小説
十九話




 強いひと。
 ささくれなんて言葉では間に合わないほどに荒れたまま、その衝動を叩きつけるように、しまい込んだものを覆い隠して塗り潰すように、拳を振るうことを覚えた。
 規則に守られた場で強くなったって、隼にはなんの価値もない。
 不良と呼ばれるような連中は、少し派手な髪色に染めて、不遜な態度でいれば幾らでも群がってきたのだ。
 それを全部、全部、叩き潰してきた。
 地面に転がされ、錆の味がする砂を噛み締めたときもある。
 けれど、必ず立ち上がって相手にそれ以上の砂を食わせてやった。砂利を頬張らせて蹴り飛ばし、前歯も奥歯も砕いて欠けさせてやったこともある。
 そうしているうちに、周辺に広く顔が利く不良集団の創始者である浅木に出会い、belovedというけったいな名前の不良集団を引き継ぐことになったのだ。
 以前から千鳥は隼が誰かと喧嘩をする際に顔を出していたけれど、belovedを引き継ぐことになったら当然のように隣へ並んだ。
 千鳥もまた、多くを叩き潰せるようになるほど、誰かを叩き潰してきていた。
 誰かと共にいることは、悪い感覚ではない。
 隼は人間嫌いではないのだ。
 けれど、見渡す彼らは千鳥でも容易くねじ伏せられる。
 もっと、もっともっと強い相手を望んだ。
 そんな日々のなか、出会った白い髪の大男。
 こんなにも、ひととは強くなれるのか。
 こんなにも、強いひとがいるというのか。
 隼はつくもという存在に、強く胸を鷲掴みにされた。
 けれど、幾ら隼が胸を鷲掴みにされたって、隼がつくもにそうできるかと言われればそんなことはない。
 つくもは簡単に逃げることができてしまうから、つくもは簡単にいなくなってしまうひとだから、捕まえる隼は手段を選ばなかった。
 つくもなら、とかそんなことを考える余裕すらなかった。
 ただ、つくもを捕まえたい。
 その一心で、隼はつくもへ机を叩きつけようとした。
 言い訳をするのなら、脚でつくもを壁に追い詰められればそれでよかったのだ。
 前後不覚の状況で、少しでもずれれば大怪我間違いなしの行動に、違和感も躊躇もなかった。
 隼はただ、一つの声に突き動かされていた。
 酷いひどい酷いひどい。
 泣き喚くこどもの声が頭の中に反響して、うまく思考できないのに、つくもの声だけが明瞭に聞こえる。
 しかしそれに答える自身の声は覚束ず、引かれる手だけが確かな指針で、縁だった。
 思い返して、隼は軽い吐き気を覚える。
 なんて様を晒したのだろう。
 短いのか長いのか分からぬ混乱から抜け出せば、今度は混乱状態だった自分に対する嫌悪に頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。
 つくもに迷惑をかけた。今度こそいなくなってしまうかもしれない。落ち着いて話していればもっと違う形があったはずなのに。
 どうしよう、どうしよう。
 いなくなってしまったらどうしよう。
 つくもなら、つくもでなければ。
 またこどもの声がする。それに紛れて聞こえる笑い声。
 とにかく謝らなければと口を開いた隼を遮って、つくもが言う。つくもが誘う。

「おいで」

 つくもに掴まった。
 捕まえたくて追いかけていたつくもに掴まった。
 頭の片隅に過ぎった――の裂けたように笑う顔が掻き消える。
 つくもに捕まえられた。



「――で、携帯電話はご臨終なされた。タイミングは悪かったが、別に縁切りどうのしようとしたわけじゃねえよ」

 きょろきょろと落ち着かない様子の隼に片手鍋で温めた牛乳を突き出し、外気に冷えた身体が温まった頃を見計らって白が仔細を問えば、隼は言い辛そうに自身が味わった衝撃と絶望を語った。

「総長がいなくなってしまう確信はあっても、総長がいてくれる確信なんてないんです……」

 だから、せめて否定がなかったことに縋った直後、連絡が途絶えた衝撃は大きかった。
 ごめんなさい、と小さく落とされた声に白はため息を吐き、携帯電話の末路を話した。
 ぽかん、と聞いていた隼は次第に顔を赤らめ、最後には顔を両手で覆ってしまう。
 恥ずかしいだろう。そりゃもう恥ずかしいだろう。
 一方的に慕った人間から連絡途絶えただけでずたぼろメンタルになっただけでも相当だが、全ては思い込みが激しすぎた故の勘違い。
 恥ずかしいだろう。ほんとにもう恥ずかしいだろう。
 白は「ざまあ」と無表情に言い放つ。

「ったく、別に黙っていなくなる必要ないでしょうが」
「で、でも……」
「お前ら全員が束になって止めたって、畑のカカシとして農家にプレゼントすればいいだけでしょうよ」

 白にはそれができる。

「総長、面倒臭がりじゃないですか」
「それは遠回しに俺が仕事を退職するときはメールで済ませるような人種だと言ってるのか」
「音信不通でクビ宣告待ちとか」
「……いや、さすがにそれは……しないっつーか、させてもらえないだろうなあ……多分?」
「俺に訊かれても……」

 白は咳払いして、なにか話題を逸らす先はないかと視線を巡らせる。

「あ、そういえば、多分もらってないプリントとかあるよな」

 なにしろ挨拶すら殆どできなかったのだ。
 新しいクラスメイトと一緒に配られるプリントなどもあったかもしれない。

「千鳥が持ってくると思います」
「住所……ああ、いいや。Hortensiaに顔出すよう連絡しといて。昼飯そっちで食うわ」
「わかりました」

 頷いた隼が取り出した携帯電話を見て、白は一瞬噴出しそうになった。
 今になって気づけば、もうすぐ入荷されて手元にやってくるであろう機種と色違いである。隼は赤、白は白だ。

「総長、どうかしました?」
「いいや、なんでもございません」
「そうですか……?」
「お前は?」
「え」
「もう大丈夫か?」

 にやにやした雰囲気で白が問えば、隼は再び顔を赤くして床に蹲った。

「やめてください、ほんとやめてください。すみません、ご迷惑おかけしました。以後気をつけます。だから忘れてください」
「却下、語り草になるよう頑張るわ」
「総長おおおおおおおおおおお!」
「おいおい、騒ぐなよ。お隣さんに迷惑だろ」

 アメリカンな仕草で肩を竦めた白に、隼は羞恥で涙目になった。起き上がる気力もなく、うめき声を上げながらラグの敷かれた床に転がるしかない。

「うちに生息する妙な妖怪になるのはやめろ。ほらほら隼ちゃん、お昼ご飯食べに行きますよ」

 どっこらしょ、と身軽に動けるくせに大儀そうな声と仕草で立ち上がった白は、未だに転がり続ける隼の肩をべしべし叩く。
 十発ほどべしべしやっていれば、隼も恨みがましい顔を上げたので、白は「ん」と手を差し出してやる。
 隼はまばたきをし、それから一瞬奇妙に喉を鳴らして、腕を持ち上げる。
 恐る恐る伸ばされた手をしっかり掴み、引き上げてやれば、隼は一瞬呆けてからうれしいのを必死に抑えているのが丸分かりの顔になった。指摘してもいいのだが、そうすると転がり虫が再発、昼飯も遠のき割に合わないので、白は上がった口角と下がりかけの眉というアンバランスなパーツ配置を眺めるだけにした。

「隼」
「はい!」
「行くぞ」
「はい、総長!」
「マンションであんま総長総長連呼すんな」

 お隣さんのすすり泣きは胸にうったえるものがある。
 ご近所付き合いの難しさをしみじみ噛み締める白の手を、隼が控えめに引いた。

「どうした?」
「総長……」
「あ?」
「総長のお名前、なんですか」

 一瞬コマンド殴るを選択しかけた白だったが、すぐに「きちんとした自己紹介」をしていないことを思い出した。
 このままでは、名前の字も間違えられたままだ。つくもはつくもでも、断じて古いものに宿った妖怪だとか黄な粉まぶした餅菓子ではない。

「織部白。機織のおりに、部活のぶ。白いって書いてつくも」

 白の言葉を繰り返すように、隼が小さく「織部白」と音にする。
 こちらにきて、初めて呼ばれたかもしれない。白は妙な感動を覚えながら、隼の頭をかき回す。

「織部白、浅実高校二年に転入しました。よろしく」

 握手代わりに繋いだ手を振り、白はぎこちなく笑おうとして失敗する。
 表情筋が柔軟になるのは遠い。
 あまりにも不器用な引き攣った表情だったけれど、隼はうれしそうに笑い「よろしくお願いします」と返してくれた。

(ああ、悪くない)

 白はほうっと息を吐く。
 気配を殺してまで得ようとした不特定多数のなにかと比べても、きっと劣りはしないと断言できるくらいには、悪くない。

「隼ちゃん」
「はい」
「隼」
「はい、織部さん!」

 新しい高校生活の始まりだった。

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あきゅろす。
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