小説
八話



 白は人目につかなければ、それでよかった。
 その場で事を起こすのは不都合だったので、白は拓馬に人通りの少ない場所への案内をさせて道中くだらない話をしながら歩く。
 背後を一定距離でついてくる輩の数は十を少し超えた程度。
 白は不良界隈におけるbelovedの位置や、背後の気配から推測する相手の力量などを考えて視線をぐるり、と上へ巡らせた。

「belovedだな」

 明らかに人通りのない場所へ来て、既に気づいていたのか、漸く気づいたのか、リーダー格らしい唇にピアスをした青年ががっちりとした体躯を揺らしながら言う。
 首を斜めに仰け反らせて白ちらりと相手を窺うも、すぐに前へ向き直る。
 まるで興味が失せたというような態度に青年は剣呑な顔をするが、白は青年を舐め腐ったわけではなく、純粋に首が痛くなりそうであっただけだ。
 そんな悲しい誤解が発生しても解くものもいないのだから当然のこと、青年の後ろに控えた若者たちも殺気立ち始めた。
 白はようやく片足を軸にくるり、と後ろを振り返った。

「人違いじゃないですかねえ。俺がそんなこっ恥ずかしい名前を自称したことはないよ」
「総長、あんまり悲しいこと言わないでください」
「黙れ、因幡。喉仏押し込むぞ」

 こんなときに総長と呼ぶなんて、と白は遺憾の意を態度に移すことを示唆したが、拓馬はすぐに「すんませんした」と謝ってきた。素直すぎると追撃ができなくて残念である。

「そんなわけあるかよ。belovedの新しい総長が白髪野郎なのは知れ渡ってんだ」
「おい、誰がシラガだこの野郎。本来は銀髪なんだぞ。せめてハクハツと言え。てめえの下の毛に速乾ペンキぶっかけて、その後『ぶっかけだいしゅき』の書き文字つけた写真を出会い系サイトに貼り付けられたいのか」

 大概酷い文句をヤクザ丸出しの顔で言えば青年は顔を強張らせたが、むしろそれを恥じたのか、ずい、と一歩前に出てくる。
 白はずい、と一歩下がった。
 拓馬が背中を押して前へ戻した。

「因幡の奴もいるみてえだが、丁度今日はいい面子が揃ってんでな。潰させてもらうぜ」
「え……つまり、全員暇なの? 面子ならいつでも揃えられるんじゃね? なのに、なんで隼ちゃんのときにやってないの? なんで隼ちゃんがbeloved総長とかいう肩書きのままだったの? ねえねえ」
「煩え! やっちまえっ」

 白が無邪気な疑問を投げかければ、青年は若者達に号令をかけた。
 迫ってくる青年に視線を向けず、白は拓馬を見遣る。
 拓馬は白たちから距離をとり、携帯電話を向けていた。撮影を示す光が点灯している。

「総長ー、がんばってくださーい!」
「おい、てめえ」

 ぶんぶんと手を振り応援する姿はどこかアイドルの追っかけを思い出すが、白にとっては苛立たしい限りなので、後でどうにかしてやろうと決意する。
 そのために、現在必要なのはとても単純なこと。
 十秒とかからなかった。
 向かってきた青年も、若者たちも、ただなにをされたのか理解追いつかぬままに地面へと転がっている。
 呆気に取られ、すぐに立ち上がろうとしてそれが叶わないと知る。
 力を込めた足が萎えるほどに、身体へ走る衝撃と痛み。
 殴られたのか、蹴られたのか。
 なんらかの攻撃を知覚できぬ内に受けたことは分かるも、具体的になにをされたのかさっぱりと理解できない。

「な、ん……?」
「拓馬、お前一人でいいじゃん」
「せっかくなら総長がやるとこ見たいじゃないっすか」
「総長っていうなら奥の方でふんぞり返らせてよ」
「知らないんすか? 総長は王じゃなくて将なんすよ!」
「俺、賢しら口って嫌いだな……」

 ぎり、と青年は歯を食いしばる。
 地面に転がってまともに立ち上がることさえできない自分たちなど、とうに視界にも入っていないというような態度。
 いや、そも端から脅威などとは思っていなかったのだ。
 青年たちが白へ向かった瞬間から、こうして地面に転がるまで。その全ては予定調和に過ぎない。
 どこまでも舐めた調子の白と隼は、青年が唸り声を上げて立ち上がったのにようやく会話を止めた。
 ちらり、と向けた視線の先、根性ですらない執念で以って青年は動き、捨て身ともいえる勢いづけたタックルで青年が白に迫る。
 巨体が砲弾のように迫る様は息を呑むような迫力があるものの、白にとってはむしろ卸し易いことこの上ない。
 向かってくる青年と接触した直後、その衝撃が衝撃となり得るより早く白は青年の腕を掴んで青年の背中へ回り込み、青年の足の間から伸ばした足で馬の歩調にも似た動きで青年の膝を後ろへ蹴り上げる。
 ほんの一瞬で、青年は再び地面へ「投げ」られた。
 タックルの勢いがそのまま地面へ激突する重みに加わったように、今度こそ青年は起き上がらない。

「う、うそだろ……」
「なにが……?」

 青年に続こうと起き上がりかけていた若者二人が硬直し、呆然と呟く。
 とん、と軽い足取りで白は二人の前に立つ。

「ひっ」
「なあ、ひとの昼食を妨げてまで善良市民に襲いかかって、なにがしたかったんだ?」

 無表情に首を傾げてやれば、引き攣った悲鳴を上げて二人は後ずさりする。
 白はその場から動かずにただただ、二人を見下ろした。

「なあ、教えてくれよ」
「ご、ごめなさ……」
「なにがしたかったんだ?」
「ゆ、るしっ」
「なにかしたかったとして……」

 にちゃり。
 表情などぴくりとも動いていないにも関わらず、白は間違いなく嘲笑を浮かべていた。
 雰囲気が、空気が、視線の温度、眼差しの色が、全てが全て、青年たちを嘲笑っている。
 真っ青になり、目に涙をためる二人の襟首を掴み、白は思い切り引き寄せる。

「いま――どんな気分なんだ?」

 うっそりと耳元で囁かれた声に、二人はつんざくような悲鳴を上げて白を振り払った。
 あっさりと二人を解放し、白は梟のようにがくん、と首を傾げた。
 異様な動きに後ずさった二人は周囲の倒れた仲間を見渡し、彼らに背を向けて這うような動きでその場から逃げ去っていく。

「『いい面子』なんだっけ?」

 呟き、白は呻き声を上げる青年の顔近くまで歩み寄ると、青年を見下ろすようにしゃがみ込んだ。

「『いい面子』でなにができるって思ってたのかは知らんが……」

 青年は苦しげな顔を上げるが、口を開く様子もその気力さえもない。
 白は遮光眼鏡にかかった髪を指先で払い、猛禽類のような目をきゅ、と細める。

「夢を見るなら寝ているときだけにしなさいな」

 ぽん、と青年の肩に手を置き、白は至近距離から青年の顔を覗きこむ。

「おはよう、これが現実だ」


「やーべ、総長マジかっけ」

 テンションが上がりすぎてにやける顔を必死に堪えながら、拓馬は撮り終わった動画を「総長が喧嘩なう」という短い言葉と一緒に添付して、belovedメンバーと共有する。
 白の動きが早すぎて短い動画になっているが、次々と返ってくる反応は「なにが起こった?」「スロー再生早く」などというもので溢れている。
 拓馬は思った通りの反応に満足だ。この感動を分かち合いたくて仕方がなかった。

「拓馬」

 だが、当の白本人に低い声で話しかけられて、高揚した気分も一気に落ち着く。

「うぇっはい!」
「……パン屋のセールとやらはまだ間に合うか?」
「え、ええと、あ、はい。軽く走ればなんとか!」
「ふうん。じゃあ、ちょっくら急ぐか。あとよろしく」

 頷き、まるで映画の逃走劇のように走り出した白の背中に見惚れた拓馬は、その背中が見えなくなるとほう、とため息をついて手に持ったままの携帯電話をしまう。
 充足した気分のまま倒れ伏す置き去りにされた若者達を見回して、拓馬は歯をむき出すようにして笑った。

「じゃ、身分証明押さえるか」

 先程、ゲーセンのアーケードで繰り返していたコンボのコマンドを入力するのと全く変わらない慣れた作業は、NPCを相手にするように心動かないものだ。

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