小説
六話



 どうして、なんで。
 そんな意味を含めた視線が白の背中に突き刺さるが、白は視線に応えることをしないまま少年に近づく。
 少年は静かな微笑を湛えて白を見上げ、彼が自分になにを言うのか、するのかを待つ。
 が、白は「はい、ちょっとどいてくださいねー」と平坦な声で少年をどけて、そのままドアをくぐっていった。

「……総長が見かねて、なんてあるわけないか」

 千鳥の呟きにbelovedメンバーは「そりゃそうだ」という空気になり、もとの雑談へと戻っていく。
 取り残された少年は小さくため息を吐くと軽く肩を上下させて「今度はちゃんとお客さんとして出直しますね」と浅木のほうへ声をかけ、隼へ視線を向けながら口角を上げると猫のようにするりとドアの向こうへ消えた。
 様子からすると白を追いかける気もなさそうだ。

「よかったね」

 未だドアを凝視する隼は、ゆっくりと視線をカウンターテーブルに戻す。

「よかったね」

 繰り返される淡々とした千鳥の言葉に、隼は口元を歪めながら「そうだな」と返す。
 あとは賑やかな店内でカウンター席にかけるふたりだけが奇妙な静けさを保ったまま、時間が過ぎていった。



 静かな面持ちで歩く少年は、公園に辿り着くとベンチに腰掛けて葉桜になりかけている霞雲にも似た淡色を見上げる。
 遠くに透き通った青い空。目を焼くほどに眩しい光。
 閉ざした瞼の上に両腕を置いて、ベンチの背もたれへと背中を預ける。
 静かだ。
 昼食のためにこどもたちも公園にいない。
 鳩さえも鳴き声を上げず、時折車の走行音が聞こえる程度。
 とても、静かだ。
 少年は小さく唇を開きかけて、すぐに閉ざす。
 言葉は飲み込まなくてはいけない。
 本音は、本心は、隠したい全ては決して外へ漏らしてはいけない。発露させてはいけない。表出させてはいけない。音にも文字にも耳にも目にも感触にさえ、残してはいけないのだ。
 全部ぜんぶ飲み込んで、どれだけ腹の中が焼け爛れそうになっても、自分のなかに閉じ込めるのだ。
 そうして、ぐつぐつと煮詰められたものは恐ろしく、悍ましく、醜怪な様になっているだろうけれど、そも、人間の中身が醜怪でないほうが稀である。
 肉の色。
 生肉の薄紅に、血管が透き通って青紫の筋が走り、時々白いものが混ざったりもして、ひたすらに生臭いものが人間の中身だ。
 今更なにをどう取り繕っても無駄。
 少年は飲み込み、腹の中でぐるぐるとうめき声にも似た音を立てて煮詰められていくものを味わう。
 客観的に少年の様を見るものがいたとして、まるで蠱毒だと忌避するひともいるだろう。
 ぐちゃぐちゃと。
 どろどろと。
 飲み込んで全部混ぜて一つに溶かして煮詰めて固める。
 出来上がった塊は、吐き気では収まらぬほどに気持ちが悪いものになっているだろう。
 その塊を、少年はどうするつもりなのか。
 永遠に腹の中にしまい続けるつもりなのか。
 少年はゆっくりと腕をどかして、ベンチから立ち上がる。
 公園を出て行く直前、振り返った桜に少年の目が細まる。
 静かな笑みを。
 静寂を引き立てる笑みを。
 時間が静止したかと錯覚を引き起こす笑みを。
 少年は桜に背を向けて歩きだす。
 てく、てく。
 特筆すべきところなどない歩調。
 てくてく……てく……ぱたん。
 少年の足取りが弾む。
 ぱたん、ぱたん、ぱたたん、ぱたん。
 スキップ、スキップ。
 軽やかな足取りは、空まで飛んでいきそうな風船を思わせる。
 ぱたんぱたんぱたぱたぱたぱたばたばただだだ。
 走る。
 走る。
 全力で走る。
 追いかけるように、それとも振り逃げるために。
 少年の顔にもはや笑みはない。
 激しい動きに紅潮した頬を、さらさらと風が撫でていく。
 少年の頬を擽った桜の花びらが、遠く青い空の彼方へ消えていった。



 気配を殺してHortensiaのそばに立って待ち、少年が出てきてからそのままついてきていた白は、少年が公園を出て行くのを見送ってから「お日様が眩し過ぎて灰になりそう」とこそこそ逆方向に向かって日陰を歩く。
 思い浮かべた少年の顔。
 一時間もしないうちに記憶から消えていきそうな顔。

「向いてねえなあ」

 ぽつりと呟いた白は、しかしどうでもよさそうな様子で欠伸を噛み殺して数度まばたきをした。涙の溜まった飴色の目がきらきらして、とても鋭い光を放っている。怖い。

「俺へのお誘いなら乗るんだけど」

 いくらでも踊り狂ってあげよう。
 うっそり呟く白は、無表情ににたにたと意地汚い笑みの気配を漂わせる。その雰囲気に危機でも察したか目線近くの塀の上でまどろんでいた猫と植木の枝にとまっていた烏が一斉にいなくなった。

「……森のお友達にはお腹減らなきゃなにもしないよ」

 すっ飛んでいった猫と烏を見送って白はちょびっとだけ傷ついたが、日陰を一層寒々しく感じさせるほど照りさしていた太陽が暗い雲に遮られ始めたのを見て隼の話を思い出し、先ほどの非ではない形相でマンションに向かって全力疾走を始める。
 干しっぱなしの洗濯物の運命や如何に。

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