小説
十話



 登校中の真雪と翔は、校舎の前に人集りができているのを見つけた。
 翔が「げ」と嫌そうな声を上げたので、真雪が問うように視線を向ける。

「風紀の検査だよ。持ち物か、服装か、どっちもか知らねえけど」
「ふむ、三室の装いは些か校則に反するやもしれぬな」
「……いいだろ、別に。生徒会絡みで物騒なことするのが誰かしらいるせいで定期的にやるっつうけど……ああ、面倒臭え。このまま帰るかな」

 踵を返そうとした翔の襟首を、むんずと掴む真雪の手。
 しっかりと掴んで離さぬ手に翔は物言いたげな様子を見せたが、結局は諦めた。

「遠江は引っかからねえだろうからいいけどよお……」
「そうとも限らぬやもしれぬぞ」
「はあ?」

 品なく語尾を上げた翔は、真雪をまじまじと見つめる。
 長い年月を雨風に晒された巨木のような雄大な風情に、厳しい気迫は凡夫とかけ離れてはいるものの、制服や頭髪に風紀を乱すようなところはない。
 素材がどれだけ荒削りであろうと、包装紙は丁寧に巻かれているのだ。
 思わず呼び止めてしまうことはあっても、きちんと確認すれば文句をつけるようなところはないだろう。きっと、風紀委員は釈然としない気持ちになるだろうけれど。
 一晩とはいえこれからも同室として過ごすからか多少の慣れもあって翔が問題なしと判断すれば、しかし当の本人である真雪は含むものを感じさせる笑みを唇に浮かべている。
 怪訝な面持ちで翔は真雪の横顔を見つめるも、深く語る様子もないので腑に落ちない気持ちになりながら人集りのなかへ向かった。

「三室翔」
「うわ……」

 人集りの理由を察したときよりも嫌そうな声を出す翔は、自らの名を呼んだ相手、風紀委員の腕章をつけた眼鏡の青年、亨を前に隠しもせず顔を顰めた。

「よりにもよってテメエまで出張ってんのかよ、前崎」
「相変わらず、他者に対しての言葉遣いがなっていないな」
「敬語は敬いたい相手にだけ派なんでね。徳でも積んで出直せ根暗」
「信条は自由にすればいいし、それでどうなろうと知ったことではないけど、まずはぼくの仕事をさせてもらおう。頭髪、ワイシャツの下のTシャツ、それにベルトとピアス。全て違反だ」

 鋭く舌を打つ翔に小揺るぎもせず、亨は次いで真雪と向かい合う。
 僅かな微笑を湛えてさっと服装を確認してから、亨は「手荷物検査をしたい」と真雪の鞄を手で示した。

「予め言っておくが、まだ届いておらぬ教科書もある故、以前の学び舎のものもある」
「ああ、報告は受けているよ」

 念入りというほどでもなく、他の生徒に対するのと変わらぬ程度に検査を終えて亨は真雪に鞄を返した。

「問題はないようだ」
「では、もう行っても構わぬな」
「もちろん。三室、反省文の提出期限は三日後だ」
「うっせえな」
「斬新な返事だね」

 忌々しげな翔に嘲笑を一つ浮かべて次の生徒のもとへ向かおうとした亨に、真雪はぼそりと囁いた。

「長居はせぬ」

 亨は無表情で肩越しに振り返り、無言で検査へ戻る。



「例の転入生、えらいおっかないわあ……高校生とか嘘やろ」

 五十蔵晃司は亨から遠ざかっていく真雪を見つめながら、その顔を引き攣らせる。
 話にも書類ででも知っていたけれど、百聞は一見にしかずとはまさにこの事。本人のとんでもなさときたら、晃司は言葉にしきれない。
「ひああぁ……」とか細く悲鳴を上げていると、前触れなく真雪が振り返り晃司とばっちり視線を合わせた。
 ニイィと上げられた真雪の口角。
 晃司は一瞬、呼吸を止める。
 真雪が視線を外したのにも気づかず、ばくばくと鳴る心臓の音を聞いていたら、突如天地がひっくり返った。
 悲鳴を上げて何事かと首を巡らせれば、頭上から覗き込んでくる亨の冷ややかな顔。

「副委員長自ら検査をさぼる気かな?」
「あはー……すんません」

 どうやら、いつの間にか近づいてきた亨が自身の足を払って転ばせたのだと察して、晃司は制服のあちこちを叩きながら立ち上がった。
 既に真雪の背中は遠く、見つめても振り返ることはない。
 大人しく検査に戻って、登校してくる生徒たちを捌いていく。
 ようやく一段落して校舎へ戻る道すがら、晃司は亨に「なあ」と話しかけた。

「なに」
「俺、転入生にお触りしたないんですけど……」

 臆したか否かで問われれば、臆した。
 だが、晃司は仕方ないと主張するし、別に構わないではないか、とも声を大きくしたい。

「ええやろ、別に。むしろ、ええことちゃう? 俺らは楽に――」

 ぱっと晃司は両手を上げた。
 手のひらを向かい合わせた万歳ではない。
 前へと向けられたお手上げだ。

「なにか、馬鹿馬鹿しい発言を聞いた気がするのだけど……虫の羽音だよねえ?」

 僅かに俯きながら見つめてくる亨の刃のように鋭い目が、眼鏡の隙間から覗く。

「五十蔵晃司、ぼくたちはなんだ」
「丹色学園風紀委員会所属、風紀委員です」
「五十蔵晃司、風紀委員とはなんだ」
「学園内における秩序を保ち、逸脱するものを罰し更生を促すことを役目とするものです」
「五十蔵晃司、その役目は無償のものか」
「いいえ、然るべき利あってのものです」

 ならば、と亨の目が苛烈に燃える。

「義務を放棄し、利のみを貪る真似は秩序に則ったものか!」
「いいえ。いいえ、前崎委員長。申し訳ございません。愚かな失言、何卒お許しください」

 深く頭を下げる晃司の頭上からため息が落ちる。

「二度目はない」

 亨の顔が校舎へ向かう生徒たちの背中を見つめる。
 視線に気づかぬ彼らは「面倒くさいよなー」と気だるげな会話を交わす。

「あーあ、検査とか今時さ」
「仕方ないよ、こんな学園だもん」
「生徒会も気の毒だと思うけどさ、いい迷惑だよな」
「この前も誰かが生徒会慕ってる誰かになんかされたらしいよ?」
「ええ、また?」

 亨の両手は強く握られていた。
 亨の唇は固く結ばれていた。
 晃司は亨の背中へかける言葉を、持たなかった。

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あきゅろす。
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