小説
十一話
真辺隼という青年は、織部白と出会うより以前は他者をあまり近づけない性質をしていた。
尤も、幼馴染である千鳥からすれば、その見解は鼻で笑えるような薄っぺらく表面的なものでしかなく、隼はいつだって誰かを求めていたのだけれど。
隼は肩口に引っ掛けるように持っていたエコバッグを体の横に下ろして、ごく自然な動作で歩きだす。
つまらなそうな表情で白の横に並ぶと、鳥羽を一瞥。
なにを言うこともなく白へ視線を向ける。
「総長、買い物頼まれるのはいいんですけど、これお一人様一点限りだからって言ってたやつじゃないですか」
「あ、やっべ」
「てきとうに暇なやつ呼び出したんで数は間に合ってるはずですけど、大丈夫ですよね?」
エコバッグを開いて見せる隼に、中身を確認した白が頷いて、無表情に親指を立てる。
「よしよし、お利口さんだ」
「そうでしょう、そうでしょう。もっと褒めてくださっていいですよ」
「潔く図々しいよね、お前さん」
「それほどでもありませんよ」
「あるでしょうよ」
なに言ってんだこいつ、とばかりに白が言い返すも、隼は照れたような顔で後ろ頭を撫で付けるばかりだ。とっても腹立たしい。
この場で一番腹立たしい気持ちなのは、突如完全に無視された鳥羽だろう。
目の前には焦がれて焦がれて触れることもできない隼がいて、触れてほしくもない、見てほしくもない、同じ場所にいてほしくもない白と親しげに接している。
吐き気のするような光景だ。
怖気のする光景だ。
なんて悍ましいのだろう。芸術に対する汚辱にも等しい、冒涜だ。
引き裂いてしまいたい。
目の前の光景を二度と再現できないほど細かく小さく引き裂いてしまいたい。
それなのに、鳥羽の手には最早ナイフすらなく、鳥羽の力は白どころか隼にも敵わない。
隼が望んだなら鳥羽の願望も妄執も結実する余地があったのかもしれないけれど、目の前の悪夢はどこまでも鳥羽の理想を汚染する。
「やめてください……こんなのは、あっちゃいけないんだ」
震える声で懇願すれど、隼はもう一瞥すら鳥羽へ向けない。
いらない、興味がない、必要ない、近寄るな。
消えてなくなれ。
鳥羽の望むがままの、隼の姿で、鳥羽を拒絶するのだ。
吐き気と鳥肌に震え、鳥羽が脱力して地面へ座り込む。
「じゃあ、夕飯食ってくかい? 隼ちゃん」
「お相伴に預かります」
ぽん、と隼の背中を押して促す白に、あっさりと従う隼がさり気ない仕草でナイフをハンカチに包んで回収していく。
先を歩く隼の後ろついて数歩、白が座り込む鳥羽を振り返る。
「鳥羽くんが望んだものだろ? そら――喜べよ」
無表情に、白い顔が邪悪な笑みを漂わせた。
すととととと小気味良くじゃがいもを一センチほどの厚さで切っていく白の隣、隼が涙をびしゃびしゃ零して鼻をずびずびいわせている。
「あの、買い物行った人間に玉ねぎ切らせる仕打ちってどうなんですか……」
「夕飯ご馳走するんだからいいじゃない」
「……そうですか」
腑に落ちない気持ちになった隼が、もう一度鼻をすん、と鳴らす横でじゃがいもをざるに空けた白がなんてことのないように続ける。
「それに、隼ちゃんが作った合鍵だって咎めてないでしょ」
ぴたり、と隼の手が静止する。
まばたきすら止まった茶色の目から、新しい涙が頬を伝って落ちた。
「なんのことでしょうか」
「そういうのいいから。言ったでしょ、咎めちゃいないよ。やるって分かってて渡してんだから」
買い物に行くのに財布と、買ったものを置いて行くのに隼は鍵を渡されている。
結局、隼は白を追いかけてきたので、本来であれば鍵の出番はなかっただろう。
だが、本来の用途とは違う出番があったことを白は分かっている。
隼は渡された鍵を複製している。
複製したことを指摘されるまで黙っているつもりでいた。
そのことを、白は知っている。
知っていて、分かっていて、鍵を渡したのだ。
「……織部さん」
「んー?」
ベーコンを取り出しながら、白は隼のほうを見もせず返事をする。返事ともいえない返事だ。
真実、白は咎める必要がない、良しとしたから起こした行動に、態々注目、傾ける意識を持たない。
「俺、独りなんて冗談じゃないんですよ」
「ふうん」
玉ねぎを切る手を再開させながら、可能な限り作ったであろう平坦な声音で隼が訥々と語る。
「でも、誰でもいいわけじゃないです」
「どこの夢見がちな女だよ」
「……まあ、否定できないですね」
でも、と顔は上げた隼は、真剣というよりも悲壮な顔をしていた。
見知らぬ土地で親とはぐれた子どものようだ。
親とはぐれたといえば、隼もその状況に大した違いはないのかもしれない。
十代は、自分で思っているよりも、周囲が認識する通りのこどもである。
「独りは、嫌なんですよ」
ベーコンの脂身に、鋭い包丁が入る。
「ほんとうに?」
分厚く切られた肉。
「ほんとうに、嫌なのか?」
顔も見ないで、不躾に。
顔を見ないでくれる、優しさに。
隼の表情が歪み、包丁を持つ手が震えそうになる。
白が用意した、並んで調理をするための包丁と俎板が、ゆらゆらと視界のなかに歪んでいくのを隼は瞼の奥に隠した。
「いいえ。俺は独りは嫌じゃないです」
嫌ではない。
ほんとうは、嫌ではないのだ。
「――でも、怖い」
白はひと言、たったひと言で応えた。
「そう」
桜は間もなく全て散り、鮮やかな緑色の季節を迎えるだろう。
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