小説
十八話



 belovedの知名度がどの程度であるのか、白は実感らしきものは未だなかった。
 そも、不良と縁のない善良なる市民からすれば、不良が集団組織を築いているのかどうか、という段階から怪しく、その組織名など聞いたこともないなど珍しくない。個人名など更に、だ。
 白は善良なる市民を自負している。
 いつだって殴りかかってくるのは不良からであり、これは善良なる市民がカツアゲに遭うのと同じことで白自身に非があるものではない。断じて。
 それが隼とお手々つないで廊下を歩けば、突き刺さる視線の賑やかなこと!
 通り過ぎる瞬間までは大人しい教室、ドアを過ぎればざっと頭を突き出し凝視してくる生徒に教師。

(仕事しろ。その鈴なりの頭を全部ショットされたいのか。指弾は小石で十分だからな)

 なんともいえない空気の、本来であれば今日から自らのクラスとなる教室を後にした白は、さっさと静かな廊下をてけてけ過ぎ去り校舎を後にするつもりだったのに、何故に観光名物かなにかのように視線を集めるなか歩かなくてはいけないのかと物騒な顔をさらに鬼気迫るものにする。
 それもこれも全て自分の手を握ったまま放す気配のない隼の所為なのだが、ここで振り払うほど白は鬼畜生ではないつもりだ。面倒臭くなる気配を感じているとかではない。
 そもそも、浅実高校は進学校ではなかっただろうか。
 なぜ不良組織の幹部二人……否、姿は見ていないが拓馬と日和もいるらしいので四人がいるのか。自分を棚に上げて白は腑に落ちない。
 不良は全員、産業か工業高校行ってろと差別思想を持っているわけではないのだが、それなりに名の通った進学校、素行不良で咎められはしないのだろうか。
 白はぐるぐると世の中の理不尽と不条理、それらが齎す景気への影響から幸福指数などはじき出してみたり途中から規則正しい生活を強制されることで減る腹のために増える食費を嘆いてみたり、忙しくなく考え事をして、ふと気付けば下駄箱に到着していた。

「……隼ちゃん、お靴履けるかしら」
「……はい」

 隼は白の手を引くように歩き出した。

(……ああ、うん。想定内)

 隼が自分の下駄箱からローファーを取り出してから、白は来客口で靴を脱いだことを思い出した。

(……うーわ、事務員さんにもお手々つないで仲良しこよしアピールじゃないですかー)

 しかし遅かれ早かれ伝わることだ。
 いいじゃないか、もう全て受け入れよう。
 白は日頃敬虔な神父を気取るマフィアのような顔で隼の手を引いた。



 事務員さんに異形、もしくは怪異、日常に潜む不可解且つ底知れぬ沼地のように不気味なものを見る目で見られた白だが、腹を括った漢に越えられぬ頂はなし。苦虫百匹噛み砕いて味わっているような顔で浅実高校の門を出た。

「隼ちゃん、隼ちゃんのお家はどっち? というかちゃんとお家に帰るの? それともHortensiaに行って千鳥ちゃんたち来るまで待ってる?」

 完全に園児へ向かう保母状態の白に対して、隼も引っ込み思案の園児状態だった。
 ぎゅ、と言葉なく込められた手の力に、白はふひゅう、と息を吐く。

「うんうん、俺の家行こうか。白くんのお家あんまり楽しくないけどね」

 隼がようやく顔を上げる。
 改めて見ると、目の下にうっすら隈があるし、泣いた所為かげっそりした面差しが痛々しい。

(短時間で消耗し過ぎだろ。こいつ大丈夫か。世間の荒波に乗れるのか。クマムシ見習えよ)

 白は思わず隼の行く末を案じる。
 自身は荒波だろうが海嘯だろうがなんやかんやいつの間にか遠いとこまで来ちまったな感覚で乗り越えるだろう自信がそれなりになくもないが、今の隼を見るととてもじゃないが流されるクラゲ、打ち上げられることがあるだけクラゲのほうがマシかもしれないといった有様だ。
 これは早急に休ませてやったほうがいいだろう、と白は決める。

「行くよ、隼ちゃん」

 頭をひとつ撫でてやり、白は隼の手を握り返した。
 人間、心身の限界がくると意識が暗転するようにできている。
 まさか隼がそこまで消耗しているとは思わないが、手の一本だろうが支えがあると多少は違うだろう。

「総長」
「んー?」
「すみません」
「今更過ぎる謝罪はいらんよ」
「……すみません」
「ああもう、隼ちゃん隼ちゃん落ち込まないで。もうすぐ俺のお家ですからね。白くんのお家にはカルピスの原液なんて高尚なものは置いてないし、喉潤すために玉露とか三十年もののプーアル茶とか絶対出してやらねえ調子に乗るのも大概にしろよ出せるのはあっためた牛乳くらいだけど文句言うんじゃありませんよ。言ったら総長の中国拳法が満漢全席ですからね」

 流派問わずのフルコース、中華料理はお持ち帰り制度があるので安心してください。
 空恐ろしいことをさらりと言う白に、ようやく隼の顔に平常心が戻り始める。

「ほら、ついたぞ」

 コーンを入れすぎたポップコーンが如くぽんぽんと言葉を飛び出させていた白の口からなんでもないように言われ、隼は一瞬なんのことかと理解できずまばたきをした。
 はっとして周囲を見渡せば、白がちょい、とマンションを指差す。

「あそこの五階、角部屋な。501号室」

 白は呆然と見上げてくる隼に、ぐるり、と視線を無意味に回す。
 甘やかしている自覚はある。
 けれども、仕方ないではないか、と白は繰り返すのだ。
 なにかしたつもりはない。特別なものを見せたという覚えもない。
 それでも、ほんの少し手を離しただけで泣いてしまうほど、傷ついてしまうほど自分という存在を欲しているのなら、白はしがみつかれた片手を好きにさせてもいいか、と思わなくもない。
 たとえば、それがどういう意味でも。
 たとえば、それがどういうことでも。
 たとえば、それがどんなものでも。
 もしも自分が後ろから自分を見ているのなら、恐らくは殴りかかっていることだろう。
 面倒臭いことになるぞ、と。

(分かっているんだがねえ)

 自分は面倒を承知で背負い込む人間ではなかっただろう?
 自問に自答する。
 ――そもそも、自分の手を取りたがる人間などいなかったではないか。
 白は繋いだ隼の手を軽く振る。

「ほうら、行くぞ」
「総長、あの……俺ほんと、すいませ……」
「隼」

 ようやく正気が完全に戻ったか、狼狽する隼の言葉を白は短く遮る。

「――おいで」

 たとえば、それがどうなっても。

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あきゅろす。
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