小説
十四話



 隼は不安なことがある。
 つくもという男に一瞬で憧れ、心酔し、自分の上に望み、それを叶えたのだけれど、いつかつくもがいなくなってしまうのではないかという不安だ。
 総長、と勝手に押し上げた肩書きで呼んでも、つくもは返事をしてくれる。
 嫌そうな顔でも応じてくれるなら、それは返事だろう。都合の良い解釈だとは思うけれど。
 連絡をしても無視されない。どころか、予定に問題がなければ会ってくれさえした。
 けれども、隼はつくものフルネームすら知らない。
 簡単に変更できる連絡先しか知らず、つくもは拒絶こそしないが、邪険にする言動からbelovedを好ましく思っていないのは明らかだ。
 それはそうだろう。
 つくもは暴力を楽しんでいた様子も、誰かれ構わず喧嘩を売るようなところもなく、きっと、彼は不良という存在と親しくしたいわけではなかったはずだ。
 恨まれていてもおかしくない。
 厭われていてもおかしくない。

(なのに、なんであんた俺に付き合ってくれんのかなあ)

 それは、いなくなるからではないか、なんて隼は想像してしまう。
 いまだけだから、付き合ってくれているのではないか、と。
 こどもの飯事に暇な大人が参加するように、やることができればすぐに席を立ってしまうような、そういう存在なのではないか、と隼は思う。
 ほんとうはメールも電話も怖いのだ。
 いつ「この電話番号は現在――」なんて機械的な音声が流れるのではないかと気が気じゃない。
 なんて無様なんだろうか。
 だが、無様を晒すことで、必死に追い縋ることでつくもが引き止められるなら、きっと隼はそのとき、今まで足蹴にしてきた女や男、あらゆる人間と同じ行動をするだろう。
 その無意味さを誰より分かっていながら、隼はつくもに縋らずにはいられない。引き止めて、懇願して、べたりと張り付くことしかできないのだ。
 それはもう、憧憬や心酔では済まない。
 依存と呼ばれるものだという自覚が、隼にはなかった。
 かちん。
 小さな音に、隼ははっと我に返る。
 音の方へ視線を遣れば、つくもがフォークを皿へ置いたところであった。
 崩れやすく零れやすいパイだが、つくもの所作はきれいでぼろぼろとみっともなく欠片を落とすこともなく食べ終えたようだ。ほんとうに、やることなすことギャップがあるというか、わけがわからない。

「美味かった」
「よかったです」
「美味しいもの、というのは素晴らしいな。なにを食べても同じ、モノの良し悪しが分からない輩は確実に人生を損している。ああ、それは愉しみという意味でも、共感性に欠くという意味でも――……厭な奴に感化されてんな」

 つくもの眉が一瞬微かに寄った。
 厭な奴、とは誰だろう。店までの道中でつくもの情緒を乱した「奴」と同一人物であろうか。
 訊いてみたかったけれど、独り言のような口調で零されたものを態々拾うのも憚られ、隼は珈琲をひと口飲んでやり過ごす。
 なにより、もっと訊きたいことが別にあった。

「総長」
「……なんだい」

「総長」という呼称に、つくもはあからさまなほど嫌そうな雰囲気で応じる。
 頬杖をついて、聞きたくないとばかりの声音だけれど、訊いてもいいのだろう。
 つくもは隼に遠慮する必要などない。本気で厭えば、それをそのまま告げて強制終了させることができるのだから。

「総長は、ずっと総長でいてくれますよね」

 どこにも行きませんよね。
 疑問符をつけることすらできなかった。
 頷くだけでもいい。いっそ何も言わなくてもいい。否定をされないのであれば、肯定でなくてもいい。
 どうか、期待だけは摘まないで欲しかった。
 けれど、つくもはそんなにやさしくもなければ、酷いひとでもないのだ、と隼は思い知る。
 細く吐かれた息はため息か、つくもは片手を上げて店員を呼んだ。

「すみません『ブルームーン』ください」

 がち、と隼が持っていたカップが乱暴にソーサーの上に置かれる。
 一瞬でこみ上げた激情を押さえつけたせいで、胸の奥が酷く波立って荒れ狂う。
 それなのに、水鳥が水中で足掻きながら泳ぐように隼の顔は歪な笑みをつくるのだ。
 鏡を見なくても分かる。
 垂れ下がった眉と震える口角と。笑顔と呼ぶのも烏滸がましい、酷く情けない顔をしているんだろう。
 つくもと出会う前の自分なら、ひと目見ただけでぶん殴りたくなるような顔だと我ながら隼はうんざりした。

(やっぱり、なあ……)

 そんなわけがなかった。
 続くわけがなかった。
 夢を見過ぎていた。
 わかっていたけれど、実感するのは辛かった。
 ふっと力が抜けたように、たとえば二十一グラムのなにかが零れ落ちていってしまったように項垂れる隼を見て、つくもは舌打ちをする。
 そうしたい気持ちも分かる。まるで男女の修羅場だ。滑稽極まりない。
 これが、こんなものがほんとうにそうならば、店員の目にはさぞかし奇妙に写るだろうが、できた社員教育の賜物か、先程のつくもの舌打ちが尾を引いているのか、店員は注文を繰り返すと素早く遠ざかる。
 つくもはそれを見送ってから口を開いた。

「お前さんはあれか、俺にbelovedをそのままヤクザ組織にしてそこの社長にでもなれと?」
「……は」

 隼が緩みそうになる涙腺と戦っていることも知らず、つくもは心底厭そうに言う。その内容に、隼はぽかん、とした。

「大体だ。族だのヤンキーだの若気の至りで黒歴史確定なもんをネバーライフにしろと? お断りだヴァカヤロウ。
 お前さんらもどうせ卒業したら解散なりなんなりの予定だったんだろうが。実際、お前さんは俺を総長に、代変わりを果たしたよな? だっつーのに、俺だけ残留しろと? ふざけんのも大概にしろ。てきとうな時期にてきとうな奴に押し付けるわ。
 いいか? 時間は経っていく。みんな年をとっていく。変化しないものはありえない。誰にも例外はない。
 ずっと総長でいてくれなんてのはな……」
「お待たせしました」
「あ、どうも」

 とん、とテーブルに置かれた濃淡の美しい薄紫のカクテルのグラスを、つくもが男にしては白い指先でぴん、と弾く。

「――できない相談なんだよ」

 その相談を呑む気はないというように、つくもはグラスを隼の前へ押しやった。
 テーブルの真ん中よりやや自分側にあるグラスを呆然と見下ろし、次第にその輪郭があやふやになっていくのをとめられないまま、隼は唇を歪めた。
 一瞬遅れて、口端へやけにしょっぱいものが落ちる。

「総長……」
「なんだい。ってか男の子が泣くんじゃないよ。泣くなら財布落としたときくらいにしときなさいな」
「総長はやさしーですね」
「そうだよ、俺はミスター・ジェントルマンなんだ」

 隼は震える手を伸ばし、グラスをとる。

「つくもさん」
「あ?」

 ひと口飲んだブルームーンは少しだけしょっぱい。

「俺が卒業するまで総長でいてくださいね」

 飲み干したグラスをとん、と置くのと同時、つくもは厭そうにほんのりと口端を曲げたけれど、拒否も否定も言葉にすることはなかった。
 それに安心した隼を裏切るように、二日後、つくもは「忙しくなるから連絡控える。お前も控えろ」というメールをよこし、唯一の連絡先である携帯電話から電源が切られる。

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あきゅろす。
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