭からしゅっぽっぽっと湯気を噴出させてもおかしくないほどに激怒していた。
 名指しされた拓馬が教室の隅で日和と抱き合い震えているが、白は躊躇なく教室に踏み込んでふたりを追い詰める。

「なによこれ! どういうことよ!! お前の筆跡じゃねえでしょうがよッッ! どこの美少女に代筆頼みやがったこの野郎!!!」

 白が拓馬の眼前に突きつけるのは、下駄箱に仕込まれていた封筒。
 拓馬は益々震え上がり、か細い声でぽしょぽしょと答える。

「ひ、日和のねーちゃんに……」
「……断罪」

 教室に拓馬の悲鳴が響き渡り、恐ろしいほどの沈黙の後、白は一人何事もなかったかのような様子で教室を出て自らの教室へ戻っていった。
 怖怖と悲鳴の上がった教室を覗きに来る他クラスの生徒たちがいたけれど、誰もなにも語らなかった。
 青褪めた顔をして、一切口を割らなかったのである。



 Hortensiaに響く千鳥の引き笑いが、白の小鳥のような心にさくさくと突き刺さる。
 ひいひい笑っていたかと思えば、ぶへえと噎せて、だんだんとテーブルを叩いてまた笑う。
 甘やかに整った顔はそれでも崩れない。
 白は理不尽を噛み締め、世界の不公平を呪い、万人の平等を求め、持てるものは持たざるものの差をなくしたいと考え、共産主義の赤色に心を染め始める。

「千鳥、いい加減にしねえと総長に呼吸ごと止められるぞ」
「隼ちゃんが俺のことどう思っているかよく分かったよ」

 心を赤色に染めている場合ではない。染めるべきは拳だったんだ、と白は胸を躍動させ始める。隼の言葉が全く否定できない心理状態である。

「ふ、っふふ、だって、総長がラブレター貰ったかとおも、思えば……! 拓馬から、と、か……!」
「千鳥ちゃん、総長十八歳なんだよ。キレると怖い十代なんだよ」

 白に宛てられた手紙は拓馬からのものであった。本人が白状したところによると、宛名は日名子に書いてもらったらしい。どうりで筆跡が女性のもののはずである。
 残念ながら、本文である便箋の筆跡はがらりと変わり、白の見覚えがあるものであった。
 内容もまた、正体を隠してはおらず、単純に自分が手紙を仕込んでもまともに読んでもらえないと踏んで日名子に協力を仰いだらしい。

「しかし、なんだって手紙なんていう回りくどいことをしたんですか? メッセージでもなんでも送ればいいのに」

 隼が怪訝な面持ちで言う。
 白は誰からの手紙である、というのは告げたが、手紙の内容にまでは口外しなかった。
 千鳥もまた表情を先程までとは改めて白を見てくるが、彼は答えるつもりがない。
 回りくどい手段、と隼は言ったが、仕方のないことの部類になるのだろう、と白は判断する。
 率直に伝えることなど、拓馬にはできなかったのだろう。
 簡単に伝えられるということは、簡単に返事がくるということだ。
 簡単、なんて言葉が、拓馬には到底使えないほど、彼には重要なことを手紙に書いたのだろう。
 白にとって、記載された内容は書いた人間が込めたものの一端にようやく届くか程度の重さしか感じない。それすら想像でしかない。
 もし、手紙ではなく機械を通した言葉で伝えられたなら、重さはもっと感じなかったであろう。想像すらしないままに返事をしたかもしれない。
 隼と千鳥の物言う視線に応えないまま、白はもう一度だけ手紙の内容を思い浮かべた。
 例文をひっくり返したのだろうな、と想像がつく挨拶に始まった手紙の本題は、ささやかだけれど相手次第では的外れなもの。
 拓馬が白に伝えるには、的外れなもの。
 拓馬は頑是ないこどものような言葉で、白へ宛てた一つの願い事を手紙に託していた。
 ――体育祭での弁当を作ってほしいです。
 白は拓馬にまだ返事をしていない。
 教室での一件が響いているのか、拓馬も日和もHortensiaには顔を出していない。

「隼ちゃん、belovedってざっと数えて何人だっけ?」
「藪から棒になんですか。ざっとっていうと、まあ、三十ちょいくらいですかね」
「……多いよねえ」
「そうですか? やってることに対しちゃ規模がかなり小さいですけどね」

 笑う隼の頭を「ありがと」と言いながらくしゃくしゃ撫でて、白は考える。
 一人を贔屓することは、他の約三十人へばれずにできるだろうか。

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