小説
十話
白は女王様系美人が大好きであるが、劣等感から来る罵倒をしてくる見知らぬ他人には純粋に「なにこのおかしいひと……」と震えてしまう。
「また浅実の面汚しが増えたようだな」
昼食も終えた昼休み、白はぽかぽかとした日差しの当たる非常用階段で工作に勤しんでいた。先ほどまで隼と千鳥もいたが、今は飲み物を買いにいっている。
頭上から視線を感じてはいても一々反応する気もない白は手元に集中していたのだが、それが気に入らなかったのか階段を降りて近づいてきた気配は白の後ろに立つと、開口一番罵倒を浴びせてきた。
これには温厚で争いを好まず日々を慎ましく過ごす白も吃驚である。
「いきなり罵られた! 酷い!」と被害者面を背後へ振り返らせるも、生憎の無表情。相手には興味のないものを見ているように映ったらしく、時折見かけたような気がしなくもない神経質そうな顔が苛立ちに歪んだ。
追加で「ひゃあ、怖い!」という気持ちを込めて肩を竦ませ、ぷるぷると無表情に震えながら白はヘッドホンをロップイヤーのうさちゃん仕様に改造する作業を続ける。
忌々しそうに相手の顔が顰められるも、その表情は嘲笑へと色を変える。
「ふん、返す言葉もないか」
「ごめんね、幼気な転入生は二の句が継げなくてごめんね……」
白は針仕事で忙しい手元をそのままに、とりあえず返事をしておいた。
布を突き破らないように慎重に作業を進めていると、どうにか兎の耳らしい形になったので、白は満足して深く頷く。神経質そうな眼鏡生徒が舌を打った。
「ふん、お前のような輩ではそれも当然か。大体、この浅実に貴様らのようなクズが蔓延っていること自体が間違いなのだ。場違いを恥じる心すらないのか」
素敵なうちゃんイヤーをいざヘッドホンにとりつけんと、白はヘッドバンドにベルベッドを被せる。取り外しが楽なように両端に縫いつけたボタンを留めれば完成だ。ずれないように芯もいれてあるので、ヘッドホンをしっかり装着すれば頭から兎耳がてれん、と下がることだろう。
「……おい、聞いているのか」
「ごめんね、言葉もなくて……」
項垂れてしゅん、と反省した態度を見せようとがんばった白であったが、段差もあって神経質眼鏡生徒には下からメンチ切られたようにしか見えない。
「なんだその態度は。これだから浅実の名を落とす輩は嫌なんだ! 存在しているだけで他の在校生の迷惑になることがどうして分からない!!」
眼鏡青年に怒鳴られた白は、ヘッドホンを片手に立ち上がる。
階段の一段下に立った白だが、踊り場に立つ眼鏡青年より目線が上だ。見下ろされることになった眼鏡青年は、一瞬だけ怯んだようだが強気な視線を逸らさなかった。
「大方、元の巣で問題を起こして逃げてきたのだろうが、転入試験をクリアしたくらいで浅実を甘く見るなよ。お前のような――」
「あっれー、名倉ってば浮気ー?」
まるで親の仇を見るような顔で凄む眼鏡青年の声を遮って、階段下から千鳥が手を振った。
隣には隼もいて眼鏡青年を冷めた目で見ているが、体半分振り返った白と目が合うと朗らかに微笑んだ。
「工作、終わりました?」
「おう。千鳥ちゃん、これがお前さんの新しい装備だ」
「うわ、投げないでってなにこれっ? 俺、デコるとは聞いたけど、こんなうさ耳生えるなんて聞いてないよ!」
ヘッドホンに加えてリケーブルの合計お値段が二十万など軽々余裕で吹っ飛ぶとは思えぬ外装に、千鳥はひっくり返った声を上げる。
白は実にいい仕事をしたとばかりに額を拭い、千鳥に向かって親指を立てる。
「ゆったり垂れてるのがイイだろ」
「総長は俺になにを求めてるわけっ?」
「文句があるならアンコールワットへ来なさいよ!!」
「織部さん、アントワネットとベルサイユが混ざってカンボジアになってます」
「もー」と言いながら千鳥が取り外しが楽チンであることにほっとしていると、三人からいない子扱いされていた眼鏡青年が白の背後でぶるぶると拳を震わせていた。
「っひとを馬鹿にするのも大概にしろ」
叫ぶような声に白は真顔で両耳を塞いだ。後姿だけ見ると降参しているようだ。
「えー、しょっちゅう俺に付き纏ってたのに、総長に鞍替えしたの名倉じゃーん。それで馬鹿にするって言われてもねえ? なに、総長が俺みたいに構ってくれなくて拗ねちゃったの?」
「隼、俺は知らないうちに三角関係の一角を担っていたようだ。誰を『この泥棒猫』と引っ叩けばいい」
「会話の流れからすると総長が引っ叩かれる側のようですが」
「俺がいつから間男になったっていうんだ」
痴情の縺れは真っ平ごめんとばかりに、白は一足に階段を下まで飛び降りる。身長や筋肉量に見合ってそれなりの体重があるはずなのだが、とん、と妙に軽やかな着地音である。
こきゃり、と凝ってもいない首を鳴らし、白は振り返る。
怒りから頬を紅潮させた眼鏡青年がいた。
「野郎と見つめ合って頬を染めるとか、恋でも始まっちゃったんですか」
シャーペンが投げつけられた。
「あらやだ、怖い」
手首を振るような動作でシャーペンを掴んだ白に残す言葉もなく、眼鏡青年は階段を駆け上がっていった。
「……これ、もらっていいのかしら。シャーペンっつーよりドリュックブライシュティフトって感じなんだけど」
コンビニやそこらの文具屋では見かけないやたらと格好いいシャーペンを手に白が呟けば、千鳥が「ケチがついてるから止めときなよ」と肩を上下させた。
「ところで、お前の恋人過激だな」
「冗談を引き摺らないで」
「締めますか?」
白はシャーペンでペン回しのサイクロンをしながら、物騒なことを言う隼を見る。なにも特別ことなどないかのような顔をしていた。
「どこの誰だか知らない奴がどうにかなったところで、それ意味あるの?」
「名倉政文。特進の二年で、毎回テスト結果の順位が一位の奴ですよ」
「別に知ったからと言ってGOサイン出すほど野蛮人じゃないつもりなんだけど、それはともかく学年首席の一言でいいんじゃね?」
隼と千鳥が視線を交わす。
「千鳥がやる気出せば、いつでも順位変動できるんで」
「あっちもこっちが手抜いてるの薄々分かってるんだよねー。総長の言葉の意味も把握してない癖にね」
「なんのことだか」
「『二の句が継げない』も『言葉もない』も、呆れてものもいえないってことじゃん。総長、分かってて使ったでしょ?」
誤用ではないのだろうと指摘してけらけら笑う千鳥に、白は「そこから見てたのに助けるのが遅いわっ」と出てもいない涙を真顔で拭い、三回転させたシャーペンを胸ポケットに差した。
「ちいちゃん」
「なにその薄ら寒いあだ名」
「おい、一七夜月」
転入してから知った苗字で呼べば途端に千鳥の顔が引き攣り、肉体言語的な意味で物言いたげに拳を握って閉じる。そのまま「おはなし」を始めないのは、返り討ち必至だからだ。
「来月、期末だよな」
「その前に少テストがいくつかあるけど。やだよねー、しょっちゅうテスト、テストって。馬鹿みたい。俺は小遣い稼ぎができるけどね」
「校内順位は発表されるんだろう?」
「当然。全校生徒分だよ。公開処刑、公開処刑」
白は考える。ヤクザがシノギを増やす算段をしているような顔で考える。
「面倒は嫌いなんだけど……」
白は視線を彷徨わせるように目を揺らし、自分を見つめる二人に向かって首をぐり、と捻るように傾げる。
「――伸びきった鼻っ柱を叩き折るのは、だあぁい好きなんだ」
隼と千鳥は息を呑む
嗄れた声で呟いた白は笑みこそ浮かべなかったが、それは表情だけのこと。
白から滲むのはこどものように純粋で残忍で無邪気な悪意。
「『スペードの三』って夢が膨らむよな」
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