小説
十三話



 隼が案内したのはひっそりとした佇まいで内装も落ち着いていて、どこか古い絵本を思わせるような静かな店だった。

「いい店だな」
「浅木さんに教えてもらったんすけど、ここのパイ関係は全部当たりですよ。俺は甘いのよりミートパイとかポテトパイの方が食べること多いんすけど、かぼちゃパイがすっげえ美味かったんでおすすめです」

 席は客が自由に選んでいいとのことで、優美な曲線を描く飴色のニスが塗られた背凭れを隼が引いた。
 窓際だが、鉄細工の窓枠で飾られた窓ガラスはセピア基調のステンドグラスで、外からの視線などに煩わされる心配はなさそうだ。白が不要な外界の情報に一々注意を向けるかと言われれば、当然そんなことはないのだけれど。

「どうぞ、コート邪魔なら預かります」
「ご丁寧にどーも。お前もジャケットあるだろ。気にすんな」

 甲斐甲斐しい隼にもはや諦めのようなものを覚えつつ、白が引かれた椅子にそのまま腰掛ければ、隼はジャケットを脱ぎながら向かいの椅子へ座り、ふと視線を上げて白をしげしげと見つめ出した。

「なんだ、視姦か。やめろ」
「いやいやいや、そういうんじゃないですよ。ただ、つくもさんがいつもより薄着なんで……」

 白いシャツの下は、濃いグレーのタンクトップ一枚である。コートを着ていたので分からないが、白の格好は季節柄寒々しいことこの上ない。
 寒々しさで言えば、会ってそれほど回数を重ねていないにも関わらず「いつもより」なんて言葉が出てくる隼自身もだろう、と白はサングラスの内側で遠い目をする。

「おいおい、俺の魅惑のボディラインに興味を示すな」
「すみません。あれでもまだ着痩せしてる方なのかと思ってたんで、予想より細いのが意外で」

 細いと言っても「思ったより」であって、白は同年代の平均よりもずっと鍛えられている。
 ただ、身長がとても高いので、その分細いと認識されても不思議ではない。

「あー、俺そこまで筋肉質じゃねえからな。屈筋より伸筋重視だし。お前さんなんかは屈筋の方ほう鍛えてるがね」

 腕を伸ばしてぺちぺちと隼の肩近くを触れば、白の予想に違わず隆起してとても硬い。
 細いと言われた白であるが、別段、隼の体型や筋肉の付き方を羨む気持ちは欠片も湧いてこない。
 白の身体は彼の意図したように、必要な鍛えられ方をしている。
 意図から外れているのは生まれたときから備わる白髪と飴色の目、成長期に運動しまくっても止まることなく育っていった身長と強面くらいである。

「つくもさんはどんなんですか」
「こんなん」

 隼の肩から手を離して肘までシャツを捲った腕を軽く曲げれば、同じようにしてみせた順に比べて筋肉の隆起は浅い。というよりも、根本的に筋肉がついている場所が違った。

「え、なんでこんな違うんすか」
「そりゃ鍛えてる場所違うんだから当たり前だろ」
「そういえばでたらめな動き方してましたね……俺にも教えてくださいよ」
「誰がでたらめだい。あれはれっきとしただね……つか、そろそろそんな暇なくなるし」
「え」

 白は咄嗟に口を抑えそうになった手を根性で留めた。
 滑った口はどうにもならないが、こちらを凝視してくる隼の一人や二人どうにかなるはずだ、と気合をいれ、なんでもないように頬杖を突く。サングラスの内側で飴色の目は回遊魚のように忙しないことになっていた。

「あ、いっけなーい、メニュー決めてないぞお。パイか、パイだったか。林檎とかぼちゃのパイとか豪華過ぎだろ。へえ、ここカクテルも扱ってるのかー」
「つくもさん、お仕事かなにか忙しくなるんですか?」

 さすがにここで流されるとは思っていないが、流されとけよ、と白は隠さずに鋭い舌打ちをした。
 とてつもなく怖いが、直後に「俺これね」と林檎かぼちゃパイを示しながら、隼のほうへメニューを向けてやるのだから温度差やノリの乱高下著しく、恐怖に震え続ける暇もない。

「忙しくなるのはお前ってか、お前らもだろ。世間的には冬休みそろそろ終了じゃね? 学校行ってるんでしょ」
「あ、あー……」

 そういやそうだ、と隼は面倒臭そうな顔をしながら「とりあえず注文しますね」とふたりを窺っていた店員に向かって片手を上げ、注文を済ませた。
 隼はポットパイを頼むついでに「練乳ってカップ一杯温めてもらえますか?」と律儀にきいて店員をドン引きさせ、白に真顔で止められた。尚、メニューにはないそうだ。

「俺ら……あー、千鳥と因幡、日和なんかは同校なんすけど、ああ……もう五日もすりゃ、ですね……」
「へえ。俺も丁度そのくらいから忙しいわ」

 途端、隼が淋しげな顔をした。白は嫌な予感がした。

「総長」
(おい、今まで白さんだったのに何故いま総長と呼んだ)

 白は背中にだらだらと冷や汗を流しながら、ステンドグラスへ視線を飛ばす。
 外の通りも見えなくて、現実から逃避する居場所がない。

「総長、聞きたいことがあるんです」
(見ちゃ駄目だ。振り返っちゃ駄目だ)

 白は短い期間だが十分理解していた。
 どうにもこうにも「悄気げる犬」に弱い、と。
 正確には、初っ端ひとをまんまとはめて「総長」に祭り上げたくせに、まるで置いていかれそうな犬の如く必死に追いかけてくる隼に弱いのだ。
 内心や、たまに内心から溢れる態度は邪険にしているような部分もあるが、望まぬ不良の道の先頭に立たされてあの程度で済ませている白の寛容さは相当なものである。
 やろうと思えば「これこれこういう次第で不良集団に巻き込まれた」として警察を頼り、belovedを解散に持ち込むという方法とて取れないわけではない。もちろん、下手に不良から統率性を奪って野に放つより、警察とてある程度管理体系ができているほうが好ましいだろうから言い分そのまま受け入れられることはないにしても、だ。
 振り払おうと思えば振り払えるのに、あるいはだからこそなのか、譲らない部分は譲らないようにしつつも白は今まで隼の第一要求を全て呑んでいる。
 連絡先をくれといわれれば教えたし、会いたいといわれれば会ったし、いつから自身はここまでちょろくなったのかと白は頭をテーブルに打ち付けたくなる。
 イベント一つこなして攻略に必要な大半の要素は揃え済みなチョロインだなんて、断じて認めたくない。

「……総長、総長はbelovedに……」
「ご注文の品をお持ちしました」
(ナイスタイミング店員よくやったああああああ!!)

 ほかほかしたパイがテーブルに並べられ、白はテーブルの下で片手をぐ、と握った。
 店員は隼から凄まじい目で睨まれ、びくりと肩を揺らす。何度か来ている店だろうに、今後来辛くなったりしないのだろうか。気にしないのかもしれない。心が強いのだろう。

「わー、おいしそー。あ、すいませーん、追加でカフェオレもらえますー? ねえねえ隼ちゃんもなにかいるー?」
「あ、珈琲で」
「かしこまりました」

 そそくさと下がっていく店員に会釈して、白は「あったかいうちに食べよーね!」と話が進展しないための一手を打った。

「で、総長。お聞きしたいんですが」

 悪手でさえない、完全に意味のない一手だったようだ。
 白はひと仕事終えた後の殺し屋のような雰囲気でカトラリーを手繰る。

「セコンドピアットまで仕事の話はしない」
「イタリア料理のフルコースじゃないんでセコンドピアットはいくら待っても出ません」

 不良のくせにイタリアンフルコースに縁があるのか、と白は不良差別をしたあと、「やーれやれだ」と言わんばかりに肩を上下させる。
 納得も理解もできることが、面倒臭いのだ。

「依頼は賛美歌十三番でお願いね」
「総長の容姿的に洒落になりません」

 白は軽く頭を振る。
 分かっていた。なにを言っても無駄なんて。
 分かっていた。問題を先送りにしているだけだって。
 こうして聞きたくないと耳を塞いでも問題は解決しないし、パイは冷めていく。美味しい美味しいパイの魅力が半減してしまう。
 大体からしてユーモアを失った人間とはろくなものではない。余裕のない人間は周囲まで急き立て、しかしその行動が空回りしているという場合も少なくないのだ。
 どんなときでも朗らかに笑えなければ、と思って白は脳裏を過るオールデイズ・スマイラーに、即その考えを滅多滅多に丸めて捨ててなかったことにする。
 ユーモアに付き合えず、笑えないことくらいなんでもない。
 問題は、問題が解決しないことだ。
 問題が解決しないという問題を解決するには、たった一つ簡単な手段をとればいい。
 白は一瞬目を閉じ、軽くサングラスを上げた。
 光度の低い店内なので、眇めさえすれば直に隼の顔を見たとしても白に苦痛は少ない。ただ、眇めた目がただでさえ貫禄あるマフィアのような顔の無表情を、えらく物騒にさせるだけだ。
 すごく怖いひとを前に隼の喉仏が上下するのを見て、白はうっそりと嗤う。心持ち。白基準ではにっこりと花咲くように。
 相手の息遣い以外の音が聞こえないかのような錯覚のなか、白はゆっくりと口を開く。

「言えよ……隼。お前は俺になにを聞き――」
「カフェオレと珈琲お持ちしました」
「あ、あざーっす」

 白は「これ食べ終わるまで待ってね」と言って、林檎かぼちゃパイに取り掛かった。

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あきゅろす。
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