小説
十五話



 白はコミュニケーション能力に著しい問題があるものの、環境へ馴染むことを拒否しているわけではない。
 たとえば、引越し初日はごたごたしたので叶わなかったが、暇を見つけて突撃隣に引越し蕎麦を慣行して、お隣さんをチワワのように震え上がらせたのが良い例だ。
 白は引っ越す前に悲惨だった高校生活を、今度こそ穏便に乗り切りたいと思っている。
 その願いが今までどおりでは叶わないことを理解しているので、並々ならぬ努力をして、よちよち歩きでもいいから夢と希望に溢れた青春の一歩を踏み出す所存だ。
 そのためにはやはり、高校生という身分に重点を置いて生活するべきであり、高校という場所での出会いを大切に交友関係を持つべきと白は頷く。
 当面こちらへ集中するつもりで隼に連絡を入れた白は、返事がくる前にうっかり飲んでいたコーラを倒して携帯電話を水死させた。
 携帯ショップに行けば欲しい機種は少し待たなければいけないらしい。代替機を貰ったが、連絡先を機体以外に移していなかったために移行は叶わなかった。
 一応祖母にはPCからメールを送ったが、それ以外は放置した。緊急なら祖母のほうから連絡がくるからだ。断じてアドレスの手動入力が面倒だったわけではない。
 現代社会必携アイテムなしのまま、白は新学期開始、つまり転入先の高校初登校を前日に控えるという、第一歩が斜めに踏み出された状況に置かれる。現代っ子はSNSなどの繋がりも気にするのだ。
 白は暗澹たる未来に一条の光を求め、美容院へ行くことにした。
 視界が暗いなら髪を切ればいいのだ。
 この時点で白はうっかり、あるいはあわよくば、と携帯電話の着信設定を登録番号のみにしたまま変更していなかった。
 この往生際の悪さがささやかな不運、あるいは止め、決定打となることを現時点の白は当然知らない。
 さて、びくびくする店員に悲惨な髪型にされるのは勘弁願いたかったので今まで自分で適当に揃えてきたが、ここはひとつ例の小早川日名子さんの店で整えてもらおうと白は無表情にうきうきする。
 口先だけでなくほんとうに連絡を寄越し、手土産片手に挨拶へ来てくれた彼女ならば「恩人」という利があるので高校野球入部希望者のような頭にされることはないだろう。
 気合をいれた白の格好は、系統でいえば普段と大して変わりない。
 ただ、白い、という印象が殆どなかった。アズーロ・エ・マローネで決めてみた。
 散髪するのに邪魔だという理由でサングラスではなく遮光レンズをしているが、目深に被った帽子と、それに押さえられた髪に鋭い瞳も紛れている。ただ、少し眼光が覗けば服装と相俟ってマフィア感満載なのだが。
 ただ、物騒な面差しがぱっと見ただけでは分からなくなっただけで、白から距離をとる人間はかなり減った。高い身長や均整の取れた体つきからモデルのように見えるひともいるようだ。
 誰も、最近引っ越してきたマフィア紛いのめっちゃ怖いひととは思っていない。
 白の狙った効果は最大限に現れている。
 白い色を強く印象付けさえすれば、いざというときにその印象を隠れ蓑にできるという目論見は見事当たったようだ。
 いっそスキップしたいほど浮かれる内心をおくびにも出さず、白は日名子に教えられた道順を思い浮かべながらゆったりと歩く。
 着いた先にある美容院は家族経営といっていただけにこじんまりしていたが、目に痛くないクリーム色基調で、かわいらしい外見だった。
「KOTORI」という店名は飾り文字で、「I」の字を小鳥の絵が咥えている。
 白は服の色だけでなく系統も変えておくべきだったと後悔する。否、変えたところで後悔の種は解決しないだろう。百九十センチ越えマフィア系男子が入るにはきっつい店である。眩しすぎて震えるほどに。
 がくがく膝が震えるついでに目が泳ぎそうになるのを必死に抑え、白は店のドアへ手をかける。

「いらっしゃいませ!」

 真っ先に客の来店に気付いたのは、床を箒で掃いていた日名子だった。
 仕事中だからだろう。会った時は二回とも下ろしている髪をまとめていて、服装も小洒落ているが動きやすさを重視されている。

「こんにちは、小早川さん。先日はどうも」
「え?」
「ああ、失礼。織部です」
「ええっ! ご、ごめんなさい、先日と全然違うから……」
「ははは。小早川さんは先日もおきれいでしたが、今日も一段とお美しくていらっしゃる」
「やだ、からかわないでくださいよー」

 白の言動が始終こんなものだと早々に理解している日名子は、白が二重の意味で誤解されそうなこと言ってもしても「やだー」で流してしまう。
 これが日名子でなかったら白は極寒の瞳で見られるか、生暖かい目で見られるかの二者択一であっただろう。

「急な予約でしたが、大丈夫でしょうか?」
「だいじょーぶですよ! この通りいまは丁度空いている時間なんです。真ん中のお席でお待ちください。あ、コートや鞄はお預かりしますよ」

 日名子はにっこり笑って、店の奥へと向かった。
 椅子に腰掛けた白の正面、鏡に映るのは冷たい風貌のマフィアだった。

(帽子ってマジ重要)

 容姿を覆い隠すアイテムがどれほど役に立っていたかを痛感した白は、日名子が戻らない内にやわらかな表情を意識する。
 耐性が多少あるであろう日名子はともかく、オーナーとやらに手を滑らされては堪らない。

(上品かつやわらかに笑え、笑え……おいちょ、これどう見ても詐欺師がカモ見つけたときみたいじゃねえか……やわらかく、せめて優等生のように……人生の挫折味わったことのない勝ち組の嘲笑しろと誰が言った……くっ、笑顔の見本、笑顔の見本。笑顔得意でいつも笑ってるような誰かいなかったか……あ、あいつがいたわ)

 本人には中々表情豊かに変化をつけているようでいながら、傍から見れば殆ど無表情に変わりない白がいいお手本を思い出したところで、二人分の気配が近づいてきた。
 日名子と、もう一人は少し年配の揚げ鶏屋の前に立っていそうなダンディな男だった。

「初めまして、娘の恩人だそうで。私は日名子の父で小早川つぐみといいます」

 ぺこり、と頭を下げるつぐみに、白はまるで花が開いたようなふわり、とした微笑みを意識した。

「初めまして、ぼくは織部白と申します。
 恩人などと大層なものではありませんが、不逞の輩からお嬢さんを少しでもお助けする手伝いができたのならよかった」

 満開の百合とは言わないが、白はカスミソウ二、三個くらいならぽぽっと飛ばした程度には笑んだ気配を見せる。表情筋の限界であった。
 白はまったく動かしたことのない部分の表情筋運動で顔面引き攣りそうになったが、せめて洗髪、散髪で目を閉じる瞬間まで堪えろ、と念じる。
 笑顔のお手本となった人物がこの場にいたら、ガタイのいい野郎がカスミソウを無理やり撒き散らしながら微笑んでいる噴飯ものの光景に腹を抱えてそれでも満開の百合が如く笑ったかもしれない。
 決して張り付いた笑顔とならないように全神経集中して表情筋を動かしながら小早川親子と少し雑談して、白はようやくかけられたケープにほっとした。

「では、全体的に抑え気味にそろえればいいですか?」
「はい、美容師の先生におまかせ、としたいのですが、ただでさえこの色ですから、学校生活に支障が出ても……」
「学生さんだったんですか、随分と大人びていますね。確かに目立つ色ですけど、艶があるし、見るひとは染めたものじゃないと分かると思いますよ。とてもきれいですし」
「そうですか? なんだか恥ずかしいな……」

 髪を軽くいじられながらつぐみと会話している白は、段々「なんで若々しい女性がいるのに俺はおっさんに恥じらってみせてるんだろう」と気が遠くなり始める。
 日名子はつぐみに変わって道具の準備などで店の中を動き回っていた。

「そういえば、学校はどちらへ?」
「浅実です」
「へえ! 実はうちの末っ子も――」



「ただいまー」
「ちょっと、顔出すなら裏にしなさいよ。お客様帰ったところだからいいけど、ちゃんと公私は分けなさい」
「はいはい、分かりましたあ。ひな姉うるせー」
「うるさいじゃないわよ、この不良弟!」
「こらこら、喧嘩するんじゃないよ」
「ごめんなさい、お父さん」
「ごめん、親父」
「よろしい、っと、そうだ」

 日和、おかえり。
 ひよこ頭の青年はにかっと笑って「ただいま」と返した。

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あきゅろす。
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