小説
五話
宝石で例えよう。
アメジストもエメラルドも、現在市場に出回っているものは一世代前のものと比べると色は随分薄く、小粒である。上等な石はカボションで少しでも大きさを維持しようという必死さが窺える。
パライバトルマリンなど、採り尽くされてもはや砂礫を攫うような作業のなかからほんとうに小さなものをどうにか見つけ出そうとしている有様のものも少なくない。
しかし、ほんとうに上等な石がなくなったわけではない。
バイヤー、コレクター。
増々高騰する価格を知っていて、増々希少になることを知っていて、現在では決して手に入らないハイジュエリーを厳重な金庫に閉じ込めるものたち。
必死になって石の確保に奔走する彼らとは別に、平然とした様子で希少な石を有するものたちがいる。
採り尽くされる以前から、当たり前のように高価なそれらを「如何ですか?」と家まで持ち寄られ、微笑んで頷き手に入れてきた人々。
そうして、我が子へと譲って、気づけば当時の購入額では決して同じものが手に入らない現代へ続いている。
良家とは、名家とは、そういうものだ。
彼らが大切なものをしまう箱には、喉から手が出るほど、その手が所有者を殺す刃を握りしめているほどに欲しくて欲しくて堪らないと羨望される宝が詰まっている。
「犬がいるとやる気起きねえんだよなあ」
トリスタンが呟くと同時に、まるで影から這い出るように白が姿を見せる。
「いいじゃないの、楽できて」
表では優雅な社交の場が繰り広げられているが、反して静かな持ち場。
倉とひと言でいっても、二階建ての存外広いものだ。
きちんと管理されているからだろう、古いにおいはするけれど置き去りにされ、朽ちた気配はまるでない。
整理整頓された何某かの品々が数多く収められているけれど、その全てを千凌然り代々の当主は把握しているに違いない。
重要文化財の宝庫といってもおかしくないであろう倉のなか、トリスタンは「二名確保」と短い連絡を外へ連絡する。
意識を失って倒れているのは二人の侵入者。
「犬」に追い立てられ、トリスタンによって確保された招かれざる客だ。
「あいつら対人警護が本分だろうに」
「番犬だけじゃなくて、猟犬もいるってことでしょ。ってか、対人警護が主って思われてるから今回の案件には使いやすいんじゃない」
要人のそばへ付き従っていて当然の存在。
要人が幾人も集まっている今日という場では、彼らはとても動きやすい。
表の警備の取りこぼしを集めて追い詰める手腕は慣れたものだ。常であれば刈り取るまでしてみせる。
「しかし、社長は分かってて案件組んだのか」
「社長に訊いて」
トリスタンは意味深に倉を見渡し、白へ揶揄するような笑みを向ける。
フランス生まれであるトリスタンだが、片眉をきれいに上げる仕草はドイツ人のようだ。役者がドイツ人の役を演じるときは、片眉を上げる仕草ができるか否かが重要だというが、トリスタンの皮肉にも見える顔は合格点をもらえるだろう。
「表でにこにこしてる当主の孫、イケメンだよな」
「ほんっとにもう! 憎らしくなっちゃう! あの顔面の皮剥いで社交性を俺のものにできたら白くんも友達百人目じゃないだろうに。人生とは斯くも厳しい」
嘆かわしい、と首を左右へ振る白は、大仰な仕草や台詞に反していつも通りの無表情だ。
相変わらずの白にトリスタンは呆れた顔をする。
「もういいんじゃねえの、それ」
白の首が骨でも折れたようにがくん、と傾げられる。
「どうでもいいからどうにでもしてどうとでもなるんだ。今更、どうにかするのも面倒だ」
呟くと同時、白の姿がその場から消える。
広いといってもたかが知れている倉のなか、探っても気配すら見つからない白に「相変わらずこれだけは敵わねえ」とトリスタンは肩を上下させ、倉へやってくるひとの気配にそっと居住まいを正す。
「ようこそ、どうも。さようなら」
最終日の夜、表に出されていた品々は全て倉のなかに収納されている。
招待状偽造事件、成りすまし事件、様々な方法で一七夜月邸に入り込もうとしたものがいたけれど、それらは全て序の口。
侵入者は全て捕らえているが、偵察に始終して外部へ情報を流しているものもいる。倉の構造を把握したもののために、倉は以前と同じように物がしまわれるばかりではない。
厳重にしまいこまれる前に、と踏み込んでくるものたちは必ずやってくる。
千凌はそれらにはいどうぞ、と倉の中身を明け渡す気など毛の先ほどもない。
ほんの僅かな気配。
するりと非正規の手段で倉へ忍び込む身のこなしは見事のひと言しかないが、もっと上手に気配を殺害するひとを待ち構えていた男は知っている。
数人の人影が倉のなかへ入り退路を残すためだろう、ほんの少しの隙間を残して扉が閉められるのと同時に扉へかけていた一人の手が突如踏みつけられる。
鈍い音を立てたのは折れた骨か、手の上から押さえつけられるように閉ざされた扉か。
上がる悲鳴と警報。
侵入者が暴れだすより早く、彼らの顎が強く打たれる。誰かが通り過ぎたと気づく間もない早業に、ぐわりと揺れる脳。足元が揺らいで膝を突けば両足が素早く拘束された。
手際が良すぎる。
待ち構えていた相手も複数だったのかと、彼らは日本語ではない言語で口汚く罵るも、その口には順繰りと猿ぐつわがされてもがく腕も堅固に拘束され芋虫の体を晒すしかない。
呪うような視線を朦朧としながらも向けようと足掻けば、暗闇のなかにぼうっと浮かぶ灯火を二つ見た。
「這怪物……!」
暗闇のなか、空気が揺れるような気配もなく灯火が近づいた。
「褒めてくれてありがとう」
通じぬ罵倒に、価値などない。
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