小説
六話



 白は獲物を狙う猟奇殺人犯のような雰囲気を放ちながら、台所に立っていた。
 しかし、その格好はといえばガーゼの手拭で姉さん被りをし、絣の割烹着と大変家庭的である。割烹着といえば白を連想するが、用途を思えば重宝するのは紺など色の濃いものか、絣などの汚れが目立ち難いものだ。白は紺色の絣と熟練であることが窺える出で立ちである。
 そんな姿で台所にいるのだから、白の手にある包丁の用途は犯罪ではない。
 ぎゅっと水で締めたほうれん草を切って皿に盛り、白はぶつくさと呟く。

「だーかーら、水分摂りなさいって総長言ったのに」

 続いて取り掛かるは卵焼き。
 菜ばしのみでくるくると巻いていき、焼きあがったものをぽい、と皿にあけるとあらかじめどっちゃりと下ろした大根おろしを添えて、再び包丁をぎらりと光らせる。
 飴屋でも気取っているのか、やたらと小気味いい韻律で葱を刻んでいる白は片手鍋で水と酒を入れて沸かす。
 具の主賓はしじみ。
 寝る前に砂抜きを始めておいたが正解だったようだ、と今朝の白は寝室から出てきてため息を吐いていた。
 白はしじみの口が開いたのを見計らって火を止め、味噌を溶きいれる。てきとうにぐるり、とかき混ぜて、葱をざかざかと入れれば味噌汁は完成だ。
 最後にほうれん草のお浸しに鰹節をまぶして醤油をひと回しすれば、朝食のおかずは出揃った。
 手際よく盆に乗せたそれをダイニングまで持っていけば、ラグに屍が如く転がる隼が緩慢な動作で首をもたげる。
 寝起き早々、唸っているのを発見して浴室へ叩き込んだのだが、出てきてもあまり回復していないようだ。

「はいはい、ごはんですよ。海苔の佃煮はありませんよ」
「すみません……」
「ご飯は大盛り? 丼? それとも御櫃?」
「……茶碗にふつうより軽く……」
「あいよ」

 口を利くのもしんどそうな隼を馬鹿を見る目で見下ろし、白は盆を座卓に置いてご飯と味噌汁をよそいに行く。
 生憎と一人暮らしのため来客のための箸などという気の利いたものはないが、割り箸くらいならばある。
 一人暮らし以前の話、無意識に自宅で食事に誘う友人ができることを想定していなかったのだが。長年のぼっちは白に深い爪痕を残している。
 程なく、白は手拭や割烹着を脱いで軽く畳み、朝食の席に着く。向かいには隼が不自然に首を傾げながら座っている。口を半開きにしていないだけマシだろう。

「いただきます」
「……いただきます」
「召し上がれ」

 覚束ない手で割り箸を割った隼は、味噌汁に口をつけて茫洋としていた目を見開いた。
 ようやく目が覚めたという顔をしている。

「美味しい……」
「そりゃ、しじみの成分は二日酔いの体が喉から手を出すほど欲しがるからな」
「いえ、そうじゃなくて……いや、それもありますけど」

 白がネカマでSNSを嗜む程度には料理に親しんでいることは隼も知っていたが、実際口にしたのはこれが始めてだ。
 たかが味噌汁と侮るなかれ。市販の素などを使わず、しっかりと食材から出汁をとっているせいか、じんわりと沁み入るような味わいがなんともいえない。滋味とはこういったものを云うのか、と知識ではなく体感で理解させるものがあった。
 隼は次いで白米を口に運び、やはり驚く。
 米は甘い、という話はよく聞くが、それを実感したことなどあまりない。
 コンビニ弁当の白米など、妙な癖があって深く味わうこともなく飲み込んでしまうのだが、いったいなにが違うのか(白に言わせれば米と水が違うと答えるのだが)噛み締めるごとに米の味がする。
 よくよく見れば茶碗に盛られた米は元気に立ち上がり、つやつやと光っている。
 最近、テレビに出てくる自称料理家が「最近の米はあんまり洗わなくてもいいんです」などと言って笊にあけた米を流水でちゃちゃっと研いで済ませているが、馬鹿な話である。確かに器械干しした米は脆く力を入れれば砕けやすいが、それでも四回ほどは水を替えながら研いでやらねばなるまい。はざかけ米であれば尚更、炊いたときに糠臭さが強く残る。

「ちゃんと鳴いてたからな、よく炊けてる」
「鳴く?」

 無表情ながら満足そうに白米を飲み込んだ白の言う意味が分からず隼が訊けば、白の目はうっすらと生温い温度になる。その目は都会から来た若者を見る田舎のばっちゃに通じるものがあった。

「いいかい、隼ちゃん。お米はね、お水いれて置いておくとね、ぷちぷち音がするんだよ。それはね、お米が一生懸命お水を吸ってる音なのよ。だから、いっぱい吸ってるなーと思ったら、お水をちょっと調節してやるの」

 懇々と言い聞かせるようなばっちゃ口調で説明するのは、百九十センチを越えた不良の総長である。室内だからか薄いサングラス越しの眼光と白い髪が今日も眩しい。

「総長はいつから料理を?」
「覚えてねえな。少なくとも小学生の頃には川原でバームクーヘンを焼いていた」

 バームクーヘンを手作りする場合、台所を悲惨なことにしたくなければ庭か川原でかまどを作った方がいい。あの如何にも、な形にこだわらなければもっとお手軽に作れるのだけれど。

「……菓子も作れるんですか」
「おいおい、雪ちゃんは野郎共が『嫁にしたい』『いや俺が』とコメント欄で争奪戦を勃発させるのが定例のできる女子だぞ」

 できる女子でも早々、バームクーヘンを手作りしようとは思わないだろうが、隼はこの白の言葉で白にとっての「できる」という範囲を大きく誤解することになる。

「総長は料理できる女がお好きですか?」

 しゃきしゃきとほうれん草を咀嚼していた白の目が死んだ。
 選り取り見取りでむしろ鬱陶しいとまで思うこともある持てるものには、お分かりいただけないのだろう。
 世の中、選ぶ余地がない、選べる立場ではない、と区別される人間もいる。

「……いや? ほら、俺ができますし? 別に作れなきゃ女じゃねえとかいいませんし? ヤマトゥナデシコゥに憧れがないわけじゃないが、それはそれっていうか、一所懸命なきみが好きっていうか、やだ言わせないでよ恥ずかしいなあもう!」

 死んだ目をしたまま棒読みでつらつら言った白は、むしゃむしゃと白米を口に放りこむ。
 白の言葉に深く隼は頷き、温かい卵焼きに箸を伸ばす。
 きれいな層を作っている卵焼きは、たっぷりの大根おろしと一緒に食べると物凄く美味かった。関東とは違う、関西醤油の独特の風味もたまらない。
 じゅわり、と味の染みた大根おろしの汁気と、熱い卵焼きが解け合って口いっぱいに滋味が広がるのだ。

(そういえば、美味いものを結構重要視してたな……)

 はふ、と熱い呼気を落としながら以前交わした会話を思い出し、隼は決心する。
 滋味やらばっちゃの知恵袋やら大きく逸脱した「できる」人間の一所懸命やら。白にとっての食の水準を垣間見た隼は、この日、この朝食を切欠に、数年後、漬物を自作して常備し、季節に合わせた果実酒を仕込み、畳を茶殻で掃き、板間を米ぬかで磨くようになる。
 そして、それを仕込んだ本人は「……これも一種のプロジェクトパーポゥなのか、いやまさかな、ははは」と無表情に抑揚なくハハハと笑って縁側で隼の淹れた茶を飲む日常を過ごすのだが、いまは誰もそんな光景を描くことはなく健康的な朝食が続いた。

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