小説
十六話
多くの人間は顔見知りとの連絡がたった二日以上つかないだけで、ここまで荒れはしないだろう。
残念ながら、多くの人間のなかに自分の幼馴染は含まれなかったらしい。平均と言い換えても極端と極端の間に過ぎないのだから、一人を取り出してみたらたまたま極端であってもおかしくはないが。
千鳥は死屍累々といった有様を興味薄く眺める。
新総長、つくもの携帯電話が通じなくなった。メッセージの類には読んだ形跡すらなく、電話をすれば電話に出られないというガイダンスが流れる。その後、自動返信メールが「電波の届かないところにおります」という内容を届けた。
連絡がつかなくなる以前のメールから、次にいつ連絡がつくとも分からない。
たったこれだけの理由で隼が荒れた。
殺伐した精神が肉体に出ているらしく、表情は荒み、血走った目の下には薄い隈がある。
始業式の日、通学中に絡んできた普段は視界にもいれないような連中を、路地裏の地面に転がすほど荒れた。呻き声は聞いていて楽しいBGMではない。
「じゅーん、落ち着きなよう」
「落ち着いてる。機嫌が悪いだけだ」
「それ落ち着いてないから。それに遅刻するよ」
「どうせ式なんざ面倒なだけだろ。遅れても問題ねえよ」
「あっそう……」
呆れてため息を吐きたいが、いまの隼を刺激してもろくなことにならないと千鳥は知っている。
(あー、もう。今すぐ総長がメールのひとつもくれればいいのに)
隼がこれでは、教室についたときクラスメイトは戦々恐々だろう。尤も、千鳥にとってそんな他人はどうでもいいのだが。
恐恐とした態度の周囲に、隼の機嫌が更に下がることを厭うているだけだ。
「やり過ぎても手ぇ痛めるだけだよ、隼」
「ああ、この程度で? なめてんのか、千鳥」
「俺にまで喧嘩吹っかけないでよー」
千鳥は今度こそため息を吐いた。
どうしても今日は好戦的な気分であるらしい。
周囲に発散するならきっと、増しなのだ。
その周囲に自分が含まれるのはごめんであるが、一人内側に塞ぎ込まれるよりずっと良い。ずっと、ずっと。
(ここまで荒れてるの久しぶりすぎ……そんなに総長がいいの?)
千鳥につくもを恨む気持ちはないけれど、かといってなんでもない様子で歓迎できるわけもない。
中途半端に野良犬の頭を撫でるような真似をしてくれたものだ、と恨みとは違う、憤りに近い感情があるだけ。
なんでもないように、なんでもなかったように、凪いだままでいたかったのに。
「隼」
「ああ?」
「まだ――が怖いの? ここまできても、安心できない?」
飛んできた拳は以前なら喰らっただろうか。
つくもの動きや敗北した事実を前に鍛えなおした千鳥は、なんとか隼の拳を掌で受けて流した。
一瞬目を見開いた隼が、次いで泣きそうに顔を歪める。
「痕跡はあんのになあ……」
いたという気配があるのに、本人がどこにもいない。
嘆く隼に、千鳥は哀しげに目を伏せた。
(そうちょーのばか。ひとの幼馴染のトラウマ抉んないでよ)
恨み言を聞いてくれるひとは、いまどこにいるのだろう。
留紺のブレザーに袖を通した白は、いつもより薄い色のサングラスの下に遮光コンタクトをつけて、洗面所の大きな鏡の前に立った。
手に持った黒緑のネクタイは、基本に則りプレーンノットに締める。つい、湧いてしまう遊び心であるが、今日ばかりは大人しくさせておくべきである。白は模範的な優等生を目指したいので。
白い髪はつい一昨日までトップにボリュームがあったのでいじるのも楽しかったのだが、鏡に映っているのはすっきりと頭のラインがきれいに見えるように整えられた。少しだけ長いサイドをちょい、と引っ張り、ついでに前髪は一部横に流す。
「……こんなもんか」
マフィア顔は努めて気にしないことにして頷き、白は呼吸も幽く家を出た。
丁度隣から出てきたお隣さんはいつもならば鉢合わせる度に硬直するか震えるのに、まるでその場に白がいないかのように何事もない顔をしていて、それは白とエレベーターの中でふたりきりになっても同じであった。
「すみません、転入生の織部ですが」
誰もが白をいないもののように過ぎていく道を歩きながら、白は今日から通うことになる浅実高等学校の門をくぐり、事務室へと向かった。
僅かに空いたガラス窓の向こうへ声をかければ、まるで幽霊に話しかけられたように事務員の男が素っ頓狂な声を上げた。
「うわっ、びっくりした。すみません、気付かなくって……ええっと、転入生ね……ああ、はい。織部……つくもくん、ですね?」
「はい、織部白です。今日からよろしくお願い致します」
「こちらこそ。ようこそ浅実高校へ。こちら簡易ですが校内の案内図です。まずは職員室へ向かってください。忍足という先生がいるので、あとは彼の指示に従ってください」
「分かりました。ありがとうございます」
白は会釈して職員室へと向かう。
途中ですれ違うひともおらず、遠くから僅かな喧騒が聞こえる。今日から自分もその喧騒の一部になるのだと思えば、白は甚く感慨深くなった。
「すみません、忍足先生はいらっしゃいますか?」
「俺やけど……んー? きみ、ひょっとして織部くんか?」
案内図に従いやってきた職員室で声をかければ、数人がきょろきょろと首を巡らせたあと、ようやく見つけた、とばかりにひとりの男性が入り口のそばに立つ白に近づいてきた。
彼が忍足らしい。
始業式だからか、上着は脱いでいるものの、ぴっしりしたスーツ姿が軽やかな口調に反して真面目に見える。
「はい、織部白です。今日からよろしくお願い致します」
「おお、よく来たなー。俺、忍足正宗。織部くんの担任な。ええっと、ちょいこっちきてー」
ちょいちょい手招かれるままに忍足へついていけば、それなりに片付いたデスクから忍足は何枚かのプリントを取り出した。
「はい、こっち確認な。住所とか変更ない? あ、こっちお知らせとかね」
「はい、ありがとうございます」
「はいはい。んで、織部くんのクラスやけど、二年A組。あ、式の間は俺の横にいてやー。式終わったらそのままクラス案内して、新しいお友達ですーって流れな」
「はい、分かりました」
「ん。じゃ、それまでいうてもそんな時間ないし、このままこっちいてもらえる?」
「はい」
「ありがとね」
にっと笑った忍足は白の頭を撫でようとして、きょとん、とした。
「なんや、織部くんめっちゃ背ぇ高いやん……あれ、全然気付かんかった……」
「俺、気配薄いんで」
「自分で言うなや。まあ、確かに最初どこにいるか気付かんかったけど!」
忍足がからから笑い、白も控えめに笑った。
頬の筋肉が僅かに震えただけであった。
結局、隼は式に間に合わなかった。間に合わせる気もなかっただろう。
一緒に間に合わなかった千鳥は、巻き添えとは口にしない。したところで「一人で行けばよかっただろ」とでも言われるのが関の山だからだ。この幼馴染は時々ぶん殴りたいくらい憎たらしい。
ぞろぞろと移動する生徒になんでもないように混じるが、どうしても目立つ赤い髪と、そも、隼や千鳥自身が有名なために生徒達はさりげなく距離をとる。
隼の機嫌があからさまに悪いので尚更だ。
千鳥は一瞬、隼へ視線をやったが、彼はそこまで機嫌を下降させなかった。むしろ、歩きやすくて清々するとすら思っているかもしれない。
自分達がやってきたことでざわめいた教室が一瞬静まり返っても、隼は気にせず机にどっかり座り込む。
千鳥はとりあえず他者を意識から締め出す程度には「いつも通り」であると納得した。
「おっしー早く来るといいね。早く帰りたーい。ってか、なんで今日俺ら来たの? 意味なくね?」
「逆に今日くらいは、じゃなかったか。もう忘れた」
「そだねー」
最低限の出席日数と、一定以上の成績を収めれば教師も黙る。それが進学校浅実高等学校の実態だ。
隼が口端を皮肉に歪めたところで、がらっと教室の前のドアが開いた。
ひょっこり顔を出したのは、数週間前に見た担任、忍足だ。
隼や千鳥などの問題児を抱えても調子を崩さぬ教師で、だからこそふたりを押し付けられたのだろう。
久しぶりに見ても変わった様子はなく、からからと明るそうな様子に隼から若干、空気が抜けるのを千鳥は感じた。
「よーう、お前ら久しぶりやんなあ。元気にしとったー?」
気安い忍足の声に、クラスのお調子者が「してたー!」と声を上げる。それに忍足はうんうん頷き、突然ぱん、と手を叩いた。
「さて、ここで重大ニュースやで! なんと今日、うちのクラスに新しい仲間がきてん! ほら、織部くん入ってきて」
転入生の噂など聞いたことなかったが、随分と急な話だったようだ。
隼は千鳥に視線をやり、千鳥が肩を竦めるとふん、と鼻を鳴らす。
どういうわけで転入生を隼と千鳥のいる教室へ、もう少し配慮してやれないのか、とは言わない。
見知らぬ転入生へ同情する義理はないのはもちろん、浅実高校は成績によってクラス分けをしているので余程でなければそういった配慮はしようがないのだ。
(さっさと帰りたいのに面倒くせえ)
机蹴り上げて不安一杯の高校生活の始まりにしてやろうかと隼が小さいことを考えたところで再びドアが開き、ちら、と視線をやった隼は目を見開いた。
千鳥も一瞬眉を寄せたが、すぐにはっとした顔をする。
ドアをくぐって、教室へ入ってくる、白い色。
「どうもー、遠い県からやってきた織部つくたわばあああああああ先生すんまっせんお腹痛いんでちょっと俺早退しますわーそのまま一週間くらい休ませてお願いしますかわいい生徒が苦しんでるの放置しないでいやむしろ放置して俺を自由にさせてあいうぃっしゅあいわーあばーど」
「――総長ッ!!!」
教室へ入ってきて生徒のほうへ向き直ろうと視線をやるなりすぐに回れ右しようとした転入生は、紛れもなくつくもであった。
白い髪も、薄い色のサングラスをかけた顔も、高い身長も、多弁な口も。
なにもかも、つくもであったのだ。
やけに気配が薄いが、隼がつくもを見間違えるはずもなく、たとえ「なんでこのひと制服着てんの」という疑問が頭の片隅を過ぎっても、いまはそんなこと関係なかった。
なにがなんだか分からない忍足と「総長」という単語に硬直したクラスメイトを放置して、隼はぴしゃ、とドアを閉めたつくもを追いかけるべく立ち上がった。
その手に机の端を掴んで。
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