小説
五話
真夜中、閉店間際のHortensiaにはカウンター席へ腰掛ける千鳥と、バーテンダーである沖島のふたりきりであった。
ふたりきり、と言っても、奥の部屋には何人かが雑魚寝をしているのだが。
belovedには帰る「家」がない少年もいる。
今日は帰ったが、拓馬もHortensiaに泊まることが珍しくない一人だ。
千鳥には「家」がある。忙しい両親はあまり帰ってこないし、兄弟もいないので人気は少ないが、それでも「家」に変わりはなかった。
たとえば、それが時に首を絞められるような重苦しさ伴う「家」であったとしても。
「ねえ、沖島さん」
「なんだ、ラストオーダーは締め切ってんぞ」
ぶっきらぼうに言い捨て、片付けを始めている沖島に千鳥は苦笑いする。どこか疲れたような顔だが、この場に白いヤクザ顔の相手はいないので、憂い顔の美形を忌々しげに舌打ちするものはいない。
「沖島さんはさ、総長のことどう思う?」
「さあな」
「もう少し考えてよー」
にべもない沖島に口を尖らせる千鳥は、しかし大して返事を期待していないようにも見える。
不良などやっている輩は総じて面倒臭く、また単純でもあることを沖島は自身を顧みて知っているが、千鳥――千鳥や隼は、これまた複雑にこんがらがった糸のように面倒臭い気配があることを知り合った当初から彼は感じていた。
それこそ、ふたりを隼をbelovedへ引っ張り込んだ浅木に忠告するほどに。
腰抜け上等、引き際を誤ればそのまま真っ逆さまに落ちることもあるのが不良という生き物で、沖島は隼や千鳥から感じるふたりだけの秘密めいた気配の根本を探ろうともしない。
探ったところで、暗闇に突っ込んだ手がそのまま千切れないとどうして言えるだろう。
そうまでして、満たしたい好奇心があるわけでもないのに。
「お前はどうなんだ」
「んー?」
「いきなり隼が引っ張り込んだ『総長』を、どう思ってんだ?」
千鳥は副総長であったがいまはその位置に隼がいて、千鳥は幹部の一人だ。
幹部などとご大層な、と大人の目線で思うが、暴力を手にした集団が統率を捨てたほうが恐ろしい。管理体制を整えるのは初代から続くbelovedのやり方だが、そのやり方が内部のみならず外部にもまた不要な影響を抑えていることを多くのものは知らない。
千鳥は曖昧な、極めて日本人らしく、千鳥という飄々とした青年を思えば違和感のある笑みを浮かべながら口を開いた。
「きらいじゃ、ないよ」
「ふん」
「純粋に尊敬する部分がある。これは嘘じゃない」
「でも、それだけじゃないんだろう」
んー、と考えるように千鳥は曲げた指を唇へ押し当てる。
照明が伏せられた睫毛や、口元へ濃い陰影を作りだせば、彼がとても華やかな容姿をしていることが窺えた。
「不安……怖いっていうのとも違う……」
「おいおい、どうした学年次席。達者な頭で捻り出せよ」
「茶化さないでよ」
じろ、と千鳥は上目遣いに沖島を睨むが、すぐに逸らす。
どうにかして、やっと千鳥が言葉にしたものは沖島にとって意外さを伴った。
「……危惧、そう、危惧してるんだ」
「危惧」
「総長は強いよ」
「らしいな」
沖島は白が拳を振るうところを見たことはないが、belovedメンバーの証言や、ふとした瞬間の身のこなしから察するものがある。沖島とて拳を振るうことなく浅木と出会ったわけではなかった。
「でも、脳筋ってわけじゃないんだ」
「そりゃあ性質が悪いな」
沖島はしみじみと頷く。
浅木も頭がよくて、暴力的なことに強かった。それに何度振り回されたことか。
けれども、千鳥が言いたいのはそうではないだろう。白と浅木の頭、思考方向は同じではない。同じであれば、大人にすら、先達たる沖島にすら噛み付く千鳥が、こんなにも思い悩むような顔を晒すわけがない。
「総長は怖いひとだよ。間違いない」
「珍しいな、お前が断言するなんて」
「あはは、だって、それが『危惧』の原因だもん」
すでに色すら薄くなっているグラスには、ブランデーが一滴だけ垂らされた烏龍茶が入っている。千鳥はそれを半分ほど飲み干した。
「総長は見抜くよ」
「なにを」
「……ないしょ」
「隼のことか」
千鳥は一瞬だけ鋭く沖島を睨む。
「なんでそう思うの」
「お前がそんなに頭抱えるのは、いつだって隼のことだろうが」
べたり、と千鳥はカウンターに置いた腕へ伏せた。横を向いた顔は、拗ねたようにも見える。
あまり指摘されたいことではなかったようだが、見ていれば分かることなのだ。
「なにそれ。偶然でしょ」
「別に態々否定するようなことでもないだろうが」
「癪じゃん」
「癪か」
「癪だよ」
グラスを伝った水滴を指で弾き、千鳥は最初の問いを繰り返す。
「さあな。セックスもしたことない相手のことなんざ分かるかよ」
「なにそれ」
あんまりな返答だ。
顰めた顔を起こせば、沖島はカウンターに肘をついて千鳥を見下ろした。
「言葉なんざ、いくらでも嘘が混ざる。仕草一つにすら意図が絡む。人間がもっとも正直になるのは生身の身体だ。
喘ぐ振りはできても心音は変えられない。背中に腕を回せても、反射で跳ねる指は抑えられない。鳥肌も、汗も、判断材料として見るのなら、これ以上正直な証言者はないな」
「……いつもそんなん考えてセックスしてんの?」
分かりやすく顎を引いた千鳥に、沖島は肩を上下させる。
「まさか」
片頬を吊り上げる大人に、千鳥は呆れたようにため息を吐く。
「総長ならその辺もどうこうできそうで怖いなー」
「おいおい、そりゃ化物だろ」
「あれ、知らなかったの?」
千鳥はわざとらしく首を傾げる。
可愛子振った仕草のよく似合うことで、と今度は沖島が呆れた。
「あれは、化物だよ――勘だけどね」
1+1=2をはじき出すほど明快に言ってのけた千鳥に、沖島は目をぐるりと上に半周させる。
じ、と千鳥へ戻した視線には幾分くたびれた色。
厄介な人間と関わることになったようだ、と自覚した色。
「結局、お前の危惧はなんなんだ?」
「奈落が口を開いていること」
「は?」
「無意識も無自覚も性質が悪い。踊っているうちが花だけど、舞台に穴があることに気づかないなんて怖いことだよ」
眉間に皺を寄せる沖島に微笑んで、千鳥は虚空へと視線を飛ばす。
「杞憂なら、いいんだけどね……」
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