小説
二話



 閉店間際のHortensiaから「やだやだまだ飲むのー」と地獄の底から響くような低音で駄々を捏ねる白を「でも今日はおしまいにしましょうねー」とあしらいながら隼は白とともに小夜風のなかを歩く。
 三年生に上がったばかりの季節、まだまだ桜は随所で咲いているがやはり夜は寒い。酒を飲んだあとならば尚更だ。

「総長寒くありませんか」
「特には。寒いならコートやるぞ」
「総長が風邪ひきますよ」

 白はなぜかおかしそうに肩を揺らす。それを不思議そうに隼が見遣るのだが白はなにか声に出すことをせず、隼の頭を軽く撫でたあと髪をひと房梳っていった。

「いい色に染めてるよな」
「……そうですか」
「深緋」
「こきひ?」
「深い緋色って書く」

 なにか言い含めるような、なにか言外に込めたような、不思議な抑揚でうつくしい色の名前を音にして、白は空中に指揮でもするように漢字を指で綴る。

「へえ」

 自分の長い襟足をつまんでしげしげと見遣る隼は、人目を集める色に染めたにしては思い入れが薄いようだ。

「てきとうに色変えられるならなんだってよかったんですけど、belovedの上になる辺りでこれにしたらイメージカラーみたいになっちゃったんですよ」
「似合ってるからいいんじゃないの。若いうちから脱色やりまくれば将来危ぶまれるがな」
「そうなったら潔く剃りますよ」
「そこまで地毛が嫌いか」

 隼はなにか言おうとして、首筋を掠めた風にくしゃみをした。

「おとなしくコート借りてろよ」
「大丈夫です。俺には総長があったかいお茶淹れてくれますから」
「なし崩しに泊まり込む姿が目に浮かぶようだ」

 隼は手段のためなら目的を選ばないとでもいうように、なにかと白の家に入り浸りたがる。
 白は「もう好きになさいよ……」と諦めている。隼にではない。なんやかんや頷く自分にだ。
 ため息を吐きながら脱いだコートを隼に向かって放り投げ、白は散々ちゃんぽんした後とは思えぬ足取りで自宅へと向かう。慌てて受け取ったコートに戸惑いながらも続いたくしゃみに隼は大人しくコートに袖を通した。

「総長、あの……」

 隼が声をかけるのと白が足を止めるの、どちらが先だったであろうか。
 白の視線の先、じっと街灯に照らされる道路に小柄な人影があった。
 ふたりの視線に気付いたか、影が揺れてその正体を現す。
 年相応といえばそれまでの、十代半ばらしい体つきの少年。
 少年は街灯の下で愛想のいい笑顔で、ふたりへ向かって手を振ってきた。

「belovedの総長さんと副総長さんですよね! こんばんは!」

 人懐こい挨拶をひとつ、駆け寄ってきた少年は大分身長差があるために、ぐっと首を逸らして白を見上げた。
 きらきらと輝く、頭上に瞬く星にも似た眼差し。
 少年の視線が流れ星の軌道にも似た動きで、隼へ移る。

「初めまして。好い夜ですね……なんて、ちょっと陳腐かな」

 照れたようにはにかんでみせる少年は、再び白へ視線を戻すと彼の猛禽類のような目を真っ直ぐに見つめた。
 小さな体に大きな勇気という言葉がよく似合う。

「……なにか、ご用かしら」

 初対面の小柄な相手に美人局以外で面と向かって来られるという希少な体験をした白は、ぐるん、と梟のような動きで首を傾げる。隼は白のこの仕草に一々驚かなくはなったが、少年もまたきょとんとしただけですぐに破顔する。

「憧れなんです。運がよかったら会えるかなーと期待していたら、会えました」

 衒いのない言葉と捉えるか、露骨な媚びと切り捨てるかは聞くものによってそれぞれだろう。少なくとも、隼は眉を顰める。
 白は応える言葉もなく少年を見下ろして、傾げっぱなしの首が傍目にも苦しそうだ。

「ふふ、じっと見られると照れちゃいますね。間近で見ると、ほんとうにべっこう飴みたいな色なんだ……紅白でなんだかお揃いみたいです。格好いいなあ」

 白と隼、それぞれを見上げて呟き、少年はぱっと後ろへ下がった。

「通行の邪魔をしちゃってごめんなさい。お会いできて嬉しかった!」

 ぺこりとでも音がつきそうな勢いで頭を下げて、少年はぱたぱたとふたりが向かっていたほうとは逆のほうへ駆けていく。途中、一度立ち止まって大きく手を振ると、あとはもう振り返らずに。

「総長って律儀ですよね」
「なにが」
「一応、一度は相手するじゃないですか。俺のときも拓馬のときも無言でやり返せたけどしなかった」
「同じ言語を使える人種、種族であるならまず平和的手段を用いるのが人間足らしめる理性の表れじゃないかね」
「はは、言葉って平和的手段に限りませんよ」
「よく知ってるよ」

 又従兄弟の忌々しげに歪められた美貌を思い浮かべ、白はうっとりと頷く。
 一瞬の沈黙。
 小夜風が通り過ぎるのに合わせて、白の首筋を髪がくすぐった。

「伸びたな。そういや越して少ししてから切ったきりだ」
「あれ? 総長って実は癖毛ですか?」

 伸びた髪が首に沿うよう僅かに巻いているのを見て、隼は思わずその髪を軽くつまんだ。

「一定以上伸びると巻き癖が出てくるんだよ。ちびの頃はふわふわ系の癖毛だったが、しばらくしたら基本ストレートの癖つきやすい髪に変わった」
「へえ、いまが結構すっきりしてるのであんまり想像できないですね。美容院でしたら紹介しましょうか?」

 白は首を振る。
 一回しか行ったことはないが、自分に臆すことなくカット、スタイリングをしてくれる店にはあてがある。しかも女性だ。だというのに今更鏡越しに目を合わせようものなら髪ごと首をざっくりやられかねない危険を冒すことはしたくない。

「あー、髪切ったら花見にでも行くかね」
「団子でも作りますか?」
「当然だろ。重箱用意してやるわ。あ、ぼたもちも食べたい」
「連中にも声かけときますよ」
「いいねえ、賑やか結構。近隣住民の怒号が今から聞こえる」
「お行儀よくすればいいんでしょう?」
「C'est le mot」

 隼の数歩先を歩き、白は振り返りながら重々しく頷いた。

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あきゅろす。
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