小説
十一話



 真雪が転入してから幾程かの日が経ち、とうとうというべきか。棗は意図せぬ真雪との対面を果たした。
 生徒会の役員は時期によっては一般生徒よりも下校するのが遅くなるときがあるので、自分たちが帰る頃になっても校舎に生徒の姿があれば帰るように促す。
 巡回などは風紀の役目なので、あくまで見かけた際に限られるし、滅多にないことだが役員との接触を目当てにしたものをは場合によっては悪質であると風紀に報告して、罰則が降りるようになっている。
 その日、棗は他の役員よりも帰りが遅れた。待つと言ってくれた役員たちだが、会長である自分の承認印が必要な書類を待っているだけなので、ひらひらと手を振って促したのだ。
 申し訳なさそうに頭を下げながら持ってこられた書類を手早く完成させて、棗はようやく生徒会室を出る。
 沈みかけの夕陽は杏色を通り越して赤黒くさえ見える。
 明かりが点いていようとも薄暗い廊下を歩いていると、前方に人影。
 真雪であった。

「……もう下校時刻だぞ」

 躊躇を一瞬、声をかけた棗に振り返り、真雪は微かに目を細めた。
 笑んだようには思えない。そう、見えなかった。

「貴兄は生徒会長か」
「ああ。青島棗だ。よろしく、遠江」

 真雪は何故名を知っているのかと問うことをしない。
 丁寧に「よしなに頼む」と返して、鋭い視線はぐるりと周囲へ向けられた。

「ふむ……」
「遠江? なにかあったか?」
「流石は生徒会長、といったところか」

 棗が怪訝を顔に浮かべたとき、廊下に生ぬるい風が吹いた。
 奇妙に粟立つ肌。
 ぞわぞわと落ち着かぬ項を押さえて、棗が背後を振り返る。
 廊下の向こうがよく見えない。
 薄暗いにしても、おかしい。まるで、暗闇に呑まれているかのように、真っ暗で見通せないのだ。
 異常を異常であると認識する刹那、棗の腕を真雪が引いた。

「うわっ」
「すまぬな。して、青島。一人か?」
「あ、ああ。少し用事が残っていたから……」
「ふむ、送ろう」

 棗は眉間に皺を寄せる。

「いや、それには及ばない。暗いとはいえ、俺は男だ。それに、生徒会長である俺と人気がない時間にふたりでいれば、一般生徒の遠江のためにならない」

 く、と真雪が口角を上げる。
 棗はなにか、知らない扉をくぐってしまったような錯覚を覚える。
 いつの間にか、何処かへ迷い込んだような、誘い込まれたような、そんな錯覚。
 なにに? どうして?

「学力、運動において能力の秀でたもの、容姿優れたるもののなかから選出されたとされる生徒会。この学園では随分と注目され、賛美されているそうだ」
「……そうだな」

 棗は苦々しい顔で肯定する。
 そのせいで、身勝手な嫉妬からなるいじめや暴力も発生している。
 台風の目となっている役員がどれだけ振る舞いに気をつけても、風紀がどれだけ取り締まっても、全体の規模が違いすぎれば追いつかない。必ず、どこかで綻びがある。
 そう、何処かで。

「この学園に来てよりそう長くはないが、それでもおかしな点には気づくぞ」
「外部生からすれば、この学園は余程だろうな」
「そうではない、そうではないのだ、青島よ」

 真雪が棗の腕を引いたまま歩きだす。
 暗い暗い、真っ暗な廊下から遠ざかるように歩きだす。

「青島よ、貴兄は風紀とどれほど連絡を取り合っている?」
「業務上であれば滞りが出ないくらいには……問題が起きれば――」
「周囲で……いや、この言い方はおかしいか。『生徒会』という言葉が絡んだ自分たちが直接関係せぬ問題が起きたとき、その問題の当事者は被害者以外にはっきりとしたことがあったか?」

 はっきりと、棗は顔色を変えた。
 浮かべた表情は驚愕や、呆気に取られたようなものではない。
 警戒。敵意。
 真雪の手を振り払い、棗は三歩、彼から距離を取る。

「そも、被害者が出ていないこともあるのではないか? 誰かが『生徒会』を慕うものの悋気によって怪我をした、私物を害った。そういう、噂を超えたような話だけが浮上することが、あったであろう」

 最初こそ疑問符をつけた真雪は、最後には断定する。
 恐らく、転入してから短い期間内に、真雪の耳目に入る機会があったのだろう。
 学園の人気者を慕う「誰か」の狂行が。
 生徒会役員が食堂などに顔を出せば歓声が起きる。
 しかし、食堂などのひとが多いところであれば生徒会だから、でなく生徒会のなかの特定の人物を目当てにするものも少なくないだろうに、その人物へ向けた声というものは聞こえない。
 ただ、歓声だけ。
 生徒会役員ではない肩書持ち以外の人気者は、歓声が上がるほどのことはない。一人であるからか、「あ」と声が上がって注目される程度だ。
 集団と個人では済まない決定的な差がある。
 ひとが集まる場所では何処でも同じ。
 校内で時折起きる陰湿な、あるいは危険ないじめや暴力、器物破損に生徒会の名が関わっても「生徒会を慕うやつがやったらしい」という曖昧で、無責任なものだ。
 ここでも、生徒会の誰を慕うという明確な個人を指す名が出てきたことはない。
 そして、どれだけ風紀が走り回ろうと、生徒会が声を上げて訴えようと、犯人が捕まったことも――ない。
 だからこそ、生徒会役員は自分たち以外の生徒を、風紀を冷ややかな目で見て、侮蔑する。
 勝手に自分たちを理由に問題を起こす誰かを、無責任に自分たちの名を絡めた噂を事実化する一般生徒たちを、自分たちに原因があるという目をする風紀を、憎むのだ。
「誰か」に端を発して、不特定多数の誰かを全て、自分たち以外の全てを。
 自分たち以外の、誰かを。

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