小説
十二話



 誰か。
 特定の個人ではない。
 結果だけを残す誰か。
 噂だけが蔓延する誰か。
 まとめて憎まれる誰か。
 それらは一体、誰なのか。

「誰かは、いない」

 亨は幾つも積み重なるファイルを捲り、深くため息を吐いて椅子に座り込む。
 風紀委員長の椅子は、力を抜いた亨が凭れても軋まない。
 片手で覆った目元、隠された表情は苦悩が色濃い。

「いないんだ」

 開かれたままのファイルに綴じられているのは、校内で起きた一定の問題に関するもの。
 生徒会親衛隊による暴力事件。
 某日、校内で当然の暴力に見舞われた生徒の証言によると、犯人は生徒会親衛隊を名乗っていたとのこと。容姿の特徴に合致する生徒の照会を行うものの、特定に至らず。
 ――生徒会親衛隊なるものの存在の復活は未確認。
 某日、生徒の私物が汚損され、生徒会に近づくなという旨の手紙が残されているのを発見。
 ――授業中の犯行、その日に欠席、早退した生徒なし。
 某日、生徒会を慕うものによって階段から突き落とされ、大腿骨を骨折、病院に運ばれるも錯乱状態にあり自主退学する生徒が出る。事件が起きた場所は××で要巡回強化。
 ――全ての情報が共通、一致した噂。容姿、所属クラスまでもが生徒間に浸透しているも、そんな生徒は存在しない。
 分厚いファイルのなかには、こういった内容の書類がぎっしりと詰まっている。それが数冊。
 誰かが起こす事件、誰かが被害者になった事件。
 けれど、その誰かは存在しない。
 存在しないことを、徹底して調査した風紀委員こそが知っている。
 亨はこの学園の異常を知っている。
 存在しない誰かが生徒会のために事件を起こしている。
 自作自演、口裏を合わせた複数犯、教員の共謀、様々な可能性を考えて調べて、それでも誰かが存在しないという事実しか見つからない。
 おかしいのだ。
 そも、人間の好みとは千差万別である。
 それなのに、どうして。

「委員長、おるー?」

 疲れ果てたようなため息を吐いている亨のもとへ、晃司が陽気な声を上げながらやってくる。
 晃司の片手にはひらひらと揺れる紙。

「例のランキング?」
「せやで」

 椅子から身を起こして、亨は手を伸ばした。

「委員長、この学園……洒落にならんかもしれん」

 低い声で言う晃司を一瞥、亨は書類に目を通す。
 校内で人気者ランキングという趣味の悪い遊びがひっそりと行われていると聞き、いじめに繋がりかねない、また閉鎖空間における個人の扱われ方として不適切な事態を招く可能性があるとして、風紀は取り締まることを決めた。
 自分たちがおおっぴらにはできないことをしている自覚はあるのか、ランキングに関わるものは隠したがっているので発覚と回収が遅れたが、結果が発表される前に押さえることができた。
 ぎりぎり最終結果にはならない途中結果が晃司の持ってきた紙に記載されているのだが、誰よりも丹色学園の異常を知る風紀委員だからこそ亨は絶句した。
 生徒会は、必ずしもランキングの上位者ではない。
 容姿が優れていても、芸能人がスキャンダル一つで地位を失墜させるように、誰かによって泥を被せられ、誰かが混ざる生徒たち全員に冷たい態度で接する生徒会に好意的でい続けられるものはどれだけ多いといえるだろう。
 少なくとも、目に見える数字は人が集まる場で、歓声が上がるようなものではない。
 誰だ。
 誰なのだ。
 誰がいるのだ。
 ありえないことだ。
 学園で問題が、事件が起きたのならば、生徒によるものであるならば、生徒の身に起きたものであるならば、解決に走るのが風紀委員だ。
 そのために与えられた権力がある。
 その見返りに与えられた利がある。
 そのためには応えなくてはならない。
 そのためには保たなくてはならない。
 風紀を、秩序を。

「此処……この学園は……ぼくが、ぼくたち風紀が秩序を乱すものを取り締まる、学び舎なんだぞ……!!!」

 誰よりも理解する亨は、立ち塞がる異常を前に無力の痛みに刺し貫かれた。



「お前は、なにが言いたいんだ」

 急速に乾いた喉。
 絞り出した声は引き攣って、喉を擦りたいのに棗の手はちっとも動いてくれない。

「誰かなど、元々おらなんだ」
「……転入生が、なにを」
「元々は、絵に描いたような人気者、偶像のような生徒会役員が歴代のなかにいたのであろう」

 形骸化。
 真雪の声には張りがある。

「生徒会という権力の象徴、偶像の台座、それに取り巻いていた生徒たち。
 今に記録がなくとも、過去に今と同じ出来事は数多くあったのではないか?」

 誰かが誰かではなかった時代があった。
 個人が個人に行った暴力。
 実際に起きた校内の問題。
 過去に存在して、現代では時代遅れとして廃れていった生徒会親衛隊。

「…………過去に同じことがあって、だから、なんだっていうんだ。今には、関係ないだろう……!」

 今には存在しないのだ。
 偶像のような生徒会も、それを崇める親衛隊も、親衛隊によって制裁を受けた生徒も。
 誰もいない。

「そう、今はいない。いてはならぬのだ」

 故に、と真雪は拳を握る。
 鋭い眼光を前に棗は息を飲む。
 真雪の巌のような偉躯が、倍にも膨張したような錯覚。
 ぐわりと拳が振り被られる。
 無理だ。
 死ぬ。
 棗の脳裏に真雪の拳を受けて木っ端微塵になる自分が浮かぶ。
 どうして、なんで。
 声にならぬ棗の疑問に答えぬまま、真雪の拳が振り抜かれた。

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あきゅろす。
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