小説
十二話



 杉田の熱烈な勧誘を振り切り、白は帰宅部になることを決めた。つまり、無所属。
 気が変わったらいつでも歓迎すると杉田は言っていたけれど、白の気が変わることはない。
 転入して暫く、授業はそつなくこなすが、既に何度か受けた小テストの点数はそこそこの白は磯谷にじとりとした目を向けられる。良い先生だこと、と白は磯谷を見つめ返し、結果目を逸らされた。飴色と称しても猛禽類のような目力は衰えない。

「ふん、やはり体にばかり栄養がいって、脳みそに成長が足りていないようだな」

 休み時間、返ってきた答案で白がせっせとゴジラを折っていると、どこかで白の点数を聞きつけたのか態々教室までやってきた名倉がせせら笑った。

(勇気あるなあ)

 特進であるSクラスに在籍していると忘れるのかもしれないが、浅実にはbelovedメンバーは幾人かおり、白のいる教室には現総長、元総長、元副総長というTOP3が華々しく固まっているのだ。真っ当な感性をしていれば近づきたくない。
 たとえ、警察関係者だからといって、警察は事件が起きてからでしか基本的に動かない。加害者が裁かれたとて、加害者が加害者となっているからには心身への傷を負っているということだろうに。
 もっとも、名倉は暴力の痛みと恐怖を知らないだけなのかもしれないけれど。
 なんにせよ、珍しい傾向を備えた人間ではない。
 劣等感から来る怖いもの知らずは「在り来り」だ。
 白が内心大欠伸していることなど露知らず、名倉は好き勝手なことをべらべらと喋り尽くしていく。
 白の隣で頬杖を突いた隼が段々と目を物騒に細め始めていることには、ちっとも気づいた様子がない。

「この様でどうやってAクラスに入れたのやら」

 肩を上下させる名倉は、白の転入に裏口や袖の下と呼ばれる不正を疑っているようだ。
 浅実高校は特進科と総合科で分けられているが、総合であっても成績を考慮してクラス分けをされている。
 平等に混ぜたところで理解できている人間と理解できない人間、同じ授業をした際の効率が悪いのだ。それを差別と叫ぶなら、物足りない授業を強いられる生徒のこと、理解できない授業に身につくものがなく嘆く生徒のことも考えるべきだろう。
 そも、義務教育は個々の突出した能力を潰しかねないものであり、幼年期からギフテッド教育を受けられることが最も望ましいが、差別と選別の区別がつかないものの声が大きい限りは広く定着するのにも時間がかかるだろう。
 特進は最高でSまでクラスがあるが、総合はAまでだ。
 つまり、白たちは総合コースの中ではトップクラスである。だというのに、白の点数は平均点。トップが引き上げても底辺が引き摺り落とした平均点。悪意がなくとも疑いたくなるだろう。
 白は隼がちらっちらっと横目で「やっちゃっていいですか? いいですよね? やりますよ?」と訴えてくるのを感じて、僅かに顔を向けた。
 途端、無気力な現代の若者にも珍しい、やる気に満ちた顔の隼が「オゥケィ?」と最終確認をしてくる。

(不思議だな……こんなに物騒な許可を求められてるのに、ボール遊びをねだる子犬のように見えるなんて……)

 白を前にした犬は子犬から番犬まで尽く腹を見せて転がり、ボールで遊ぶどころではないのでそんな犬を見たことないのだが。
 白としては隼が名倉をごめんなさいを付けずに会話できないような状況にしようと一向に構わないのだが、なんとも思っていない相手の発言のために「あいつがやれって言いました」などと共犯扱いされたら堪らない。

「ビギナーズラックじゃないかな」

 完成したゴジラをちょこん、と机に置きながら答えれば、隼は若干不満そうにするも大人しくする様子を見せた。その隣では頬杖をついていた千鳥が小さく息を吐く。

「幸運、まぐれと自覚するのならば、切磋琢磨すればいいものを。これだから時間を無為に過ごすものは」

 白は状況に飽きていたが、名倉は更に嫌味を繰り返すとようやく白に背を向けた。
 白はその背中に声をかける。

「シャーペンはきちんと受け取ったかい?」

 投げつけられたシャーペンは、見つければ男子校であることも忘れて一瞬胸をときめかせるか、男子校であることに気付いて青褪めるだろう丸文字で「これからも頑張ってください」とハートマークを乱舞させたメモを副えて名倉の靴箱に返してある。
 バナナ切断マジックの要領で付属消しゴムが使った瞬間半ばで折れるように細工してあるのは、白なりの気配りだ。
 名倉は一瞬振り返り白を忌々しげに睨み付けると、結局なにも言わずに顔を前へ戻す。
 背中が反り返るほど真っ直ぐ背筋を伸ばして教室を出て行く名倉を、白は生暖かい眼差しで見送った。

「まったく、俺も人気者になったもんだ」
「全く嬉しくない人気だね」
「お、嫉妬か?」

 まさか、と千鳥は笑う。
 元々は千鳥に絡んできた名倉であるが、その対象が自分から白に移っても寂しさなど欠片も湧かない。

「嬉しくない人気じゃないですか」
「暴力的じゃないし、無関心でもない。校内でこんなに真っ当に接せられるのは久しぶりで浮かれそうだ」

 さり気なく零された内容に、隼と千鳥の視線が交差する。
 まさか、白がいじめの被害者であったとは想像できないが、むしろ、白であるからいじめとして考えられないのであって、白ではない真っ当な青少年であればいじめ以外のなにものでもない可能性はある。
 もちろん、個人の性格、能力、感受性がどうであれ、受けた内容、置かれた環境に色眼鏡をかけるなどあってはならないが。
 誰が相手であろうと、道徳はその水準を変動、妥協するべきではない。

「ああ、楽しみだなあ」
「……順調なんですか?」
「もちろん、抜かりはないよ」

 そう、誰が相手であろうと道徳は妥協するべきではない。
 素晴らしい理想論である。

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あきゅろす。
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